第13話:愛は人を不幸にする


 優那が恋愛を苦手になったのは小学生のあの日を境になっている。

 少女の恋心が消えてなくなった。

 家族がバラバラになってしまった、悪夢の始まり――。

 それは数年前、優那がまだ小学生だった頃。


「これをちーちゃんに渡すんだ」


 千秋の事が好きで、彼へのラブレターを姉のアドバイスを元に書き終えた。

 あとはそれを渡すタイミングを見計らっていた。

 だが、そんな最中、あの事件は起きたのだ。


「どういうことだ、江梨!」


 仕事で不在がちな父が帰ってくるなり、姉の江梨を激しく攻め立てる。


「本当なのか、それはッ!?」


 リビングで怒声をあげる両親の前には江梨と彼氏と思われる男性がいた。

 普段とは違う怒りの顔をする彼らの前に優那は怯えてすくむことしかできなかった。

 叱責を受ける江梨は淡々とした言葉で、


「……ホントだよ」

「妊娠している? しかも、相手は高校の教師だと? そんなふざけた話があるのか」

「お父さん、これは私が悪いの。私が先生を好きになって……」

「好きとかそんなことはどうでもいい。なんてバカな真似をしてくれたんだ」


 当時、江梨は妊娠していた。

相手は同じ高校の教師だった。

 普通の父親ならばそれを許すはずもなく、二人に暴言を吐き続けて攻め続けていた。


「そもそも、高校教師と付き合うとはどういう状況だ。貴様、教師なんだろ」

「……申し訳ありません」

「申し訳ない? そんな安っぽい言葉で謝罪などされても困る。こんなことが表ざたになってみろ。我が家は恥さらしだ」


 周囲の反応、体面を大事にする父にとってそれは汚点とも呼べるものだった。

 娘の気持ちよりも、自分自身の保身を優先して考える。

 有名一流大学を卒業し、大手製薬会社の主任研究員として働いている。

 つまづいたこともなくエリートの道を歩んできた彼にとって、自分の娘でつまづくとは想像もしておらず、怒りの気持ちが溢れだす。

 

「実の娘が高校教師の子を孕んだ。それをどう納得しろと言うんだ」

「まったくよ。こんな事になるなんて」

「どれだけ迷惑をかけたら気が済む。はぁ」

「江梨、貴方の軽はずみな行為で私達がどれほどの苦痛を味わうと思うの」


 母親も同意見のようで、完全に姉は孤立していた。

 

「でも、私は先生が好き。この気持ち、後悔なんてしてない」

「それは現実を知らない貴方が子供だからよっ。子供ができるって言うのはそんな簡単なことじゃないのよ。愚かなことをしてくれたわ」

「好きな人の子供なら、私は――ぁッ」


 パチンっと響く痛々しい音。

 言葉を言い終える前に、父親に彼女は叩かれた。


「や、やめてください」


 それを姉の彼氏は身を挺して守る。

 彼女を守るように抱きしめながら、


「こんなことを言う資格はないのは分かっていますが、彼女に暴力は振るわないであげて欲しい。すべての責任は私がとります」

「当然だ。そもそも、お前がうちの娘に手を出さなければこんなことには!!」


 普段は温厚で穏やかな印象の両親をここまで怒らせてしまうなんて。

 優那は何も言えずに、廊下でその様子を見つめるだけだった。

 

「はぁ。とにかく、時間がないな。江梨。今すぐ、その子をおろせ」

「お父さん。自分が何を言ってるのかわかってるの」

「お前が分かっていないだけだ! 今、ここで問題を大きくするわけにはいかない。こんな恥しか生まないことを世間に知られてたまるか」


 問題そのものを強引に揉み消そうとする。

 生まれてくる命を消そうとしてでも。


「……自分の好きって気持ちに素直になっただけ。それの何が悪いのっ」


 それでも、姉は自分の愛を貫いた。


「私はこの子を産むわ、誰に何と言われようとも!」


 江梨の愛は一途で真っ直ぐなものだった。

 両親から非難されても、怒号と罵声を浴びせられても。

 自らの愛を信じて、折れずに貫き通した。

 高校を中退し、子供を生むと言う選択。

 江梨が選んだ道は途方もなくつらく厳しい現実が待ち受けていた。

 彼氏が高校教師であったこともあり、周囲からの罵詈雑言がぶつけられて、向けられる悪意のすべてを彼女たちは受け止めた。

 それでも、自らの選択肢に後悔をすることはなかった。


「私はこの愛を貫くわ。どんなことがあっても、この子を産みたいの」


 その犠牲になったのは家族の絆。

 毎日が嫌になるくらいの喧騒の日々。

 両親と姉の間に飛び交うのは互いの罵倒のみ。

 何もかもが崩れて、壊れてしまった。





 結婚して、新しい家族を手にした江梨は家から出て行った。

 両親は結婚のことも許さず、未だに孫娘と一度も会ったことはない。

 もはや、姉の存在は最初からいなかったように扱っている。

 研究職と言う仕事に逃げるように没頭して、家に帰ることはほとんどなくなった。

 当然のことながら、もう一人の娘である優那にも興味をなくした。

 きっと、優那のことを両親はもう愛してはいないだろう。

 子供とどう付き合えばいいのかすら分からなくなってしまった。

 家族と言う形は粉々に砕け散り、今も、修復すらできずにいる。

 時の流れは何も解決なんてしていない。

 あの出来事は優那を変えた。

 愛は幸せになるためのもの、そんな甘く綺麗な言葉ではない事を思い知らされた。


「愛は人を不幸せにする」


 優那は愛を信じられなくなり、千秋への想いすら封じ込めたのだ。

 人を愛することが人を不幸にすることを知った。

 愛しても、幸せになれないことがある。

 それは恐怖と言う意味で子供の心に大きな傷を与えた。

 いつしか千秋への恋心は心の中から消えていた。

 愛すると言う思いを封じ込めて、見失ってしまった。

 

「人を好きになるのが怖い。もう、あんな風に何もかもをなくしたくはないから」


 少女の心にトラウマを刻み込んだ事件。

 両想いになろうとしてた片想い。

 心に今もその気持ちは心のどこかにまだ残り続けているのだろうか。

 

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