2話,始まりの別れ道

 やはり、港町なだけに昼になっても市場は賑わっていた。

魚を売る男たちの陽気な声や人々が買い物をしている楽しげなはしゃぎ声がいたるところから聞こえてくる。たまに聞こえてくる小さい子供の泣き声も市場の賑わいの一部になってしまう。

太陽の光に照らされて輝く海や抜けるように青い空が誰もの気持ちをたかぶらせるのだろう。


 デベリットという町はとても綺麗な街だった。

手入れの行き届いた家や家と同じ赤レンガで出来た街道がこの町の豊かさを表している。人々の格好も小綺麗で、女はひだ飾りの付いた少し膨らみのあるワンピースを着てつばの広い帽子をかぶっている。男の方はパリッとしたシャツを着て、シルクハットをかぶっている者が多い。

道の両脇には様々な店が並んでいた。野菜や果物、肉など種類は豊富だが一番多いのは魚だった。もう上げたばかりではないが沢山の大きな魚が売られている。


 とうきは振り返ってほおりが付いてきているか確かめた。

 ほおりはとうきに押し付けられた荷物を背負いながら、辺りを見渡し、楽しげに道を曲がろうとしていた。


「おい、こっち」とうきはほおりを呼び止めた。


 振り返ったほおりは楽しそうに笑いながらこちらに歩いてきた。「ここら辺なんか楽しそうで色んなとこ行きたくなっちゃうよな」


 とうきはそっぽを向いた。「別に。はやくこの街から出ねえと」


「あの人達本当に追いかけてくるのかよ」


「追いかけてくるだろ。魔女だからな」


 とうきはまた歩き出した。後ろでほおりが「あの人達ほんとに魔女なのかな」という声が聞こえたが無視した。あの家の中でとうきが説明したことを疑っているようだ。ちなみに、あいつらは魔女で俺たちを取って食うつもりだと話した。


 本当だろうが嘘だろうがとうきには関係なかった。



 二人は海沿いの道を歩いた。ほおりがしきりに話しかけてくる。


「なあ、俺はなんでお前のことが嫌いだったの?お前が俺のこと無視するから?それともなんかあったの?お前が俺に嫌いになるようことお前がしたの?それとも──」


「俺がお前のこと嫌いだからだ」


「え?お前、俺のこと嫌いなの?」


「そう、そのうるさいところが大嫌いなんだ」


「え、今も嫌いなの?」


「うん」


「じゃあ、仲直りしよう」


 ほおりが手を指し伸ばしてきた。


「は?」


「俺はとうきのこと嫌いじゃないし。それにこれから一緒に行動する中で仲悪かったら気まずいじゃん」

 そう言ってほおりはまっすぐとうきを見つめてきた。


 とうきは思案顔で耳たぶを引っ張った。そして言った。

「わかった。仲直りしよう」


 そして二人は手を固く結んだ。



 しかし、事はほおりの望んだようには動かなかった。


 とうきは固く目をつむったあと、手を離してはっきりとした声で言った。


「でも、俺たちはここでお別れだ」



「え?」ほおりは笑った。「何言ってんの?やっぱり仲直り嫌だった? 」


「いや、今仲直りをしておかなかったらもう出来ないから」


「え?どういうこと?」


「こっちの海岸沿いをお前が」とうきはまっすぐ前を指さした。「こっちに俺が行く」そして、右手にある山を指さした。


「なんで急に別行動?俺そんなにうるさかった?ごめんて、もうあんま喋んないから」ほおりは泣きそうな顔をした。


「そうじゃないから。確かに離ればなれになると寂しいし心もとないけど、これしかないんだ。ここを二人で進んでも何もならない。1人で進むからこそ意味があるんだ」


「ないよ!二人で行こう」


「しなきゃいけないんだよ」


「なんでだよ!勝手に決めんなよ。俺に拒否権は無いの?」


「俺にも無いんだよ。でも、また会えるし。気にすんな」そう言ってとうきはほおりの後ろに回ると彼か持っていた荷物をごそごそし始めた。「ほら、これがある」


 とうきはほおりに透明な板を渡した。


「え?これって」ほおりは驚いてとうきを見た。「こんなのも持ってきてたの?お婆さん達大切にしてたんじゃない?」


 それは、プレパナだった。もちろん、お婆さんたちが大切にしていたものだった。


「いいんだよ。あのばばあ魔女なんだから」


「なんでそんなはっきり魔女だって言えんの?」


 疑り深い目つきで自分を見るほおりにとうきはため息をついて、耳たぶを引っ張った。


「喉」そう言って喉に触れた。「治ってるだろ?」


 ほおりは自分の喉に手をやるとあ、と言った。


「え...まさか、呪い?」


「知らん」


 ほおりはなんだよ、と呟きプレパナを眺め始めた。

「でもこれってどうやって連絡出来んの?」


「知らん」


「プレパナ、とうきにばーかって伝えて」


〖了解しました〗


 ピロリンと、とうきの持っているプレパナがなった。とうきはプレパナを取り出した。


〖ほおりさんからの伝言です。ばーか。以上です〗


 とうきはなにか打ち込んだ。


 ピロリンと、ほおりの持っているプレパナが鳴った。ほおりは意気揚々と画面見た。


〖とうきさんがあなたをブロックしました〗


「おい!」ほおりは焦ってとうきを睨んだ。


 とうきは笑うと、プレパナに触れた。


〖ブロックが解除されました〗


「もうブロックすんなよ。使い方は分かったけど」

 ほおりは笑った。


「俺はブロックの仕方も分かってよかったよ」とうきも笑った。「じゃあもう大丈夫だな。俺は行くよ」


 そう言って、背を向けた。


「待てよ。俺たちどこに何をしに行くの?」


 とうきは立ち止まってほおりを見た。目を泳がせながら耳たぶを引っ張っている。


「あ。あー、そうだなあ...。あのばばあたちが訓練学校とか言ってたじゃん?俺らが目覚める前に知らないところから来た人達がそこに何人かいるとか話してんの聞いたから、俺らみたいな奴らじゃねえのかなって思ったんだよ。そこに行って俺らみたいな奴らと会って色々話し聞けばいいじゃん?」


「え、そうだったの?なんで早く言ってくんなかったんだよ。まあでも、いい案だよな。訓練学校か」


 とうきは頷いた。


「ああ。そしたらまた会った時に俺らがどっちが強くなったか競争しような」


 ほおりは笑ってしまった。


「やっぱりお前、俺のこと嫌いじゃないじゃん」そして、片手をあげた。「じゃあな」


 急にとうきが真顔で近づいてきた。しわの寄った眉間にさらに深くしわが刻まれている。

「じゃあな…なんて、言える訳ないだろ」そう言うと、笑顔になった。「またな」


 そう言って振り返りもせず、どんどん歩いていってしまった。


 一人残されたほおりは首を傾げた。


「...なんだ?あいつ」



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 とうきは俯きながら歩いていたがその瞳には何も映っていなかった。


 記憶があるなんて嘘だった。本当は自分も何も覚えていなかった。しかし、彼を安心させてあげなければと思った。目が覚めた時からずっと考えていた。

 どうしたら彼を安心させられるか、どうしたら記憶があるという嘘が見抜かれないか。

 しかし、そんなことは杞憂きゆうに終わった。ほおりはあまり前の生活のことをたずねてこなかった。彼が気になるのは、周りの世界のことだけだった。あそこが綺麗、あれを食べたい、あれはなんだと延々と喋っていた。

 もしかしたら、後でたくさん聞こうと思ってたのかもしれない。


 とうきの記憶は12歳の夏で終わっていた。それより後には何も無かった。

 彼はは誰もいない乾いた道にしゃがみ込んだ。


「俺は...俺は、あのとき...」

 顔を覆う指の間から涙が溢れ出た。




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「『じゃあな…なんて、言える訳ないだろ』」道端で佇んだままほおりは呟いた。「じゃあ、言わなきゃいいじゃんな」


 どこかで聞いたことのある台詞に首を傾げた。

「なんだ?」


 急にある光景が浮かんだ。




~~~ ~~~ ~~~ ~~~



 ぱちゃん、ぱちゃんと水が滴り落ちる。

 歩いていた。

 暗い洞窟のようだった。

 誰かの息づかいが聞こえる。隣を見ると男の子が歩いている。

「心配すんなよ」こっちを見るとそう言って泣きそうな顔で笑う。丸い大きな瞳が苦しげに歪んだ。

 崖のようなところまで来た。大柄な男が二人、こちらを見ている。

 怖い、と思う。

 下には水があるようだが、洞窟の不思議な光を反射してか、変な色に光っている。

 口を開いた。

「もう、お前と遊べないんだな」

 男の子は笑った。「寂しい?」

「寂しいよ」そう言って俯くと、ごつごつした岩肌が赤く光っていてとても不気味だった。

「でも俺は、自分が必要とされているって事だから嬉しいよ」

 顔を上げると、またあの泣きそうな笑顔だった。歪んだ大きな瞳には拗ねた顔の男の子が映っていた。

 ここにもお前を必要としてる人はいるんだぞ、なんて言えなかった。これは運命なのだからどうしようもない事だ。

 男の子は、俯いて言った。「なあ、もうちょっと近くまで来てくんない?」

 そうして、二人で崖っぷちまで歩いてきた。

「準備をしろ」

 大柄な男が冷酷に命令した。

 特に準備することも無いので、男の子は崖っぷちの一番先端に立った。そうして笑いかける。「ねえ、もうちょっとこっちまで来て」

 近寄るとぎゅっと抱きしめてきた。

「もう会えないんだな」

 抱きしめ返すと言った。「また会えるって信じてる。じゃあな」

 男の子は顔を見つめてきた。「じゃあな…なんて、言える訳ないだろ」

「え?」

 カチッと音がした。

 男の子はそのまま後ろに落ちていった。

 ああ、もう会えないんだ。

 もう一緒に遊ぶこともないんだ。

 同じ学校に通う約束も叶わないんだな、と思った。

 その時、腰がぐわん、と引っ張られた。

 え、落ちる。

 腰の感覚からベルトのそうなものを結び付けられているようだ。

 多分、さっき抱きしめられたとき腰に手を回して結びつけたのだろう。

 しかし、一緒に落ちていくことは禁忌と言われている。何故そんなことをしたんだ。

 仰向けで落ちていく男の子の顔をみると、手で覆っていた。指の間から涙が溢れ出てくる。

 なんだ。君も僕と一緒に居たかったんじゃないか。

 ふっと胸が軽くなった。

 そうして、泣いてばかりの男の子に向かって囁いた。



~~~ ~~~ ~~~ ~~~



 そこで途切れた記憶に苛まれながらとうきは立ち上がった。頭が痛い。

 さっきからずっとこの事ばかり思い出してしまう。


 あれは、三年に一度行われる儀式だった。日照りの丘に住む女神たちが神に生贄いけにえを捧げよというのだ。その年、女神に選ばれたのはとうきだった。

 とうきはその儀式の最中に禁忌を犯してしまった。自分と一緒に送り人を落としてしまったのだった。


 きっかけは些細なことだった。子供が生贄に選ばれることは例外で、儀式用の衣装が大き過ぎたのだ。そして、服の裾やベルトを引きずって歩いている時に思ってしまった。これで結びつければ、送り人一緒にと落ちることが出来る。

 そうして、送り人にほおりを選んでしまった。普通は家族が一般的なのだが、家族がいない人もいるので誰でも良いことになっていた。こうして例外中の例外の儀式が始まったのだ。


 儀式なんて言っても大したことない、長老や町のみんなに祝福されて送り人と二人で日照りの丘のあるデベリットまで歩いていくのだ。途方もなく長い距離だった。そして、日照りの丘の下にある洞窟に入って行って、奥にある崖から飛び降りるのだ。


 生贄なのだからもう少し丁寧に扱われてもいいのではないかと三年に一度思っていた。しかし、いざ自分の番になってみるとやはり死にゆく人にこの扱いはないだろうと腹が立って仕方がなかった。歩かされるのには一番納得が行かなかった。


 そういう理由もあって、禁忌に手を出してしまったのだろう。そんな理由があるからと言って許されるわけは無いが。


 だからとうきは落としてしまったほおりとこれ以上共に行動することはできなかった。騙していることと同じだと思ったからだ。

 生贄になるということは、死ぬということだ。とうきは一番大切だった友人を殺したのだ。


 自分のこの手で。


 ところが、騙したくないからと遠ざけるためにまた彼に嘘をついてしまった。訓練学校の話は半分は嘘だった。とうきの目が覚めたのは、ほおりの起き上がる気配を感じたからだ。あの家で話を聞いたというのはもちろん嘘だ。ただし、本当に知らないところから来た人が何人かいることは子供の頃小耳に挟んだことがあった。


 とうきは足を踏み出した。

 一つ、不思議なことがあった。もし死んだのだとしたら生前の世界に帰ってきているということだ。しかも成長して。

 あの崖から落ちて今に至るまでなにがあったかわかれば、どういうことかわかるのだろう。しかし、残念なことにそこだけの記憶が抜け落ちていた。


 とうきはため息をついた。無いものを強請ねだっていても仕方がない。前に進むのみだ。

 いや、自分は逃げているだけなのかもしれない。前に見えているものは後ろなのかもしれない。とうきは笑った。


 プレパナを取り出し、ほおりの現在地点を確認した。

「あいつっ...」思わず声上げてしまった。


 ほおりは別れた地点から一歩も進んでいなかった。「何やってるんだ?」


 なにかあったのだろうか。急に体調を崩したのかもしれない。助けに行った方がいいのではないか。

 などと考えていたら、ほおりは動き出した。結構な速度で走っている。


「まあ、元気ならいいか」


 そう言ってとうきも自分の道を進み出した。



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 ほおりは走っていた。


 なにか、変な夢を見ていたような気がする。しかし思い出すのももどかしい。

 胸の中でなにかがぢくぢくと蝕む。頭が真っ白で何も考えられなかった。

 とにかく誰かに会いたかった。会うために走った。


「ねえ!」


 誰かが叫んだ。

 立ち止まって辺りを見渡しても誰もいない。


「だれ?」


「ここです。この鞄の中です」


 思わず耳を疑った。しかし確かに背中の鞄の中から声がする。おそるおそる開けてみたが、誰もいなかった。


「え?」


 声の出るおもちゃでも入っていたのか。そう思った時、また声がした。


「私です。プレパナです」


「...え?」


 プレパナを手に取るとぶるぶると震えだした。


「え?なになに?どうした?」


「もう!!酷いじゃないですか!私をこの中に閉じ込めてこんな風に揺さぶる

なんて!痛かったんですよ!?こんな扱い初めてです!!何度も何度も話し掛けてもまるで聞いてくれない!あんな大音量を出したのは、寝坊助な女の子を起こしていた時以来です!貴重品なのですから丁寧に扱って頂けなければ壊れてしまいます」


 ほおりはあまりの驚きに言葉を失った。

 確かに話しているのはこのプレパナだ。ぶるぶると四角い体を震わせ全体から怒りそのものが溢れ出てくるようだ。


「なんですか!?なにか仰ることはないんですか?」


「あ...。ごめん」


 震えが収まった。


「そうです。分かって頂けたなら宜しいのです」

 満足気な声が返ってきた。


「俺、プレパナって機械なんだと思ってた。こんな風に人間みたいに喋るんだな」


「そうです。私たちを機械だと思っている方は多いのですが、実は生き物なのです。とても博識な生き物なのです」


「じゃあなんで人間に仕えてんの?」


「違います!仕えているのではありません!共存しているのです」


「いや、でも...」


「なんですか!?私たちが人間よりも下だと仰るのですか?私たちは博識な生

き物なのです。人間たちの下につくわけがありません」


「それは分かったけどさ、そんな形だと人間が作った機械だと思うだろ?」


「こっ、この形は...」初めて声がどもる。表情は分からないが、恥ずかしがっているようだ。「前のご主人様が好まれていたのです。私の好みでは御座いません」


「前のって...あのおばあさん達?」


「はい」


 やはり、人間を主人と呼んでいるらしい。


「私たちはもう飽き飽きだったのです。なので、連れ出された時も何も抵抗しなかったのです」


「え、そうだったんだ」


 飽きられたおばあさん達も可哀想だったが、プレパナを鞄に入れようとしたて抵抗されたとうきの驚いた顔を見れなかったことがほおりは少し残念だった。何でも完璧にこなすとうきの予想外を食らった顔を見てみたかった。


「しかし、私たちは他の姿に変わることも出来るのですよ」


「へえー、そうなんだ」

 ほおりはプレパナを仕舞おうとした。今日中に隣町まで行かなくてはならないのだ。寝る場所がないのだから。


「あのっ、もしご主人様がお希望なのでしたら他の姿に変わってあげなくも無いのですよ」


「え?」ほおりは感動した。なんて気の利く生き物なんだと思った。両手に持ち直してこう言った。


「じゃあ、車になってもらえる?」


「へ?」プレパナは生まれて初めてこんな声を出した。


「え、いや、そういう訳では───」


「ほんと助かるよ。ありがとう」


「いや、あの」


「丘をくだって疲れたんだ。自動運転がいいなあ」


「あ、あの、そうでは、」


「これならすぐ寝てる間に隣町だなあ」


「ちっ、違っ、」


「隣町に行ったら何食べよっかなあ」


「だからあ!人の話を聞けええぇぇえええ!!!!」


 プレパナは自分の中で今世紀最大の音量で怒鳴った。


「うわっ、びっくりした」

 ほおりはびくっとしてプレパナから手を離してしまった。


「いてっ」

 落ちたプレパナは丁度ちょうど石にあたって普通に落ちるよりも痛い思いをしてしまった。


「ああ、ごめん。大丈夫?」


 ほおりは拾って、画面に出来たひびを見てひっ、と息を飲んだ。

「ごめんね、ほんとに。壊れやすいって言ってたのに俺がもっとちゃんとしてれば。でもちょっとの間だったけど一緒に話せて楽しかったよ。ありがとう。...ここに埋めとけばいいかな」


「いやいやいやいや、生きてるんですけど!」

 プレパナはほおりを少し困らせてやろうと黙っていたが、埋められると聞いて恐ろしくなって叫んだ。


「うわっ、生きてたのか。良かった」ほおりは嬉しそうに笑った。「じゃあ、早速だけど車に、」


「なりません!」プレパナは叫んだ。「ですから、先程から私はなれないと言っているではありませんか。何故聞いてくださらないのですか」


「ああ、そうだったの?残念」ほおりは少し考えた。「じゃあ、馬に」


「違うのです!私はもっと可愛らしいものになりたいのです!可愛らしいものになれと命じてください!こんな四角い姿はもう飽き飽きなのです」


「なるほど、可愛くなりたいのか」


「はい」プレパナは期待に満ちた声で返事をした。


「じゃあ、うさぎとか?」


「なんで!なんでですか!?なにか私があなたにしましたか?何故私たちに二足歩行で歩く権利を与えてくださらないのですか?あなた達人間は何故そうも残酷になれるのですか?私たちはもう夢も希望もなくただ四角い形をして生きていればいいと思っておられるのですね!」


「え、ごめん。何になりたいの?」


「そうですね、可愛らしい人間の女の子も良いのですが、妖精やエルフなども捨て難いしですね…って何を言わせるのですか!?」


「や、聞いただけだけど」


 そこでプレパナは気づいた。車と馬を断った時点で彼の自分に対する魅力はゼロになったのだ。もうなにも楽しくなくて早く歩き出したいのだ。と言うより、歩きながら喋っているのだが早く自分を仕舞って走り出したいのだ。


「ごめんなさい、私としたことが。ほおり様のことを一番に考えるのが私たちの仕事ですのに」


 だから、もう一度ほおりに自分の魅力に気づいてもらわなければならない。びっちびちのえろいお姉さんにだってなれるんだから!


「そうなんだ。まあ、いいよ。好きな姿になればいいんじゃない?」


「いいのですか!?」


 ところが、プレパナは考えた挙句あげく小さな手のひらサイズの妖精になった。


 ほおりはびっくりした。

「わあ、可愛いな」そう言って思わず見入ってしまったが、妖精の目が涙ぐんでいることに気付いた。


 さっきまで怒っていたのだから当然だ。ほおりの手のひらの上でむくれている。


「あのさ、名前、付けてあげよっか?」


「え?」妖精は顔を上げた。「しかし、私にはプレパナという名前が」


「だってお前ら全員プレパナって名前で呼ばれてるんでしょ?自分だけのものが欲しいじゃん」


「ほ、本当によろしいのでしょうか…?」


「うん。待って、今考えるから」


 ほおりは妖精を見た。どぎまぎしているようで、視線が合うと恥ずかしそうにさっとらす。妖精はペったんと座ってその小さな手で重心を支えていた。太陽の光の筋のように透明に光る髪が風に揺れて反射している。透明な羽は脆く、触れたら壊れてしまいそうだ。その小ささと儚さを見ていてなにかに似ている気がした。


「砂糖菓子...」


「はい?なにか?」


「思いついた。シュガー!どう?」


「シュガー...?私の名前ですか?」


「うん」


 妖精は泣き出してしまった。ぽろぽろと流れ落ちる雫を小さな手で拭う。


「え、どうした?やっぱ、嫌だった?そりゃ嫌だよなあ、砂糖なんて。待って、考えるから」

 ほおりは焦ってまた目を瞑って考え始めた。


「違うのです!とても、とても嬉しいのです。嬉しくて嬉しくて涙が止まらないのです。私にこんな、ひっぐ、名前を、うっ、つけて、下さるなんて、えっぐ、私は、私わぁ」


「うんうん、分かったよ。落ち着こう。気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。名前を付けるのは得意なんだ」

 ほおりはなんの根拠もなく言った。


「本当に嬉しいです。ありがとうございます」

 しゅがー、と口の中で呟き妖精は顔を上げた。「私、名前を頂いたのは初めてです。中にはご主人様から名前を頂くとずっと専属になるという種族もございますが」そこでやっちっまったという顔をしているほおりを見てくすっと笑った。「残念なことに私たちにはそのような習慣は無いのでご安心ください。しかし、名前などプレパナで良いと思っていましたが頂いてみるととても良いものですね。自分だけのものなんて今までありませんでしたから、嬉しいものです」

 そう言ってすっかりご機嫌になった手のひらの妖精を見てほおりも笑顔になった。


「そりゃ嬉しいな。つけた甲斐があるってもんだ。じゃあ、走るか?」


 早速出発しようとするほおりにシュガーは慌てて言った。


「いえ。走らなくても、歩けばあと一時間ほどで隣町の中心部まで行けます」


「おお、役に立つな。頭の中に地図とかあんの?」


 ほおりはシュガーを手のひらに乗せたまま歩き始めた。


「はい、ございます」


「へえー...ええ!?まじであんの?すげーな」


「お見せしましょうか?」

 そう言ってシュガーは立ち上がり、ほおりに背を向けると大きく手を振った。すると、何本もの金色の線が無数に出てきて曲線を描いた。

「ここが今私たちがいる場所です」そう言って金色の丸い点を指さした。「そして、こちら側が女神の家から歩いてきた道です」そう言って、丸い点から金色に塗られた方を指さしてた。「こちらは、今から歩いて進んで行く道です」こちら側は金色で縁取りされた白い線だった。


「うわあ、すげーな。地名とか登録してあるの?」


「はい。ここに日照りの丘、女神の家、デベリット市場など書いてあります」シュガーは一つ一つ指を指しながらほおりに教えた。


 ほおりは首を傾げて苦笑いをした。

「あのさ、さっきから女神の家って言ってるけどさ、あのとうきが魔女って言ってた人達のこと?」


 シュガーは振り向いた。

「はい。あの方たちは魔女ではなく女神でございます。そして、彼女たちの家のそばにあるこの日照りの丘は別名勇者の丘とも言われております。彼女たちはあそこに落ちてきた勇者を拾って介抱するのが主な仕事です」


「まじかよ。そう言えば、俺達もあそこに倒れてたんだよな」


「はい。ほおり様も勇者様なのでございます」


「は?」


「本来は一人づつなのですが、例外で二人来てしまったようですね」


「は?」


「しかし、お二人のどちらか、もしくは両方が勇者ということは間違いはありません」


「間違いないの?俺勇者なの?なんで教えてくんなかったの?」


「今、お伝えしましたが」


「おっそいよ!てか、女神もなんで教えてくんなかったんだよ」


「あの方たちは少し意地悪なのです」


「そういう意地悪とかいらないから!」


「勇者であることは喜ばしいことなのではないのですか?」

 本気で焦るほおりにシュガーは不思議そうに首をかしげた。


「だって勇者ってなんか世界とか救うんだろ?無理だって。めんどくさいし」ほおりはため息をついた。「まあでも、勇者になるならとうきの方じゃない?あいつは決断力あるし。俺より上手くやれそう」


「そうなのですか?私は、ほおり様が勇者でしたらいいなと思っていたのですが」シュガーは悲しそうに俯く。「しかし、強要は出来ないのです。義務ではありませんので」


「俺にも出来そうな仕事だったらやってみてもいいけどさ」


 あまりに悲しそうなシュガーにほおりは慰めるように言った。


「本当ですか!」ぱっと顔を上げたシュガーは太陽のような笑顔を見せた。


「では、主なお仕事を紹介致します。まず、人々の平和を犯すような悪巧みする人達を取り締まります。もし、攻撃してきたら立ち向かいます。それから...まあ、そんな感じですね。はい」


「おい、最後絶対なんか飛ばしたな?ちゃんと全部言えよ」


 シュガーはうっと顔を背けた。

「ごめんなさい。でも、これを言ってしまったらほおり様はきっと嫌だって仰ります!」


「でも、言ってくんなきゃわかんないでしょ?」

 ほおりは優しく諭した。


「そうですね。こんなことが起こる確率は本当に低いのでただお耳に挟んでおくだけでよろしいのですが。あの、もしかしたら、世界を征服しようとする魔王のようなものを倒さなくてはならないかも知れないのです。確率的には0.001くらいなので安心して頂きたいのですが」


「うん。やめよう」ほおりは笑顔で頷いた。


「そうですか。やはり、やめようと言われるですね。わかりました。もうほおり様とは一切口をききません。とうき様とのご連絡も承りません」


「え」ほおりの笑顔が凍った。「...いや、嘘だよ。そんな訳ないじゃん。まあやれるとこまでやってみようか」


「本当ですか!?」ぱっと顔を輝かせてシュガーがほおりを見上げた。彼女が人間を尻に敷くという快感を味わった最初で最後の瞬間だった。


「で、なんでそんなに俺に勇者になって欲しいの?」ほおりはシュガーを見つめた。


 見つめられたシュガーは気まずそうに苦笑いした。まるでほおりの視線から逃れる様に顔を背ける。


「あの、それは、ですね...。なんと言うか、その...。あれです。あれなんです」


 言いたくないようだ。しかし、ほおりは無言で待った。


「あー...」シュガーの目がそわそわと動く。そして、わざとらしいほど明るい声を上げた。「あ!もうすぐ街が見えてきましたね!一旦お食事でもいかがですか?」


「うん。で?」ほおりはあくまでも聞き出すつもりだ。


 うるうるの瞳で見つめているのに効果は無いようだ。シュガーは観念して言った。

「ゆ、勇者様のプレパナになりたかったのです。勇者様のプレパナになって仲間に羨望の眼差しで見られたかったのです」


「あー。そうだったのか」ほおりはそれだけ言って歩いている。


 シュガーは恐る恐る見上げた。


私事わたくしごとでしたのに、お怒りにならないのですか?」


「んー、俺もそう思ってた時期あったし」

 前を見たままほおりは言った。


「そうなのですか!その時の勇者様はどなただったのですか?」

 シュガーは興味をそそられた。きっと知ってる勇者に違いない。


「ああ、違くてね、勇者じゃなかったんだけど。...何だっけあれ」

 ほおりは遠くに目をやって懐かしむような顔つきをした。


 そのまま少したった。


「あの、ほおり様?」

 何も言わないほおりにシュガーは心配になって口を開いた。


「ん?」


「さっきのお話の続きはして下ださらないのですか?」


「さっきの話?」ほおりは眉を寄せた。「なんの話してたっけ」


「ほおり様の昔のお話です」


「昔の話?昔の話って...。俺、昔のこと何も覚えてないんだ。なんか、あの女神の家に寝てた前の記憶がなくて」


「そう言えば、とうき様と話してらっしゃいましたね。では、さっきの話はどう言う事なのですか?」


「だから、なんの話?」


 シュガーは、うぅ...と声を詰まらせた。

「何でもないです...」


「そうなの?」ほおりは興味なさげに呟いた。


 妖精はむかむかしてきた。ほおりの手のひらの上にずっといた事と、ほおりの言動に苛立ってきたことがおおまかな原因だろう。


「もうっ!いいです。ほおり様とお話していても楽しくありません」

 そうして、ほおりの手のひらから飛び立った。


「なんだよ。シュガー飛べたのか」シュガーが怒ったことよりも、飛んでいることにほおりは驚いた。「なんでずっと俺の手のひらにいたんだよ」


「飛ぶと疲れるからです!でも、ほおり様の手の上は酔うのでもう乗りません!」


「飛んでたら、横を見ながら喋れるね」ほおりは嬉しそうに言った。


「えっ」シュガーは頬を染めてほおりの顔をみるとまっすぐ前を見ている。視線をたどると家が遠くにぽつぽつと見えてきた。


「あっ」シュガーはほおりの顔の前に来た。「そう言えば、言い忘れていたことがございます」


「どうした?」シュガーの深刻そうな顔を見て、ほおりも眉を寄せた。


「プレパナはとても高級な生き物なのです。他の人間が見たら欲しくなってしまう程なのです」


「そっか。じゃあ、どっかに隠れる?」ほおりは鞄の蓋を開けようとした。


「いえ、そうではなくて。あの、人間になってもよろしいですか?」妖精は恥ずかしそうに言った。


「ああ、なるほど。いい案だ」ほおりは頷いた。


 妖精は嬉しそうに頷くと人間に変身した。妖精の時とほぼ変わらない外見だ。一つ、羽が無いだけだった。ほおりの横を嬉しそうに歩く。


「隣に人がいるっていいね」ほおりは、シュガーに笑いかけた。


 え、とシュガーはほおりを見上げた。

「ほおり様がご希望でしたら、ずっと人間の姿のままでいますね」


「いや、場合によって姿を変えてくれると嬉しいよ。あと、男にはなれないの?」


「なれますが」シュガーは表情を曇らせた。「下手なのです。男性の姿になるのは」


「女っぽくなっちゃうの?」


「そうなのです。仲間にはオネエと言われてしまいました。姿形すがたかたちは男性でも、女性のような言葉遣いや仕草で変わってしまうのです」

 そう言ってシュガーは俯いた。


「難しいんだな」

 ほおりには想像もつかないが、女になるのは難しそうそうだ。


「いえ。私の仲間は出来ていましたので、難しくはないのです。ほおり様もお出来になれます」


「あ、俺はいいよ」


「きっと素敵ですのに」

 シュガーは口を尖らして拗ねたような表情をつくった。


 それを見てほおりははっとした。


「そうだ。シュガー、これからタメ口にしてくれない?」


「ため口...、わかりました。ほおり様のご命令ですから。しかし何故ですか?」


「そのほおり様もやめてね。俺みたいな子供が綺麗な女の子連れて、敬語で話させてるとか、変だろ?」


「そ、その綺麗な女の子とは私の事でございますか?」


 見るとシュガーは頬を染めて嬉しそうに見上げている。ほおりは頷いた。

「うん。別に、綺麗な子でも不細工な子でも同い年くらいの女の子に敬語で話させるのはおかしいと思うから、普通に友達みたいに接して欲しい」


「わかりました。ではほおり、と呼ばせていただきます」


「うん。あとタメでね」


 シュガーはうっと力んだ。

「わ、わかった...」そう言ってふーっと息を漏らす。

そして、何か言おうとほおりの方を向きかけた首がぐいっと戻った。

「あ、あれは!」そう言ってシュガーは走り出した。「こんなところに看板が」


 シュガーは道端にあった古い看板を見つけて感嘆の声を上げた。


「ほおり!看板がありま、あった!」

 慣れないため口に戸惑いながら、シュガーはほおりを呼んだ。


「そうなんだ」ほおりは全く興味がなかった。


「やっとこの道の名前が分かります!よかったー」

 そうして、ポケットから板のようなものを出して何か記した。


「何してるの?」

 ほおりが近づくとシュガーは顔を上げた。


「私の地図に地名を付け足したのです。ほおり様の地図にも付け足すつもりです...あっ」


 シュガーは自分がまた敬語に戻っていることに気がつき、口を抑えた。


「え?俺の地図?...あ」ほおりもシュガーが口を抑えているのを見て、気づいた。「大変そうだし、俺もタメだと違和感あるからやっぱ敬語でいいわ。それより、俺の地図って───」


「いやです!」


 ほおりの声は掻き消された。見るとシュガーが泣きそうな顔をしている。


「私はほおり様のご命令に従いたいのです。諦めたくはないのです」


「じゃあ、敬語で喋ってくれ」ほおりは面倒臭くなってしまった。自分用の地図とは何か、気になってしまう。「後でタメ口の練習をしよう」


 涙が溢れる寸前だったシュガーの瞳が輝いた。


「本当ですか!嬉しいです。練習して下さるのですね」


 無理なら敬語でもいいのだが、ほおりはシュガーの機嫌をあまり損ねないように気を使った。何しろ怒りやすい生き物だ。


「うん。それで俺の地図ってなに?」


「はい。私たち、プレパナは生涯を掛けてひとつの地図を作り上げます。それを見れば、そのプレパナがどのような場所に住み、どのような物に詳しい者と共に過ごしたか、どのような場所を進んだか、分かるのです。そしてもう一つ地図を作ることがあります。それがご主人様の地図です。これにはプレパナ自身の持っている地図の情報を上書きして、その上にご主人様が進まれた道を示したり、ご主人様がどのような手段で道を進まれたりしたかなどを、綿密に記録させて頂いております」


「はぁー、なるほど。ってことは、そのご主人様の地図に、ご主人様が付けた地名とかも付けれたりするんだ」


 ほおりの言葉にシュガーはわずかに目を見開いた。


「可能ですが、付けたい地名があるのですか?」


「うん」


 ほおりが頷いたのをみて、シュガーは自分の胸の前で人差し指を振った。すると、先程の妖精の姿だった時に見せてもらった地図が出てきた。


「これがほおり様の地図です。どこにどのような名前を付けますか?」


「あのー、とうきと別れたとこあるじゃん」


「はい」


「あそこさ、なんか目印欲しいんだけどいい名前ない?」


 シュガーは目をつぶった。


「『 涙の別れ道』とか、どうでしょうか」

 そして目を開いて、若干引き気味のほおりを見て、悲しそうに俯いた。


「あ!思いついた。始まりの別れ道ってどう?」


「『始まりの別れ道』ですね。わかりました」


 シュガーは無表情で地名を登録する。


「シュガーちょっと、自分と変わんねーじゃんこいつとか思っただろ」


「正直に申しますと、私の方がセンスあると思います」


「なんか、ちょっと生意気になった?」


「気の所為です。いい厨二センスですね」


「ちゅうにセンス?なんだそれ。まあ、ありがと」

 ほおりは怪訝そうな顔をしたが、褒められたと勘違いして礼を言った。


 シュガーは焦った。ほおりの顔を見上げて必死に言った。

「ほおり様!これは褒めていません。人を小馬鹿にしているのです。決してお礼など言われてはなりません」


 本気で心配そうなシュガーを見てほおりは首を傾げてふうんと言った。

「なるほど。シュガーは今俺を小馬鹿にしたんだね」


 シュガーはうっとうなった。ほおりは笑った。「教えてくれてありがと」


「い、いえ...」


 シュガーはほおりから目をそらし、今ではほとんど見える街の全貌を見渡し


「ほおり様。ここがナツムです」と言った。


 ほおりは辺りを見渡した。「ねえ待って」思わず焦って言葉が口をつく。



「ここ崖じゃん。どうやって降りんの」



 ............................................................................................................

〖 シュガーの記録 〗

 女神の家→デベリット中心部(女神の聖道・徒歩)>>東に向かい二千歩ほど>>始まりの別れ道→ナツム手前(ユーレフ国 国道274−3・ほぼ徒歩)


 ※カッコ内、道の名前・移動手段

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