第1話:成長して変わったもの

 

 時は流れ、季節は巡り。

 数年後の高校2年の初夏。

 梅雨明けを間近に控えた季節。

 自室の布団の中で優那は心地の良い眠りについていた。

 

「おーい、優那? 朝だぞ?」


 もう朝だ、と優那はようやく意識を覚醒させる。


「ん……」


 聞きなれた男子の呼び声に優那は布団から起き上がろうとする。

 優那の部屋は実にシンプル、女の子らしさなど皆無と言ってもいい。

 何着か放置されている女物の服を見てようやく女の子の部屋だと分かる程度だ。

 いつの頃からか、彼女は女子らしさというものを失った。


「起きてくれ、朝だ。優那、強制的に起こしてもいいか?」

「やだ。まだ眠いから寝かせてくれ」

「朝飯を食べてる時間がなくなる。強制決定だな」


 ベッドの布団からはみ出る白い肌をした生足を引っ張られる。


「うぎゅ」


 情けない優那の声。

 そして、布団を取り上げられて優那は無防備な姿をさらすのだった。


「何をする?」


 勢いよく、パジャマが脱げかけて白の下着が見え隠れする。

 素肌をさらす、お尻のラインが丸見えだった。

 

「お前、それは普通にセクハラだぞ。私がパジャマを着用していない裸族だったらどうしてくれる。抗議だ、抗議! このセクハラ魔め」

「そういう発言はもう少し色っぽいパンツをはいて言おうな」

「何を!? 純白の下着の何が悪い」

「シンプルすぎて照れくさくもないわ。ほら、さっさとお尻を隠しなさい」

「脱がしたのは千秋だろう。まったく、もっと優しく起こす方法もあると思う」


 脱がされかけたパジャマを直しながら優那は不満を口にする。

 その姿を呆れた顔で見ている男の子。


「美人の幼馴染を起こすのに、普通はドキドキすると思うんだ」

「私にドキドキしてもいいぞ? 遠慮するな」

「……遠慮どころか、襲う気もなくなるよ。無防備すぎるわ、この子」


 幼馴染、千秋はため息がちにそう呟いたのだった。


「優しく起こしてほしいって? それで起きるのならいくらでもやってやるよ。この数年、お前を起こすのに苦労している俺の気持ちを理解できるか? ん?」

「……おはようございます、千秋君。今日も良い朝ですね」


 棒読みで優那は幼馴染への感謝の気持ちを告げた。

 朝の弱い優那は目覚まし時計程度では目が覚めない。

 ほぼ一人暮らしている今では千秋が起こしてくれなければ遅刻決定だ。

 両親は共に製薬会社の研究職。

 最近では職場に近い場所に別のマンションを借りており、この家では優那一人だけで暮らしているのが現実だった。


「ようやくお姫様はお目覚めになったな。さっさと顔を洗って、制服を着てくれ」

「ふぁい」


 眠い目をこすりながら優那は身支度を整える。

 その間、キッチンの方では包丁の音が響く。


「千秋、今日は卵かけご飯がいい」

「はいはい、とっとと着替えてこい」


 千秋は男子ながらも料理をそつなくこなす。

 イケメンでもあるため、クラスでも普通に人気のある男子だ。


――まったく、こいつだけは文字通りの”いい男”に成長したものだ。


 幼い頃の期待そのもの。

 頼りがいもあれば、優しくイケてる自慢の幼馴染になったものである。

 着替えが終わる頃には美味しそうな朝食が出来上がっていた。

 さっそくいい匂いを漂わせるお味噌汁に口をつける。

 

「……ん。今日もいい味だ。薄すぎ、濃い過ぎない。私好みだぞ」

「その前に、ちゃんと”いただきます”を言いなさい」

「お前は私のお母さんか」

「最近、そんな気もしてきたよ。男の俺に母性を目覚めさせるんじゃない」


 軽く笑って答える千秋はテレビのニュース番組を眺めながら共に食事をする。


「身の回りの世話をしてくれる幼馴染がいてくれて助かるよ」

「そりゃ、どうも。だけどな、俺から言わせれば幼馴染(男)がすることじゃないと思うんだよ。こういうシチュって幼馴染(女)がするものじゃないか?」

「そんなものは男の理想的な夢。気持ち悪い妄想の世界の中の物だ」

「……優那に言われるとなんか悲しくなるな」


 千秋は近所に住んでおり、ほぼ毎日のように優那の世話をしてくれる。

 優那の両親からの信頼も厚く、優那の家の合鍵すら預けられてる。


「異性としての立場が逆転していることに疑問を抱くのは俺だけか」

「言っておくが私は料理が下手なわけじゃない」

「……知ってるよ? やればかなりおいしい料理を作れるものな」

「朝が弱いだけで千秋の世話になってるだけだ。その辺を勘違いしないでくれ」

「はいはい。味噌汁美味いか? 最近、自分でも上達したと思うのだが」


 優那は「美味しい」と短く答えて卵かけご飯に手を伸ばす。


「優那も夕食は自分で作ってるんだから、たまには俺に夕食を振舞うとかないわけ?」

「なぜ私がお前のために料理を作られなければいけない?」

「……いろいろとひどいや」


 千秋は拗ねて、優那が食べ終わった食器を片付け始めた。

 普段からの行為に感謝はしてるが、それ以上に馴れ馴れしい関係も苦手なのだ。

 優那という少女はすっかりと自堕落で、面倒くさがりになってしまった。

 いや、あらゆることに興味がなくなったと言ってもいい。

 かつての乙女らしさがどこにもない。

 人の成長は良い方面ばかり変化するとは限らない。


「そう言えば、今日は敵の姿がどこにもいないな? 目視で確認できる範囲に敵はいない、不意打ちには注意しなければ。奴は常に俺を狙ってる」


 彼が警戒心を抱く存在。

 それは優那の飼い猫、キャラウェイ。

 毛並みの美しい銀毛の猫である。


「心配せずともキャラウェイなら別室に置いてきた。今頃、エサでも食べてるよ」

「それなら安心だ。悪は去った、正義が最後に勝つのだ」

「意味不明だし。お前の猫嫌いはよく知っている。あんなに可愛いのにな」

「可愛さは関係ない。ところでキャラウェイって何でそんな名前なんだ?」

「キャラウェイは和名で姫茴香|(ひめういきょう)。セリ科で香辛料にも使われる花の名前だ。花言葉は“迷わぬ愛”。名前の響きが好きで名付けた」

「……迷わぬ愛か。優奈はあの猫を溺愛してるからな」


 ちなみに千秋は大がつくくらいに猫嫌いだ。

 姿を見ればビビッて逃げ出すくらいに天敵と呼んでいる。


「可愛いあの子をビビるなんて、お前のヘタレ度には呆れるよ」

「ハッ!? 猫の恐ろしさを知らないから言えるのさ」

「恐ろしさねぇ? 今や猫の駅長がいる世の中、猫好きが大半だというのに」

「ふっ。あれは俺が小学1年の夏の――」

「食事終了だ。そろそろ、登校の時間だよ」


 あっさりと話を打ち切られて、千秋は凹んで見せた。

 

「この人、俺の事、本気で嫌いなのかなと最近、思うようになりました」

「そんなことはないさ。千秋がいなければ……」

「いなければ? 俺は必要な存在だろ?」

「私の朝はこんなにも穏やかではいられない。落ち着いて食事などできないだろうし、そもそも、今の時間はまだ私はベッドの中にいる」


 千秋はあからさまに不満そうな顔をして、

 

「ちぇっ。俺の存在意義ってその程度かよ」

「大事な幼馴染だとは思ってるよ?」


 優那は拗ねる千秋の頬を手でそっと触れた。


「千秋の笑顔がないと寂しい。お前の笑顔は人を幸せにするからな」


 それは紛れもない本音だった。


「お、おぅ」


 彼はどこか照れくさそうな表情を浮かべる。


「ずるいんだよ。そういう所が……おや?」


 千秋の携帯電話が鳴り響き、彼は「ちょっと」と席をはずして電話に出る。

 

「はい。俺だけど……うん、だから、朝は一緒に学校にいけないって言ってるじゃん?理由? 前にも言ったように、朝は俺には大事な用があるって」


 電話相手は不満を千秋にぶつけてるのか苦い顔をする。


「浮気なんてしてねぇよ。何で朝からそんなことを言うんだよ」


 少し揉めているのか、彼はくしゃっと自分の髪をいじる。


「その辺を信じられないって言うのなら……はぁ、この話、あとでちゃんと話そう。電話、切るぞ。分かってる、また学校でな」


 電話を切ると彼はため息をつく。


「……彼女からか? 確かB組の吉村さんだっけ?」

「それは前の前の彼女。今は1年の桜岡愛紗美と付き合ってる。後輩なんだけど、ちょっと面倒な性格っていうか。あー、とそろそろ時間だ。行きますか」


 どこか誤魔化すように千秋は話を終わらせた。

 幼馴染のいるいつもの朝の日常。

 千秋は優那にとってかけがえのない幼馴染だ。

 だけど、彼には今、“恋人”がいる。

 成長して変わったもの。

 幼馴染としての関係は良好だが、ふたりは“恋人”にはなれなかった――。


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