第3話:我遭難セリ、至急救助ヲ求ム

 

 それは不幸な事故ともいえる出来事だった。

 体育倉庫の後片付け、偶発的にも、亜衣と伊月は閉じ込められてしまう。


「おーい、助けてくれー」


 助けを呼ぶも、ふり始めた雨音が彼等の叫び声を打ち消す。


「……どうすっぺ」


 何度も叫んでも助けが来ず、伊月は絶望する。


「この雨さえなければなぁ」


 叫ぶ声は雨音にかき消されてしまい、このままでは救助が来ない。


「アレだよな。次の授業でいなかったらさすがに気づいてくれるよな?」

「さぁ? 伊月は存在感があまりないから」

「……俺の存在否定はやめれ。マジで凹むから」


――皆、優等生ばかりで俺が浮いてるのを気にしてるのに。


 微妙に傷つく伊月であった。

 とはいえ、傷つき凹んでいる場合ではない。


「……気づいてくれないとまずい事になるわ」

「雨だから今日は部活もなさそうで……ハッ!?」


 現実的に、閉じ込められたまま一夜を過ごす羽目になる。

 さすがにその前には助けられる可能性が高いが、楽観視はできない。


「授業だったから携帯も持ってないしな」

「持っていても伊月はクラスメイトに電話できる相手が何人いるか」

「人を友達いないみたいに言わないで。いますよ、ちゃんといますよ。ホントよ?」


 などとお互いに暗くならないように軽口を言い合う。

 現実問題として、出られない状況に変わりない。


「こういうシチュって漫画とかでよくみた事があるよな」

「……使い古された古いもの。ありきたり」

「で、現実になったら超焦るのな。マジ、やばいわ」

「湿った空気が気持ち悪い。湿度が半端ないのが嫌だ」


 ベトベトとした湿気を亜衣は嫌う。

 唯一の窓から脱出を試みるも、出られそうではない。


「あの上側にある狭い窓は……亜衣でも抜け出せないか」

「あの狭さで逃げられたらイリュージョンね?」

「……ちくしょー。完全に閉じ込められちゃったな」

 

 鍵も外から施錠されているために、脱出不可能だった。

 コンクリートの壁、わずかな窓の隙間から入り込んでくる湿った空気。


「やべぇ、超やべぇ……どうすっぺよ」

「伊月、うるさい。ジッとしてなさい」

「……」

「黙らないで、何か話して。空気読みなさいよ、バカ」


――どっちだ!?


 うるさいと言われ、静かにしていれば話せと言われる。

 相変わらず、理不尽な要求を亜衣だった。


――こいつも不安なんだろうな。


 その様子は見て取れる。

 亜衣も女の子であり、こういう状況に不安を感じずにはいられない。


「SOS。我、遭難せり。至急、救助を求む」

「……モールス信号してる場合じゃない」

「現実逃避よ、逃避。時間が過ぎるのを待つしかないさ」


 マットの上に座り、雨音が響く薄暗い体育倉庫で助けを待ち続ける。

 伊月はどうにもならないと抵抗をやめた。

 誰が自分たちの存在に気づいてもらうのを天に祈るしかない。


「そういや、俺の中学時代の友人がこんなシチュになったと言ってたな」

「ホントに? その時はどうだったの?」

「……男ふたりで閉じ込められて、悲惨な目にあったって」


 あまり想像すらしたくないシチュだった。

 ものすごい微妙な空気が流れる。


「そういう意味では俺達は男と女、よかったな」

「全然よくないわよ!」

「なんだと! 俺の友達なんてもっと悲惨だったぜ。それに比べたら」

「そんなのと比べないで」


 厳しいご意見に伊月も表情を曇らせる。


「雑談でもしてればそのうち、来るって。授業のチャイムが鳴って10分くらいか?」


 さすがにそろそろ、気づいてもおかしくない時間帯だ。


「存在が希薄な私達に誰も気づいてくれなかったら?」

「……残念、てへっ♪」

「残念で済むかぁ!?」


 猫のように威嚇する声をあげる。

 実際の所、ふたりの存在はクラス内では薄い方だ。

 どちらも性格的に派手で目立つ方ではない。

 その上、恋人のようにべったりと二人でいる事も多い。

 あの二人は付き合ってるという認識はされていても、存在感とは別の問題である。


「そう怒るな。これは長期戦も覚悟せねばならない」

「……したくない」

「俺だってそうさ。それにしても、6月だっていうのに少し寒いな」

「んっ。そっちに寄る」


 やはり、薄着の体操服だけでは寒いのか、身体をすり寄せてくる。

 亜衣は伊月に身体を触れ合わせることには抵抗を感じないようだ。

 自然といつもの感じで寄ってくる。

 猫っぽい仕草に伊月は口元に笑みを浮かべる。


――亜衣ってどことなく猫に似てるよな。


 前々から感じていたが、亜衣はどちらかと言えば猫系女子だろう。

 性格だったり仕草だったり、自由気ままな所が猫のようで可愛らしい。


――とはいえ、この距離で何もできないのがななぁ。


 手の届くところにいるのに、手は出せないもどかしさ。

 悔しい、と思う反面。

 

――ここで何かできたら、チャンスなのでは?

 

 恋人未満の関係の現状打破ができるチャンス到来ともいえる。

 結局、何もできないのが伊月なのだけども。


「寒いのなら、俺が手でも握ってやろうか」

「現状維持。それ以上触れたら潰すわ」

「何をっすか!?」


 不安どころか危機感が増した――。

 元々、口が悪い子ではあるが、本日は3割増しだ。

 この状況で不安にならないはずもなく。


――早く誰でも良いから気づいてくれないかな。


 震える亜衣に寄り添われて伊月はそんな事を考えていた。





 その頃の教室では6時間目の国語の授業が行われていた。


「次は滝口君……あら? いないの?」


 先生に当てられて、ようやくクラスメイトは彼らの存在がいないことに気づく。


「小倉さんもいないわね。ねぇ、滝口君と小倉さんは?」

「あれ? そういえば、体育の時間から戻ってきていない?」

「まさか、ふたりしてサボりとか?あのふたり、恋人っぽいからなぁ」

「今頃、学校サボってデートって流れ? いいなぁ」


 などと茶化しているクラスメイトもいれば、対照的に、


「……も、もしかして?」

「い、いやぁ。さすがにそんなことは……ないよね?」


 後片付けの時に鍵を閉めた女子生徒たちの顔には焦りが見える。

 大した確認もせずに鍵を施錠し、そのまま着替えて戻ってきた。

 しかし、よく考えてみれば、中に残されていた可能性もある。


「もしも閉じ込められてたらやばくない?」


 外は大雨、助けを呼んでもきっと聞こえない。


「せ、先生。実は……」


 怖くなった彼女達は教師にワケを話すことにした。





 クラスがざわつき始めた頃、体育倉庫で伊月は大人しく待ち続けていた。

 

「現在、授業が始まり30分が経過。さすがに気づいてくれたはず」

「ただ、サボってると思われてるかも」

「俺は授業をさぼるような子じゃありませんよ!」

「……授業に出ても、ちゃんと学んでないけどね」

 

 ポツポツと倉庫の屋根を叩く雨音。

 伊月たちは気落ちして、言葉も少なくなっていた。

 

「あー。どうして、誰も助けに来てくれないんだよぉ」

「そもそも、閉じ込められる原因になったのは誰のせいだと思ってるの?」

「……鍵をかけた女の子たちのせい?それとも俺達の存在感が希薄なせい?」

「伊月がふざけけたことをしたせいでしょうが!」


 ムッとする亜衣に怒られて素直に「すみません」と謝る。


「大体、伊月があんなものを見つけて……思い出しただけでも不愉快になる」


 くどくどと文句を言い続ける。


――俺のせいか? いや、まぁ……原因ではあるかもしれない。


 結果的にそうなってしまったことは認めざるをえない伊月だった。


「なぁ、亜衣……このまま、このまま誰にも見つけられなかったらどうしよ」

「普通、不安に追い打ちかけるようなこと言う? 伊月はデリカシーがない」

「現実的だと言ってください」


 改めて、彼は亜衣に言葉を選びながら、


「なぁ、亜衣……あんまり近づかれると、俺も欲情しそうだ」

「死ねばいいのに、変態。むしろ、今すぐ死ね」


 軽蔑の言葉と共に侮蔑的な視線を向けられる。

 亜衣の視線に耐えきれず、伊月は凹みながら、


「……ぐすっ。そこまで言わなくても。間を持たせようと努力してるのに」

「方向性が全く違う事に気づいて……んっ」


 ふと、彼女の様子に変化が……。


「どうした? 寒いならもっと近づいてくれ。俺が喜ぶ」

「……ぇっ……」


 薄暗い体育倉庫で隣の亜衣は身体を震わせている。


「はぁっ……ぅっ……」


 艶っぽい吐息をもらす亜衣に伊月は内心、ドキドキさせられる。


――な、何だ? 急にどうした?

 

 様子を豹変させる亜衣である。

 その瞳はどこか涙目で、艶っぽさを抱かずにはいられない。

 

――妙に亜衣さんが色っぽいんですけど!?

 

 それはまるで誘惑するかのような仕草。

 このシチュエーションで亜衣の発情期モードのスイッチでも入ったのか、などとバカなことを考えてしまうのは悲しいが男の性(さが)なのであろう。


「亜衣さん? どうしました?」

「なんでもない」

「それはない。なんだよ、調子が悪いのか?」

「違うの。そうじゃなくて、あの……」

 

 普段のクールさが嘘のように顔を赤らめる。

小さな体を震わせて、その唇から甘い声で囁いた。


「――どうしよう、伊月。したく、なってきちゃった」

「――!!!!?」


 亜衣の口から飛び出した、想像外の発言に伊月は思わず尻もちをつく。

 まさかの誘惑宣言。

 思わぬ形ながら甘ったるい展開に人生で最も緊張感を味わう伊月だった――。

 

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