第14話:振り向かず、前を向いて


「……優那ちゃん? ゆーなーちゃん?」


 優那の身体を揺する彩華。

 周りを見渡せば食事をしていた中庭だ。

 ベンチに座りながら、ウトウトと眠っていたらしい。


「あっ、ようやく意識が戻った。どーしたのよ。いきなり、ぼーっとして?」

「完全に意識が落ちてた。眠いからな」

「いやいや、食事中に意識が飛んじゃうってやば過ぎでしょ。睡眠不足?」


 優那は食べかけてたサンドイッチをかじりながら、


「私の能力のひとつ、食事をしながら眠れるんだ」

「器用すぎでしょ、その特殊能力。優那ちゃんはただ猫みたいにお昼寝が好きなだけ」

「今日はとても日差しが心地よくてな。初夏は過ごしやすくていい」


 やんわりと誤魔化しながら優那は見ていた夢を思い出す。


――なんであんな夢を見たんだろう。


 家族の絆が壊れていくのを、ただ見ているだけしかできなかった。

 あの思い出したくもない日々の事を……。


「顔色がよろしくないよ?」

「嫌な夢を見ていたせいだな」

「昔の夢?」


 彩華には優那の過去について話をしたことがある。


「人間誰しも嫌な事は忘れたくなるだろう? 私もそうだ、忘れようとしている。自分の過去を、想いを、忘れたいと望んでいる」


 あの事件は姉たちの問題だ。

 優那が直接関係しているわけじゃない。

 だが、あの件が原因で優那は千秋を好きだと言う気持ちを封じた。

 そうすることでしか自分を守れなかった。

 

「千秋君への想いを何で忘れようとするの? 大切な思い出でしょ」

「忘れてしまった方がいい事もあるさ」


――忘れて見ないようにしてしまった方が、自分が楽になれるんだ。

 

「幼い頃の私は千秋に“恋”をしていた」


 優那の口から告げた言葉に優那自身も驚いた。

 自然に漏れた言葉、その意味に気づいてしまう。


「やっぱり、初恋相手だったんだ!?」

「……さぁ?」

「今、自分で言ったじゃん!?」


 無意識に呟いたので優那は恥ずかしくなってしまう。

 紙パックのジュースに手を伸ばして乱暴にストローで吸う。


「そんな事実はない」

「はいはい。素直じゃない。ということは千秋君の片想いじゃなくて両思いだったんだね。なんだぁ、それなら今だって恋人になればいいのに」


 首を振って否定の意思を見せた。

 

「それは違う。私達は両想いではない」

「どーして? 昔は千秋君が好きだったんでしょ?」

「……」

「で、今でも幼馴染として一緒にいるという事は彼自身の事を嫌いになったわけじゃない。という事は?」

「片想いだよ、彩華。今も昔も、ふたりの気持ちはひとつにならない。私達は両想いにはなれなかったんだ。私は……」

「優那ちゃん……?」


 優那は震える手を自分の膝元に置きながら、

 

「私は怖いんだよ」

「え?」

「私が人を好きになったら、今度は何を失うのかって……」


 お姉ちゃんが恋をして得たものは今の幸せ。

 大切な娘がいて、愛する夫がいる日常。

 逆に失ったのは家族としての平穏な生活。

 両親の笑顔と家族の絆。

 ならば、優那は愛を手にすると、何を得て何を失うのか。


「……人を好きになると言う事は何かを失う事なんだ」

「優那ちゃん」

「私はそれを知っている。恋をしたら、どうなってしまうのかが怖い」


 どうしようもない恐れと不安。


「今度は何を失うのか、これ以上、私から何を奪ってしまうのか? それが怖い」


 愛さえなければ。

 家族の絆も、当たり前の日常も壊れはしなかったのに。


「私はね、誰も愛したくないんだ。愛に溺れても、希望がない」

「そんなことないよ。それは違うよ、優那ちゃん」

「彩華」

「愛を否定しちゃダメ。自分の気持ちから目を背けちゃダメなんだよ」


 彩華がそっと優那を抱きしめて慰めてくれる。


「私は人を好きになるのが怖い。不安ばかりを抱えてしまう」

「トラウマなんだね。怖いのは分かるよ。でも、お姉さん達みたいなことにはならない。優那ちゃんが愛を手にしても何も失う事なんてない」

「その保証がどこにもない。今の私は優しい幼馴染がいて、頼りになる親友がいて、とても満たされている。この人間関係を壊したくない」


 励ましてくれる友人は有難い。


「本当に面倒だな、私は……」


 前へと進みたい自分がいる。

 だけど。

 それ以上に過去を振り返り、前へと進めない自分もいる。

 心の弱い自分が憎らしい。


――過去が消えない。不安を振り払えない。


 人を愛することに不安しか覚えない。

 そんな優那を変えて支えられるのはひとりしかいない。

 結局は優那が勇気を持つしかないのだ。

 過去を振り切って、前へと進むための小さな勇気を――。

 

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