第3話:これは、白い悪魔だ


 お皿に乗っているのは白いオムライス。

 人生で一度も口にしたことのない品である。

 そもそもオムライスとは、黄色の卵の黄身色が目立つものだ。

 黄色の卵に包まれて、ケチャップをかけられたあの定番のオムライス。

 子供時代から誰もが口にして、ほっと一息つけるような家庭料理である。

 だが、目の前の品はその概念を覆す。


「これは、白い悪魔だ――」


 想定外の出来に修斗の口からそのセリフがこぼれた。


――真っ白すぎて逆に怪しい。こいつはシロじゃない、クロだ。


 王道から外れた邪道、白一色である。

 ふわふわとした白い卵に包まれて、ホワイトソースがかけられている。

 アレンジをしたにしても、されすぎて味の想像ができやしない。


「失礼ね。食べてもいないのに悪魔とかはないわ」

「白い闇と言ってもいい。ダークネスホワイト。危険だ、恐ろしい」

「意味不明だし。さっさと食べなさいよ」


 何が入ってるのかも不明なので、どこから手を付けていいのやら。


――はい、いただきますって言える状況じゃねぇよ。


 いくらお腹がすいていても、危機感を抱く修斗をよそに、


「美味しそうじゃない。白いオムライス。こう来ましたか」


 姉の日和はスプーンを片手にご機嫌そうだ。

 どうやら、この白い物体に心当たりがある様子。


「日和さん。白い悪魔に見覚えでも?」

「テレビでやってたのよ。洋食屋さんの人気の一品、純白のオムライスってね」

「真っ白なんですけど! どこをどうみても、普通じゃないでしょ」

「それはね、実は使ってる卵が違うのよ」

「卵が? どういうことっすか」


 通常の卵の黄身は黄色のが普通だ。


「卵の黄身の色ってニワトリにあげるエサによって色が変わるのは知ってる?」

「いえ、聞いたことはないです」

「ほら、よく色の濃い卵とかもあるでしょ。あれはエサが違うだけなの。これもそう。世の中には卵の黄身が白い卵があるのよ」


 卵の黄身の濃度はニワトリの種類が違うだけではない。

 与えられているエサによって色が変化するのである。

 エサにトウモロコシではなくお米などが使われている場合、黄身の色が白色になる。

 通称、ホワイト卵。

 青白い色の卵はいろんな料理に使われている。


「ホワイト卵を使った白いオムライスが話題になったこともあるわ」

「……なるほどなぁ」


 だが、しかし。

 優雨の料理を見ていた修斗は思い出すのだ。


「でも、優雨が使ってた卵は普通に黄色い卵でしたよ」

「え? そうなの?」


 料理の最中、ボールに入れていたのは間違いなく普通の黄身色だった。


「俺が渡したのは白色の卵じゃなかったんですが?」

「んー? どういうこと?」


 これに違いないと確信を持っていた日和は?マークを浮かべる。

 仕方なく、作った本人に視線を向けると、


「お姉ちゃんの言うホワイト卵は知ってるけど、あれはスーパーで売ってないよね」

「あれ、違うの?」

「アイデアは同じ。でも、これは市販の卵を使ってます。アレンジをしただけ」

「……そうなんだ。じゃ、この白い悪魔は何なのかしら」


 想像していたものと違ったのか、日和も言葉の端に危機感が現れる。


――今、日和さんもさらっと白い悪魔って言いましたぞ。


 人間、思ったものと違うと警戒するものである。

 コロッと態度を変えた日和に、優雨は膨れっ面をして見せる。


「ふたりして、白い悪魔はひどい。普通に食べられるから食べなさい」

「……未確認物体に危機を持つのは当然だろ」

「むかっ。いいから食べろって言ってるでしょ!」


 全然、スプーンをつけようともしない修斗に苛立つ。


「せっかく作ってあげたのに。その態度は腹立つわ」

「な、なにをするつもりだ」

「お口を開けなさい。食べさせてあげるわぁ。ほらぁ、あーんして?」


 スプーンで一口すくうと、修斗の口元に持ってくる。

 甘い仕草に見えるがその実、拷問の類にしか思えない。

 逃げ場がなくなり、彼は「や、やめてくれぇ」と嫌がる。


「往生際が悪いわよ、修斗。さぁ、お食べ?」

「い、いやだぁ。こんな白い闇を食べたら俺はどうなるのか」

「どうもならないわよ。早く食べて。冷めるでしょ」


 彼は救いを求めるように隣の日和を見た。


「ん? ほら、シュー君。先にどうぞ?」


――あっさりと見捨てられた!?


 地雷の一口目はお前が行けとばかりに、言葉を続ける。


「せっかく愛情をこめてゆーちゃんが作ってくれたんだもの。最初の一口はシュー君に譲ってあげるわ。ぜひとも堪能してちょうだい」

「ひ、ひでぇ。人身御供にする気だぜ」

「違うわよ。そもそもこれはキミのために作ってくれたものでしょう?」


 日和の穏やかな微笑はもはや小悪魔の微笑にしか見えない。

 彼女はおっとりとしているようで、意外と黒いところも見え隠れする。


――ちくしょう。結局はこうなる運命かよ。


 嫌がり続けていると、優雨は「ひどいわ」と顔を俯かせる。


「せっかく頑張って作ったのに。食べてさえもらえないなんて。ぐすっ」

「えー?」


 わざとらしく泣き真似すらしてみせる。


――優雨さん、お前はそんなキャラじゃないだろうが。


 しかしながら、ここまでされては男の子としては逃げるわけにはいかない。


「わ、わかったよ。食べればいいんだろ」

「さっさとお食べなさい。ほら、あーん」

「あ、それはするのね」


 黙って口を開けるしかない。

 スプーンに乗った白いオムにホワイトソースがかけられている。


――そもそも、このドロッとした液体は何だ? ホワイトソース?


 その見た目から思いつくのはクリームシチューである。


――そういや、デミグラスソースで食べるオムライスもあったな。


 専門店ではその手の品もあったのを思い出す。


――これは優雨のアレンジ版。クリームシチューのオムライスって感じか。


 ただのクリームシチューならば死ぬことはないはず。

 味のイメージさえできれば、食べることはできそうだった。

 強引ながらも「あーん」と口に入れられた白い悪魔。

 人生で一度も口にしたことのない、そのお味は……?


「……なんじゃこりゃ」


 想像していたよりも、マズくはなかった。

 オムライスの基本であるオムはふわっと仕上げられており、文句はない。

 ライス部分も普通のバターライスのようだ。

 問題はそのホワイトソースの味である。


「辛いような甘いような、形容しがたい味がする」


 例えるようとしても、例えられるものがない。

 甘さと辛さの混じり合った複雑な味わい。


「食べても大丈夫? 身体に悪影響はなさそう?」

「そこまでの心配はなさそうですよ。ただ、何だろう。これは……?」

「即死系じゃないのなら、私も食べてみましょう」


 警戒しつつも、日和も白いオムライスを食べる。

 もぐもぐと食べてみて、その味に「あれ?」と思い当たりがありそうだ。


「もしかして、ホワイトカレー風?」

「これがカレー? 全然、色が違うんですけど!?」

「正解。お姉ちゃんの味覚は鋭いね」


 ホワイトカレー。

 北海道が発祥とされている白いカレーライスである。

 クリームソースを使っているので、シチューと材料はさほど変わらない。


「じゃーん。買ってみた香辛料とスパイスを使ってみたの。あんまり色の強いスパイス系だと色が変わるから、バランスをとるのが難しかったわ」

「……それじゃ、このホワイトのオムは?」

「それは卵白をメインにしたものよ。卵から黄身を取り除いて、白身だけを味付けして最後はチーズを加えてマイルドにしあげてみました」

「なるほど。卵白か。確かに白い卵焼きってあったわよね」

「オムに使わなかった黄身はバターライスに混ぜたのよ。食材は無駄にしてないわ」

「……アレンジしすぎじゃん。ただのホワイトソースでもよくね?」

「そこをあえてホワイトカレーにしたのがポイントね」


 魔法の粉、と言っていたのはチーズの粉だったようだ。

 まさに白色にこだわった、ホワイトカレーのオムライス。

 それがこの優雨バージョンの白いオムライスの正体である。


「で、味はどう? 美味しい?」

「……見た目のインパクトにやられたけど、味は悪くない。食べられるだけマシさ」

「失礼なやつね。お姉ちゃんは?」

「食べられるよ。うん、未体験の味がするわ」


 どちらも食べ進めてはいるものの、美味しいという言葉は聞けず。


「……ちぇっ。奇を衒(てら)いすぎたかなぁ」


 アレンジというのは時に不必要なものもある。

 狙いすぎてもダメなものはダメなのだ。


「今度はもっと分かりやすく危険そうなレッドホットなオムライスにしてみるわ」

「赤い彗星はやめてぇ!?」


 見た目からして激辛な品が想像できてしまう。

 そして、味見役をさせられるであろう修斗は間違いなく死ぬ。


「お前なぁ、激辛はマジでやめて。ホントにやばい」

「だって、普通じゃ面白味がないでしょう」

「あのさ、優雨。その、普通でいいと思うぞ」

「なんで?」

「お前の料理、多分だけど、普通に作れば普通に美味しいと思う」


 料理スキルはあるので、無駄なアレンジさえしなければまともにできるはずだ。

 今回もクリームシチューならば悪い出来ではなかった。


「な、なによ。いきなり褒めるな」

「……褒めたわけではないのだが」


 どこか照れくさそうにする優雨は小さく笑いながら、


「まぁ、たまには普通の手料理を食べさせてあげてもいいかもね」

「そうしてくれ」


 不機嫌だったご機嫌は戻ったようである。

 いろんな意味で驚かされた食事が終ろうとしていた。

 

 

 

 

 修斗が家に帰り、後片付けをする優雨と日和。

 お皿を洗いながら、「ねぇ、聞いてもいい?」と日和が尋ねる。


「ゆーちゃん。最近、シュー君と何かあった?」

「何かって?」

「料理を作ってあげるなんて珍しいじゃない。どういう心境の変化かなぁって」


 日和の言うことも分からなくはない。

 優雨という少女は無駄なことはしない。

 他人のために、ということを自分からするタイプでもない。


「……何もない。そーいう気分だっただけ」

「ホントに?」

「何が言いいたいの、お姉ちゃん?」

「学校で何かあったんじゃないのかなって。例えば、シュー君を自分に振り向かせておきたいことでも起きたとか? 彼の気を引きたい、そんな風に思えたの」


 チクリ、と心が痛むような感覚。

 思い当たる節がないわけではない。


――遠見美織。あんな派手な子が修斗に近づくなんてありえない。


 突然、修斗の周囲に現れた女子。

 彼女の存在が優雨の心に影響をわずかながらも与えたのは事実だろう。


――人気者が地味で冴えない修斗程度の男子になびくはずなんてないのにね。


 修斗は女子からモテないわけではない。

 ただ、優雨とお似合いなだけで女子が遠慮してるだけだ。

 その見えない壁を壊してきた、不可侵領域に侵入してきたのが美織である。


――なんだろう。このモヤモヤとする気持ちは……。


 言葉で説明できない、不愉快さ。

 晴れない気持ちに不安を抱き、今回みたいな真似をしてみたりして。


「外見的にも性格的にも、魅力の欠片もない。そんな修斗を振り向かせておく理由なんていらない。それじゃ言い訳としてはダメかな?」

「いつまで、自分の気持ちに向き合わないままでいるつもりなのかなぁ」

「なによ、それ」

「言わなくても自分の事は自分がよく分かってるものでしょ?」


 悩みを抱える優雨の心を見透かしたかのように、姉は言葉をかけるのだった。


――不安なのかな。私、アイツとの関係が崩されちゃうような気がしてさ。


 修斗とはこの4年間、ずっと一緒だった。

 築き上げてきたのは友人関係を一歩だけ先に進めたもの。

 素直になれなくても、誰よりも長い時間を一緒に過ごしてきた自負がある。


「何でもないよ。ただの気まぐれ以上の理由なんてないもの」

「そう。それで、ゆーちゃんが後悔しないならいいんじゃない」

「その言い方は……いえ、何でもない」


 心のどこかで彼が自分のものだと思い込んでいた。


――今さら私たちの関係は揺らがない。そうに決まってる。


 なのに。

 現実的に自分だけのものではない、と思い知らされた気がした。


――修斗は単純バカだから、露骨な誘惑につられちゃう可能性がないわけでもない。


 だからこそ、今日のように、修斗を家に連れてきて料理を振舞ったりして。

 自分たちの関係を再確認してみたり。


――この悩み、杞憂に終わればいいのだけども。


 気持ちの整理ができないままに、優雨は心にモヤモヤを抱えるのだった。

 関係を変えたいのに変えられない。

 言葉にならない、もどかしさのようなものが優雨にはあった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る