第2話 只今、逃亡中

第2話只今、逃亡中

薄暗く長い長いトンネルの中、男は走った。

 身も凍る様な寒い夜だというのに男の額からは、じんわりと汗が滲み漏れ、口からは激しく荒い息が吐き出されていた。

 

 向こうからは、静寂の中けたたましく辺りに鳴り響かせるサイレンの音がトンネルに反響して一層大きく聞こえてくる。

 

 男は荒れる息を押し殺し、隠れる場所を探したが、ここは真っ直ぐ延びたトンネルの中、あるのはジェットエンジンの様な巨大な空気循環機と安全地帯に設置された非常様の電話機、辺りをぼんやりと映し出す等間隔で配置されたトンネル照明……。

 隠れる場所など、見付かる筈もなかった。


それでも必死に逃げようと、ひたすら走った。

 

「逃げ延びてやる」

 

 そんな男の想いと裏腹に、サイレンの音は徐々に近づいてくる。

 赤灯の明かりが壁に反射して、直ぐ近くにまで迫って来ている事が伺えた、背後に迫る魔のサイレンを気にしながら壁に半分支えられる状態でも走り続けるしかなかった。

 男の体力は、既に限界を越えていた。

 手は麻痺していたし、足は前に出すのさえも身体から引きちぎれそうな程で、半ば引き摺る様に無理矢理前進していた。

 

 ズルズルと崩れそうな自分の身体を気力だけで、なんとか前に前にと動かしていたが、迫り来るサイレンを耳に男からは、諦めの色が見え始めた。

 

とうとう、男の足は一歩たりとも動かなくなってしまった。

 いつしか、唯一の道しるべだった等間隔で照らしていた外灯は、無くなり辺りは何も見えない真の闇と化していた。

男は、壁にもたれ掛かり荒い息を吐き出しながら、短い23年という人生を振り返り苦笑気味に、ポツリと言葉を漏らした。

 

「ろくでもねぇ人生だったな」

 

 動く気力など残ってもおらず、魔のサイレンの主が来る事を男は、闇に飲まれた冷たい地面に座り込み、ただひたすら待つ事を選択した。

 待つ間、前も後ろも解らない何も無い暗闇を見ていると、男は一点に目が釘付けになり息をゴクリと呑み込むと、一筋の希望にすがり付く様に疲れた事など忘れ、その場所に慌てて向かった。

 

そこにあったのは、古木で出来ている今にも倒れてしまいそうな土台に、ほんのりと弱々しい光を放つ古びた街灯が一つあるだけだったが、真っ暗なトンネルの中では、十分な灯りだ。

 

ほんのりとした灯りの先に見えたのは、真っ暗な道が一つと、外灯とは違う穴蔵を照らす優しい明かりが差し込んでいる道が一つあった。

 男の目の前に広がる道は、運命の分岐点にも思える。


男自身も、そう感じていた。

一つは、逃げ延びる事の出来る道。

一つは、独房の中で生涯を過ごさなければならない。

男は、この分岐点を眺めながら頭の中で、そんな事を考えていたが道を悩む事はなかった。


 優しく差し込む明かりの先が出口だと悟ったからである。


外に出れば逃げ道などいくらでもあると、高をくくっていたのだ。


男は、重々しく引きずる足をようやく動かしながら、優しく差し込む明かりを目指して一歩づつ、ゆっくりと歩きだした。


まるで、あの明かりが天から下ろされた蜘蛛の糸でもあるかの様に。

男の胸には、希望で満たされていた、これで逃亡は成功するという希望だ。

気付けば、男の顔は不気味にほころび、重々しい足は、軽やかに歩みを進めていた。


男の背後から迫っていた、赤灯とけたたましく唸っていたサイレンの音は、男とは逆の闇に覆われた道を、悩む事なく通り過ぎて行った。

男は、逃げ切れた安堵と目前にしている出口から感じる冷たい風を全身で感じながら、優しく男を導いた明かりを眺めていた。

 

暗闇の中、ぽっかりと空に浮かぶ優しい月明かりを眺めながら男は、ほんの数時間の逃亡劇を思い出していた。

男は、都内の高級住宅街にある、一軒の家に押し入り強盗をしたのだ。

 郵便配達員の格好をし、家主が出て来る時を息を潜めて待ち、扉が開いた瞬間に男はナイフを突き付け出てきた80代半ばの老婆を脅し、ロープで縛り監禁したのだが、事そんなに上手く往く筈も無く、老婆を監禁している最中、男の背後には、長身の若い男が立っていたのだ。

 驚いた男は、思わず手に握られたナイフを長身の男に向い突き刺し長身の男を殺してしまったのだ。

思いも寄らない自体になってしまった男は、本来の目的を忘れ慌ててその家を飛び出したのだが、逃げる途中何を思ったのか男は事件現場に一度戻り、あろう事か、その家に火を放ったのだ。

 馬鹿な男は、事件現場に大量の証拠と目撃情報を残し、事件発生から3時間程で、犯人と特定され、警察に追われる身となった。

 

 強盗・監禁・殺人・放火

重罪人となった男は、その事を思い出し何故あんな馬鹿な真似をしたのか、そんな自分の馬鹿差加減に涙と共に薄らと笑みがこぼれた。

 

 罪が消える事など無い、しかし男は前に広がる広い世界と優しく照らす月光に向い一歩を踏み出した正にその時だった、踏み出した足に感じる筈のアスファルトの感触が感じられないのだ。

 


足には、何も手応えを感じずに、ただひたすら下にと沈んで行く、足だけではなく体も気付けば前のめりになり、宙に浮いて落下していく。

 先程まで目前に広がっていた世界は、一変して大海原へと投げ出され。

 

凍える寒さは、身を突き刺す刃へと変わっていた。

 しかし、男の最後に見たものは、見覚えのある老婆とナイフで突き刺した時に、悲痛で歪んだ長身の男の顔だった。

 

 ~end~

 

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ショートストーリー 秋月紅羽 @rutia0911

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