第2話:恋人にはなれない


 もう2年前になるが、優那は千秋に告白されたことがある。

 中学3年の夏のことだった。

 近所の公園に呼び出されて、優那は彼に想いを告げられた。


「優那。今日はお前に話があって呼び出したんだ」

「わざわざここに呼び出す理由はどこにある? 少なくとも、隣の家に住む人間をわざわざ200メートルも歩かせるだけの価値のある内容なんだろう?」

「うちの近所の公園に歩いてくるのさえ、面倒なのか。それくらい頑張ってくれよ」

「いやだね。どうせなら私の家で話せ。暑いのは嫌いなんだ」


 優那は面倒くさがりで物ぐさな女の子という間違った方へと成長していた。

 幼い頃と違い、ずいぶんと変わってしまった。

 こんな風に何事にも興味を持てなくなったのは家庭環境の変化もある。

 あの事件が彼女を根本的に変えてしまった。

 いつもと違い、どこか落ち着かない様子の千秋は、


「優那、しっかりとよく聞いて欲しい」


 そわそわとした素振りを見せて優那に言う。


「あのさ、俺は……あー、ちょっと待って。心の準備ができてない」

「……何だ? 早めに事を終えて、私はクーラーの効いた部屋に戻りたいんだが」


 夏の暑さにうなされそうだ。

 もう既に優那の頬には汗がにじみそうなくらいであり、さっさと帰りたい。


「相変わらずのにゃんこだな」

「ん? あぁ、前にお前が言ってたな。私は猫系女子だって」


 猫系女子か犬系女子か、優那はどちらのタイプか。

 そう問われれば、優那は猫系だろう。

 その自由気ままな性格が、事あるごとに千秋に面倒をかけている。


「気分屋なところがな。でも、そういう所もいいと思う」

「何がだ? お前、今日は変だぞ」


 いつもと違う態度に優那はどこか違和感を感じる。

 幼馴染らしくない態度。

 それは彼が優那と接していることに緊張感を持ってると感じたからだ。

 やがて、優那の顔をジッと見つめてから、千秋は伝える。


「単刀直入に言う。俺は優那が好きなんだ。愛してるんだ」

「……愛? それはいわゆる、ラブという意味で?」

「そうだ。幼馴染なんていう関係で留まらず、恋人という関係に一歩を足を踏み出したい。そう、俺は優那という人間に惚れている」

「それは世間一般で言う愛の告白と捉えてもいいのか?」

「もちろん。俺はそのつもりだよ」


 千秋の告白。

 それを聞いた時、胸の奥がぎゅっと締め付けられる想いがした。


――千秋が私を好き。


 ずっと愛されたいと願っていた。

 千秋が好きだと言う気持ちが確かに優那の中にあった。


 “あの日までは――”。


 だから、優那の出した結論は、意外なものだった。


「……ごめんなさい」


 頭を下げた優那の長い髪が夏の風に揺らされた。

 顔を上げた千秋が「え?」と驚いた表情を浮かべる。

 優那の答えはNOだった。


「私は千秋を恋愛的に好きではないし、恋人になるつもりはない。どう考えても、幼馴染以上の関係になれない」

「なんで……」

「その気持ちは嬉しく思うよ。だが、残念ながら私には無理だ」

「ちょっと待ってくれ。優那、それはどういう意味だ?」

「そのままの意味さ。私は千秋を異性として好きではない。今後もいい幼馴染でいてくれることを望む。お前の事は嫌いじゃないからな」


 千秋は優那の淡々とした言葉に呆然とする。

 告白を断った。

 自らの意思で、彼の想いを打ち砕くことに躊躇いはなかった。

 断れるとは思わなかったのか千秋のショックも相当なものだったようだ。


「……優那」


 嘘だろう、と言いたげな表情。


――分かってるよ、ホントに。


 優那だって、逆の立場ならそう思うに違いない。

 それだけの親密な関係だった。

 普通の幼馴染以上の関係を築いてきていたのだ。


――それを私は裏切ったんだ、一方的に。お前は何も悪くない。


 悪いのは自分自身だという自覚が彼女にはある。

 彼を慰めるように、優那は言葉を選びながら、


「お前は世間的にはイケメンと呼ばれるレベルだからきっと素敵で可愛い彼女がすぐにできるさ。千秋にはそういう女子がお似合いだよ」

「そんなことはない。俺には優那しかいないんだ」

「私みたいな面倒くさがりな女はやめておけ。自分で言うのもなんだが、女としての魅力にも欠けている。千秋を満足させられるような存在ではないよ」


 ――もっと早く、お前のその気持ちを聞きたかった。


 そうすればきっと優那は素直に気持ちを受け入れられたはずなのに。


「ごめんな、千秋」


 優那はもう一度だけ謝ると茫然と立ち尽くしたままの彼の元から去った。


――本当にごめん。


 顔が見えなくなると、優那は心の中で彼に謝罪する。

 彼の告白を断ったのは彼女の事情だ。

 心の中にあった恋心をどこかに無くして。

 誰も愛せなくなっていた。


「千秋……私の初恋はお前だったんだ」


 夏風を感じながら優那はそっと自分の胸に手を当てる。

 直接は言えなかった言葉。

 ずっとずっと言いたくて、でも言えずにいた。

 

「初恋だった」


 過去形とすることで、その終わりを自覚する。

 どこかで区切りをつけなくてはいけない。

 もう自分にはその資格がない。


――誰も愛せない。誰も好きになれない。


 愛情というものが、自分の人生を壊した。

 その痛みが怖くて、前へ進むことを拒絶する。

 

「嬉しかったよ。千秋に好きって言ってもらえれて、私は片思いじゃなかったんだって」


 優那の口元にはわずかな笑みすら浮かんでいた。

 それなのに、なぜ彼の想いを断ったのか。


「今の私は誰も愛せないから。もう誰も愛せない」


 きゅっと唇をかみしめて、そう呟く。

 誰にも届かない思いは風に乗って消えていく。

 いつしか“子猫”は誰も“愛すること”ができなくなっていた――。


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