第10話:全然、大丈夫じゃない

 

「最悪じゃん、あの女!」


 教室に戻ると苛立ちをぶつけてを叫ぶ。

 誰もいない放課後の教室、荷物を取りにやってきた。

 優雨は「何が弄ぶだ、何がぶち壊したくなるよ」とイライラを抑えられない。

 とりあえず、彼女の机を蹴る程度の無意味な報復をする。


「……遠見め。あんな子だとは思わなかった」


 想像以上にひどく、隠されてた本性を見て驚いた。

 

「あんなにも他人を見下し、内心では嘲笑っているなんて。修斗もろくでもない女に目をつけられちゃってさ。はぁ、この真実を今すぐにでもアイツに教えてやりたい」


 だが、それこそが彼女の罠のような気がする。

 

「言っても誰も信じない。普段の猫かぶりな彼女からは想像なんてできないもの」


 どうせなら修斗も連れてくればよかったのだ。

 実際の目で見なければ信じられない。


「とんだ猫かぶり娘。あの子の本性を暴いてやりたい気分よ」


 怒りしかない優雨は不機嫌なまま、


「……どうにかしなくちゃいけない問題がひとつ増えたわ」


 相手はあらゆる意味で優雨にとって天敵である。


「自分の気持ちだけじゃなくて、他人のことまで考えなきゃいけないなんて」


 悩むことが多すぎて、頭が痛くなる思いがした。

 さっさと帰ろうと、バッグをもって廊下に出ると、そこで鉢合わせたのは、


「あらぁ、優雨さんじゃない。こんにちは」

「こ、こんにちは」

「今日は一人? 修斗クンは一緒じゃないの?」


 先ほどの裏側を微塵も見せず、普段通りの穏やかな微笑の似合う美織と対面する。


――え、えぇ!? ちょっと待ってよ、このタイミングで何で戻ってきたの!?


 彼女も優雨と同じで、教室においていたバッグを取りに来たのだろう。

 最悪のタイミングでの遭遇。

 かなりの気まずさを感じながらも、優雨は何も知らないとばかりに、


「今日は別々の行動してるから。そういう日もあるの」

「そうなんだ。いつも一緒にいるに珍しい。これから、淡雪と美味しいパンケーキを食べに行くの。貴方も一緒に行かない?」

「い、いえ、今日は遠慮しておく」


 なぜ親しくもない自分が誘われたのか分からず、すぐに断る。

 それでなくとも、彼女とは親しくなれるはずもなく。


「そっか、残念。今度は付き合ってほしいな。また明日ね」

「えぇ、さよなら」


 すぐさま逃げ出したくなる優雨は立ち去ろうとすれ違う。


「そうだ、忘れてたわ。これ、貴方のじゃない?」


 だが、その足を止めざるをえなかった。

 美織は何かを優雨の前に差し出す。


「ハンカチ?」

「落ちていたのを拾ったの。教室の誰かが持っていたのを見たことあるって思って」


 それは優雨のお気に入りの猫柄のハンカチだった。


――わ、私のハンカチだ。それ、どこで? ううん、私はどこで落とした?


 思案するも嫌な予感が脳裏をよぎる。


――もしかして、さっきの場所で?


 ハッとするも「ありがと」と、とりあえず受けとる。


「やっぱり、優雨さんの? 猫好きだって聞いてた通り。猫は可愛いよね」

「猫は好きなの。遠見さんも?」

「猫ちゃんは可愛いから好きよ。見てるだけで癒されるもの」

「そうだね。私もよく近所の猫と遊ぶと心が和む」

「それに猫って私に似てるって言われるから。私、猫っぽいんだってさ。ふふっ」

「へ、へぇ。そうなんだ」


 愛想笑いで誤魔化しながら優雨は、


――どう考えても、猫かぶりって意味でしょ。この猫系女子め。


 と、突っ込みそうになる。


「ありがと。それじゃ」


 ハンカチをしまい込み足早に去ろうとする優雨だが、


「ねぇ、優雨さん」


 ふいに近づいてきた美織はその言葉を耳元に囁く。


「――さっき見たことは口外しないでね?」

「――!?」


 すぐさま振り向き、顔を見ると彼女は笑顔を崩すことなく、


「――子猫ちゃんが隠れたのは気づいてたんだからね?」


 その一言に、ゾッと背筋を凍り付くような感覚。

 軽く優雨の頬を指先でつついて、


「修斗クンにはちゃんと秘密にしておいてくれなきゃダメだゾ。ふふっ」


 わざとらしく微笑むのが不気味だ。

 言いたいことだけ言うと「パンケーキが私を待ってる♪」と機嫌よく教室に入る。

 呆然として立ち尽くす優雨は心臓が止まりそうになった。


「な、何なのよ。全部、知っていて話をしてたっていうの?」


 なぜか、覗き見していた優雨に気づいてた。

 そのうえで淡雪にあの話をしたりして。


――違う。あの子、確信犯だ。そもそも、わざと私にあの光景を見せたんじゃ?


 思えば彼女が告白されると知ったのは美織の周囲の子たちの噂だ。

 あまりにも簡単に優雨の耳に情報が手に入り過ぎた。


――情報を流して、気にしている私を誘っていたとしたら?


 意地悪目的で、隠れて見ているのを知ってやっていたら、なおさら質が悪い。


「どちらにしても、思いっきり悪女じゃん。ホントに最悪な相手だわ」


 優雨の人生でこれほど危機感を抱いたことはない。


「ああ、もうっ。食えない女……嫌なやつ」


 教室に向かって聞こえない程度の声で悪態をつく。

 とんでもない相手に目を付けられたのだけは確かだった。






「……いーやー、もうやだぁー」


 夕食を食べ終わり、リビングのソファーにうずくまって優雨は悩みに悩んでいた。

 食事も喉を通らず、冷静になると今日の行動は軽率だったと反省する。

 相手に翻弄されて手のひらの上で遊ばれて。

 そのうえ、彼女が修斗に対して何かしらの行動に出ると宣言までされているのだ。


「どーしろって言うのよ」


 修斗が好きだという気持ち、それを邪魔されたくない。

 クッションの方に放っていた携帯からSNSのメッセージの着信音がなる。


「誰か知らないけど、今は無視。それどころじゃない」


 遠見美織、彼女を何とかしなければ修斗を奪われるかもしれない。

 ぐちゃぐちゃに気持ちがかき乱されてしまう。

 ウダウダと悩んでいると、様子を眺めていた姉の日和が声をかける。


「さっきからぶつぶつと呟いて丸まってるけど大丈夫?」

「全然、大丈夫じゃない」

「んー、生理痛の薬いる? ゆーちゃん、重い方だっけ」

「違います!? そーいう悩みじゃないからぁ」


 ちょうどよかったと、話を聞いてほしいとばかりにすがりつく。


「例えばだけどね。嫌な相手が自分の邪魔をするとしたらどうすればいい?」

「先手必勝、一撃必殺! 有無を言わさず、倒すべし」

「――!」

「というのは冗談だけど。邪魔されるのを阻止するのは難しいわよねぇ」

「……顔に似合わない冗談を言わないで。一瞬ドキッとした」


 穏やかな姉らしくない発言に優雨は「キャラじゃないでしょ」とため息をつく。


「でも、どうしてそんなことを? 誰かに呪いでもかけられた?」

「違うってば。あのさ、相談があるの。聞いてくれる?」


 日和は「相談に乗るよ?」と優雨の話を最初から聞いてくれた。

 以前から、修斗を好きだが告白できずにいる。

 その内に自分たちの邪魔を企む悪女に目をつけられてしまった。

 どうしようもなく、悩んでいることしかできない現実。

 打破するためにどうすればいいかを悩み続けている。

 話を聞いていた日和は「それ、悩む必要なんてある?」と笑う。


「さっさと告白しちゃえばいいじゃない」

「それができたらとっくにしてる。そんな勇気がないから困ってるの」

「なんで?」

「だ、だって断れたら嫌じゃん」


 クッションを抱きながら優雨は膨れて拗ねる。


「あらあら。普段はあれだけ強気なのに。自分の気持ちに向き合うと弱いんだから。メンタルをもっと強くしないとダメだよ」

「別に強気じゃないし。私は生意気なだけです」

「ふふっ。素直じゃないだけよ。そこは可愛くもある」


 優雨は自分の性格の弱点くらい、嫌というほど理解している。


――修斗に好きと伝えるのが怖い。


 何よりも関係を壊して、嫌われてしまうことを恐れている。

 誰だって、好きな人にフラれるのはつらい。

 

「ゆーちゃん、前から好きだったもんね。でも、このままだと取られちゃうよ?」

「分かってる。だから悩んでるの」

「んー、ここは考え方を変えましょうか。現実問題、その子に修斗クンとの関係を壊されちゃう可能性は何%くらいあるでしょう?」

「遠見に壊されたり、奪われる可能性?」


 そんなことを言われて考えてみる。


――あの発言がどこまで本気かもあるよね。本人は遊び半分のつもりみたいだわ。


 仮に、すべてが本当だとして、邪魔されて壊されてしまうのは……。


「修斗自身が彼女に惹かれているのも込みで約40%くらいじゃない。私も抵抗するし」

「それじゃ、シュー君にゆーちゃんが告白して成功する可能性は?」

「これまでの付き合いで考えれば、70%くらいはある気がする」


 ただし、残りの30%が大いに不安なので行動できない。


「はい、答えは出たじゃない。どちらがゆーちゃんにとっていいのか。悩むよりも行動に移しましょ。告白した方が後悔しなくても済むはずよ」


 確かに日和の言う通りかもしれない。

 このまま何もしなければ、優雨の恋は邪魔されて終わる。

 でも、頑張って告白すれば叶う可能性もある。


「告白した方が失敗の可能性は低い?」

「私から見ても、シュー君が優雨の告白を無下に断ることはしないと思うの」


 今の優雨にできるのは選択肢としてはひとつしかなかった。


――告白するよりも他に手はないもの。


 邪魔されて終わる程度ならば最初から見込みはない。

 それならば、ダメ元で告白した方がこの恋が報われる可能性が大いにある。


「……うぅ、それしかないの?」

「シュー君と恋人になりたいなら勇気を出さなきゃダメじゃないの?」

「分かってるわよ。でも、だけど、もうっ!」


 気恥ずかしさと緊張感で心が苦しくなる。


――アイツに好きだって言うのがこんなにも大変なんて。


 たった一言、されどその一言だけが言えないもの。

 

「ゆーちゃん」

「……これしか方法がないならしょうがない。頑張って告白する」

「うん。それがいいわよ。じゃ、今から行ってくれば?」


 現在の時刻、夜の7時過ぎである。


「い、いや、今からはちょっと遅いし。明日にしようかな」

「何で? 今くらいの時間に遊びにいくのはよくあるでしょ」

「それはそうかもしれないけど、今はまだ勇気が……」

「覚悟を決めちゃいなさい。下手に伸ばすと辛いよ?」


 こういう時の姉は手厳しい。

 姉から強引に後押しされて仕方なく、優雨は修斗の家に行く覚悟を決めた。


――どうせ、これしか方法もないんだからしょうがないわ。


 追い込まれてしまったのだから、後にも引けない。


「……行ってきます」

「いってらっしゃい。幸運を祈るわ」


 気が重いまま、彼女は家から出ていこうとする。

 だが、靴を履きかけて立ち止まってしまう。


「や、やっぱり、ちょっと休憩してから……」

「早く行ってきなさい。それともシュー君を呼び出すとか?」

「いやだぁ、やっぱり怖いもの。そんなに簡単に告白する勇気なんてもてません!」


 告白するも一苦労。

 嫌でも家から出ていこうとするのを拒む。


「はぁ。ホントにメンタル弱い子だなぁ」

「……何とでも言って。雰囲気を大事にしたいから、明日にする」

「物は言いようね。私の妹が想像以上にヘタレちゃんだった件について」

「うるさぁい。私だって、私だってね。好きでこんなに……」


 優雨が玄関先で口論していると、ドアがノックされていきなり開く。


「――どうもっす。優雨、いますかー?」


 のんきな声と共にドアの向こうから修斗が現れる。


「へ?」

 

 まさかの張本人の登場に優雨は完全に固まった。


「あれ、優雨じゃん? ちょうどよかった」

「――なんで、いきなり現れたぁ!? アンタ、空気読めない子か!」

「な、なんだよ。びっくりするなぁ。大声で叫ぶなよ。L●NEみてないのか。自転車のカギを返してもらいに今から行くって送っただろうが?」

「そ、そんなの知るかぁ! うわぁああん。修斗のバカぁ!」

「げふっ!? な、なんだと……俺が何をした……」


 パニックに陥った優雨に、修斗は理不尽にもボディーブローをくらわされる。

 まったくもって運のない男である。

  

「ゆーちゃん、可愛い。そして、シュー君はいつもタイミングが悪いなぁ」


 その様子を日和だけが笑って見つめていたのだった。

 

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