実際に才能が無くても努力で何とかした人もいるかもしれないんですが、そういう人って「努力」って才能があったりするんですよねえ……
そら普通の人の五倍とか十倍とか努力できたら、才能が常人の半分以下でも何とかなるっしょ。
しかし、凡人にはそんな努力はできねえんだよぉ、うわああああん!
作者からの返信
結城藍人さん こんばんは☆彡
それが出来た人は才能があった人です。それを努力しただけだって思わないで欲しいですよね。自分の才能を認めて欲しいです。
努力出来るのも才能ですよね。私も一回の執筆は2時間位が限度でそれ以上ずっと書き続けられる人は尊敬しかありません。
それ以外でも頑張れる人は信じられないくらい頑張れますよね。それだけ頑張れたらすごい事にもなりますわああ。うわあああああん!
才能がある人も努力はしてるからね、そこを見てもらいたいのだと思う。
我が家の合言葉は「絵心が欲しい」です。一家そろって絵の才能が皆無なのですよ。そうしたら、料理なり、生け花なり、世の中のあらゆる素晴らしいものがすべて絵のセンスに関連しているような気がして、「センスがないからダメだー」って落ち込む、そんな今日この頃です。
作者からの返信
努力を見てもらいたい気持ちは分かります。だからってこんなのは努力すれば誰でも出来るよって言われると違うと思うんですよね。
まだ俺様だからこう言う事が出来るんだぜって言ってもらえる方が納得出来るかな。お前らは努力しても無駄だって態度の方が。
絵心、センス欲しいですよね。一番センスを感じるのが絵心のような気がします。私も欲しいです。小説書きとしては言葉のセンスも欲しいかなw
現場に入った新人、異動してきた人材に対して、その理論を振りかざしてダメ出し、人材をだめにしていく人がいます。というか溢れています。
「こんなんも出来ないなんて信じられない」
お前の常識感の方が信じられねぇから!
と叫びたくなりますね。
作者からの返信
ああ、指導を担当する人にそれを言われたら新人さんとか慣れていない人は困っちゃいますよね。そう言う人は人材をダメにしてもきっと自分のせいだとは思わないんでしょうね。
向いてない人は指導するべきじゃないと思います。ただ、人材不足とかだったらその指導を受けるしかない人も出てきますよね。
指導者に無茶振りばかりされるのは人生の理不尽のひとつだと思います。