エピローグ
「月姉様、何処へ行かれるんですか?」
「……ちょっとした用事よ」
玄関で靴紐を結んでいる背中に声をかけると、苛立ちを隠せない声が返ってきました。
朝から、メイド達が慌てた様子で呼びに来たから何事かと思いましたが……なるほど、そういう事ですか。
今の台詞は間違いなく嘘ですね。
我が姉ながら、分かりやす過ぎます。
「月姉様」
「……何?」
「兄様に会いに行かれても、無駄だと思いますよ。むしろ逆効果です」
「…………別に私は、あいつに会いに行くなんて言ってないわ」
「そうですか」
「そうよ……ねぇ」
「はい」
「あいつ……本当に、今度のお休みでも帰って来ないと思う?」
嗚呼、月姉様!
どうして、そういう顔が出来るのに、兄様の前では虐めっ子になられるんですか。普段から、そうなら兄様だって帰って来られるのに。
……ですが、今回は難しいでしょう。
兄様はとてもとてもお優しい方ですが、頑固でもあられますから。
しかも、用意周到に雪姉様の許可は得られてるとのことですし。
「多分……戻っては来られないでしょうね。次に来られるのは、夏休みでしょうか?」
「華は」
「はい」
「それでいいの?」
「……良くはありませんが」
「ならっ!」
「ですが、兄様にご迷惑をおかけして嫌われるのは絶対に嫌です」
「…………私」
「はい」
「…………あいつに、嫌われたのかな? そうしたら、どうしよう。あいつに嫌われたら、そんな事になったら、私、私」
これは重症ですね。
月姉様がこんな風になるなんて珍しいです。数年ぶりでしょうか?
う~ん……こうなってしまうと、治療出来るのは兄様か、もしくは
「――月、華」
涼し気な声が響き渡りました。
振り向き、軽く会釈します。今日もとってもお綺麗です。
ですが、その表情を見てピンときました。
「雪姉様……月姉様にどうしてこんな意地悪を?」
「あら? 私がそんな事をするわけないじゃない。ただ、優からの手紙を読んだだけよ」
「御手紙には何と?」
「『月子に会いたくないから、今度の連休はそちらに戻りません』って」
「はぁ……また、そういう嘘をつかれて」
「あら? どうしてそう思うの?」
「兄様が私達にそんな事を言うわけないじゃないですか。何だかんだ言いながら、私達を大切にしてくださってるのですから」
「む~華には通じないかぁ。残念、あの子を独占出来ると思ったのに」
「駄目です」
まったく、雪姉様は。
お茶目なところは可愛いですが、すぐに兄様を独占されようとするのは問題です。
……私も人の事は言えませんが。
「……ゆ~きぃねぇぇぇ……」
「あら? 月子、もう立ち直ったの?」
「あら? じゃないわよっ!! 朝から私がどれだけ――今のなし。別にあいつのことなんかどうでもいいわ」
「「ふ~ん」」
「っ。あ、私、他の用事を思い出したから。それじゃね」
頬を薄ら赤らめた月姉様は逃げるように、屋敷の奥へ戻られて行きました。
分かりやすいです、とっっても、
それにしても
「雪姉様」
「な~に?」
「兄様は本当に帰って来られないんですか? 寂しいです」
「そうねぇ。う~ん、華には話しておこうかしらね」
「何ですか?」
「あの子ね――他の家の子を泣かしちゃったみたいなのよ。それも複数」
「兄様がですか?」
「各家から、非公式に抗議が来てるわ。まぁ先に私へ『ごめんなさい』連絡が来たけどね。ほら、華子も知ってるでしょ? 森塚の長女絡みよ」
「香澄さんですか。ああ、それはしょうがないですね。兄様は、御友人を大切にされますから」
「まぁ、だからこそあの子、分家筋や『八ツ森』から絶対的な支持を受けてるんだけど……ちょっと、やり過ぎね。実技試験で『桜宮』『天原』『神乃瀬』『御倉』の子達を蹴散らしたらしいわ」
雪姉様が苦笑されています。余程、派手にやられたのですね。
髪紐をとかれなくても、兄様ならばどうとでもなるでしょうし。
ですが兄様? 物事にはやり過ぎ、というものがあるんです。
そういう事をして、大事な大事な大事な、私との時間がなくなるのは駄目です。
これは――お説教が必要ですね!
「雪姉様」
「華、駄~目。まだ早いわ。どうやら、少しはあの子もやる気になったみたいだし、少し見守りましょう」
「……本当ですか? その割には、今日の雪姉様のスケジュール、何故か午後がぽっかりと空いてましたけど。昨日まで、『藤宮』との会合が入っていましたよね?」
「え~私、分かんない~。あ、華、今日、ちょっと出かけるんだけど、和服と洋服、どっちがいいと思う?」
「…………雪姉様」
「ん~? 何~?」
目の前で楽しそうに笑う我が姉――『二宮八家』の実質的頂点にして、字義通りの意味で『世界最強』を謳われる魔法士、十乃間雪子を睨みつけます。
まったく、油断も隙もありません。『藤宮』との会合をキャンセルしてまで会う相手なんて、世界に一人しかいないでしょう。
「ズルいです。兄様にお会いになられるなら、私も連れて行ってください。月姉様はご用事があるみたいですから、お声をかけなくても大丈夫でしょう」
「あらあら。華も悪い子ね~」
そうです私――十乃間華子は悪い子なのです。
月姉様がいない分だけ、兄様――『十乃間史上最高の魔法士』であり、私の大好きな優希兄様との時間が増えるんですから、これ位の事はするのです。
……後で巻き起こる月姉様との喧嘩は今から覚悟しましょう。
さ、こうしてはいられません。準備をしないと。
今日は何を着てもらいましょうか?
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