幕間 力と策略 【壱】



 煌華こうかの侯 五十五日目 ドーラ森林西部 王国騎士団駐留拠点



 ソニア達が渓谷内部へ侵入してから、どれだけの時が過ぎただろうか。陽はとうの昔に落ち、月すらも姿を消してしまうほどの時を、ただひたすらに待っていた。


「……」


 至る所にある焚火の大きな炎が、途絶えることなく燃えている。絶え間なく揺れる炎の中で薪が爆ぜる音が響く。


「っ……」


 今より少し前、渓谷内から僅かに銃声の音が響いた。それ以降続く静寂が、私の不安を煽っていく。


『心を乱しすぎだ、友よ』


 不意に、頭の中に響くような声が届く。振り返って顔を上げれば、宝石のように輝くアグニクスの瞳が私に向けられていた。


 周囲の炎に照らされて、彼の龍鱗は燃えるように輝き、その見上げるほどの巨躯から熱気を放っている。おかげで寒さは微塵も感じることは無かった。


『案ずるな。あの娘の魔力は途絶えてはいない』

「アグニクス……」

『そこにいる娘の盟竜が何よりの証拠だ』


 その言葉を受けて、視線を上から横に移す。私のすぐ側に控えているのは、灰色の龍鱗を纏い四枚の翼を持つ翼竜。ソニアの盟竜であるククルスだ。


「クルゥ!」


 私の心の内を察しているのか、ククルスは落ち着き払った様子でひと鳴きすると、私の傍まで顔を寄せてきた。その鼻先にそっと触れて優しく撫でる。


「一番心配なのは、お前の方だろうに……」


 竜騎士と竜は常に共にあるべき存在だ。それが戦いの場であるなら当然の事だ。だというのに、彼女はこうして盟友をここで待っている。飛び出したい気持ちもあるはずだ。そんな彼女がこうして私を案じているのだ。私が取り乱すのは筋違いというものだろう。


 彼女を撫でていると、渓谷の方向から何かが近づく気配を感じた。急ぐような足音と共に闇の中から現れたのは、近衛隊の装備を身に纏った一人の騎士だった。真っ直ぐこちらに駆け寄って片膝をついた。


「こ、皇女殿下。急ぎお耳に入れたいことが……」

「ビダルか……! お前、その傷はどうした!」


 猫のように丸くなったその騎士は荒い呼吸を繰り返す。その騎士の肩口には斬られたような跡があり、周囲を赤く濡らしていた。


「大事ありません。それよりも殿下。渓谷内に、敵の罠が張られています」

「なんだと……!」


 ビダルは苦しい息を吐きながらも、渓谷内で起きた事を説明していく。見えない壁が無くなっていたことも、明朝と共に爆発する爆弾を敵が仕込んでいたこと。彼がその目で見たものを全て語ってくれた。


(敵に行動が読まれていたのか? それとも最初からそのつもりで……だがそれではあまりにも──)


 ビダルの話から予想すると、敵はこの瞬間に罠を張ろうとしていた。だとするならば、罠を張らなければならない状況にまで敵も追い詰められているという事だ。ならばあと一押しでこの大渓谷も突破できてるということだ。


「爆弾の捜索中に、別の敵と遭遇。私とマカフで対処しましたが、捕らえた敵も命を落としました。今はマカフとスォールが集めた爆弾を別の場所に──」

「クルー!」

「……ククルス? っ!?」


 隣にいたククルスが突如大きく吼えた。視線を向けると、翼を大きく広げ、翡翠の光を放ちながら瞬く間に、大渓谷へと飛び立って行った。


「ククルス……! まさか、ソニアに何か……!?」


 ククルスのその行動の直後。地響きのような振動が周囲を大きく揺らし始める。


「……! 何事だ!」


 声を上げて周囲を見渡す。突然の揺れに兵士たちはもちろん、小型の竜達も動揺していた。


「アグニクス!」


 今度は振り返りながら顔を上げる。その先にある灼竜の顔は、大渓谷へと向けられていた。


『いくつかの魔力が消えている。娘の魔力も灯火のようだ』


「なん……だと……!」


 アグニクスの声が響くと同時に、十年前のあの光景が、一面の焼け野原の中心で跡形もなく焼け落ちた屋敷が脳裏に蘇る。


「……誰か! 私の槍をここへ」

「……! 殿下自ら出られるのですか!?」

「ここで敵に押し返されては、ここまで来た意味が無い。我々は勝たなくてはならないのだ……」

「しかし……」

「お前たちはよくやってくれた、ビダル。下がって傷の手当をしておけ」

「……ご武運を」


 そう言い残し、ビダルは立ち去っていく。入れ替わるように、二人の兵士が私の突撃槍を持ってくる。それを受け取り大きく一振する。


『……良いのか?』


 頭上から、アグニクスの声が響く。


「無論だ。これも国の為……世界の為だ。歴代の王達も理解してくれるはずだ」


 この言葉に返事はなく、代わりに私のすぐ側までアグニクスの頭が降りてきた。すかさずその頭の上に飛び乗る。


「……行くぞ!」


 その号令に合わせて、アグニクスの巨大な身体が音を響かせながら動き出す。一対の大きな翼がはばたきと共に地面を叩き、周囲にあった焚き火をかき消しながら上空へと登る。そして直ぐに、大渓谷の上部を見下ろす高さまで到達した。


(ソニア……死ぬんじゃないぞ……!)


 その渓谷の向こう、東の空は白く、まもなく闇が晴れようとしていた。

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ドラヴァニア戦記 毛糸 @t_keito_k

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