第2話:彼女が引きこもった理由


「もう2週間か」


 どんな時でも朝はくる。

 目を覚ましてカレンダーで日付を確認する。

 伊月はため息をつきながら朝の支度をしていた。

 制服に着替えて、リビングに行くと、朝ご飯を準備する母に声をかける。


「おはよう、母さん」

「今日も早いなぁ。最近、学校に行く時間でも変えたん?」

「……いろいろとあるんだよ」


 関西出身の母、凛花|(りんか)は関西弁の特徴的な話し方をする。

 大阪のおばちゃんと言う感じだが、見た目的には美人のためギャップがある。

 父親は繁華街で人気の洋食店のシェフとして活躍している。

 そして、伊月にはもうひとり家族がいる。


「にーにー♪ おはよー」


 食事をしようとすると、足元に小さな女の子が近づいてくる。

 可愛らしい赤のリボンを髪につけた少女。

 

「咲綾、おはよう。今日も可愛いなぁ」

 

 この可愛い女の子は伊月の実妹である。

 名前は咲綾|(さあや)、まだ3歳と幼い。

 伊月にとっては10歳以上も年の離れた妹だ。

 彼が中学生になった時に生まれた妹で、感覚的には妹と言うよりも娘に近い。

 

――俺も将来、こういう子供を持ったりするんだろうか。

 

 娘の成長を見守るような不思議な感覚。

 年の離れた妹は伊月にとっても可愛く、面倒見がいのある子供だった。

 

「それじゃ、行ってくるから。咲綾、行ってきます」

「いってらっしゃい、にーにー」

 

 朝食を食べ終わると、咲綾の頭を撫でて、家を出る。

 彼がこんな朝早くに起きて、出かけるには理由がある。

 それは、幼馴染の亜衣の事だった。

 

「おはようございます」

 

 彼女の家の前で挨拶をすると玄関先に彼女の母親、保奈美が出迎えてくれる。


「おはよう。いつもごめんね、伊月君」

「いえ。それで、亜衣は?」

「今日もまだ出てこないわ。ホント、どうしちゃったのかしら」


 そう、亜衣には現在、大きな問題が発生している。

 世間的に言う、引きこもり、不登校という類のものに陥っているのだ。

 ここ2週間、病気でもないのに学校を休んでいる。


――あの亜衣がこんな風になるとは思いもしていなかったな。


 伊月も毎日のように、迎えに来ているが成果はない。

 というか、この2週間、会えてさえもいない。

 部屋の扉越しに会話はしても、姿を見せないでいるのだ。

 

――やっぱり、アレだよな。

 

 それだけの事件は確かにあった。

 だが、伊月はまさかここまでの事態になるとは思いもしていなかったのだ。

 

「それじゃ、またあがらせてもらいます」

「えぇ。お願いするわ。悩みがあるのなら聞いてあげて」


 原因を知っているとは言えずに彼は頷くしかなかった。

 亜衣の部屋の前にたどり着くと、部屋をノックする。


「亜衣。おはよう。今日こそ、学校に行かないか? みんなも心配しているぞ」


 声をかけても返答はない。

 だが、何かしらの物音はするので起きているのは予想できた。


「……大丈夫だって。あのことは、もう過ぎ去った。忘れてくれるは、ず!?」

 

 ガンっとテーブルを叩くような音に、伊月はビクッとする。

 どうやら亜衣は怒ってるらしい。

 

「それ以上は言うなってことですね、はい。すみません」

 

 小さく嘆息して、彼は「また放課後に来るから」と諦めるしかなかった。

 こんな光景が毎日繰り返されている。

 ある事件のせいで亜衣は部屋に引きこもってしまった。

 このままの状況が続くのは誰も望んでいない。


「俺が何とかしないとな」


 その理由を作ってしまった罪悪感。

 さて、2人の間に何が起きたのか。

 それは2週間前までさかのぼる――。

 

 

 

 

 2週間前の昼下がり、男女別々で体育の授業が行われていた。

 あいにくの曇り空、気にしていた雨はかろうじて降らず。

 男子はサッカー、女子はハードル走、体育の授業自体は何事もなく終わった。

 だが、雨の降りそうな気配に後片付けに手間取る。

 片づけ担当がたまたま亜衣と数人の女子だった。

 

「よぅ、亜衣。なんだ、今日は片付け当番か?」

 

 ハードルを片付ける亜衣に同じく体育を終えた伊月が声をかける。

 

「……そうよ。雨が降りそうだから早く片付けないと」

「頑張れよー」

「えー、滝口君。幼馴染が困ってるんだから助けてあげなよ」

「可愛い幼馴染を見捨てちゃうの?」


 周囲の女子がそう協力を促す。

 この二人が幼馴染であることは周知の事実である。

 むしろ、恋人に近いとさえもクラスメイト達は認識していた。


「それはキミたちも困ってるからでしょうが」

「いいじゃん、男の子だし。これからタッキーって呼んであげるから」

「そんなあだ名はいりません。まぁ、いいけどさ」


 亜衣の手に持っているハードルを受け取る。

 重さはさほどでもないが、数もあるので片づけは迅速に行わなければならない。


「急がないとホントに雨が降るぜ」

「うん。ありがと、伊月」


 伊月も手伝い、片づけはスムーズに進むはずだった。

 最後のハードルを体育倉庫の奥の方へとしまい込んでいると、


「……はっ。俺は今、とんでもないものを発見した」

「何?」


 亜衣はハードルを置いて、彼の方に近づく。

 

「ふふーん。こんなものを見つけちゃった」

 

 にやにやとした、いやらしい顔に呆れながら、


「だから、何?」

「これ見て下さい。未使用の近藤夢さんです」


 にやついた顔で床にあるものを指さす。


「し、死ね、変態っ!」


 げしっと蹴られて伊月はマットの上に吹っ飛んだ。


「ぎゃふんっ」

「そ、そんなものを私に見せないで」


 顔を赤らめて亜衣は「バカじゃないのっ」と怒りを示す。


「いてぇ。お、俺が持ってたものじゃないっての。ここに落ちてたのっ」


 いわゆる、避妊具がこんな場所に落ちている自体がおかしい。


――まぁ、学校でそういう事をしてる輩がいるってことだけどさ。


 思春期の男ならばこの時期に興味本位で財布に入れてたりする。

 使う機会があるかどうかは、別としても。


「……つまり、これは事件だ。ここで何かしらのR指定の儀式が行われてた」

「うっ……な、何言っちゃてるのよ」

「何とは何かを説明しようか、それは――ぐはっ」


 二度目の無言の蹴りを受けて、伊月は「ごめんなさい」と謝る。

 亜衣は大人しいと見せかけて、結構、怒りに任せて手が出る方だ。

 その姿は幼馴染である伊月にしか見せない。


「ほら、マットもあるし、人気も少ない。体育系部活の誰かが犯人であろう」

「……ドキドキ。ホントにする人もいるんだ」

「青春だからね。俺もやってみたいよ、ちくしょう。羨ましい――がはっ」


 三度目の蹴りは男の下腹部近くで、さすがの伊月もうなだれる。

 悶絶する声にならない声。

 男の大事な場所を平気で攻撃する亜衣に恐怖を覚える。


「お、おぅ……おふっ、あ、亜衣さん、そこは蹴っちゃダメよ。うぅお……」


 下腹部を押さえながら、もだえる伊月を見下ろして、

 

「妙な想像させないで。バカ伊月。さっさと片付けなさい」

「嫌だよ。未使用でも触りたくないよ」

「……はぁ。私は見たくもなかったわよ」


 羞恥心で照れる亜衣。

 何をバカなことをしてるのか、とふたりしてげんなりしていた。

 すると、外から声が聞こえる。

 同じく片づけをしていた数人の女子たちである。


「あれぇ? 亜衣ちゃんと滝口君は?」

「もういない? クラスに帰ったのかも。あの二人仲良いよね」

「男の子がお手伝いしてくれてよかったよ。それじゃ、さっさと閉めちゃおう」

「うわぁ、雨も降ってきた。本格的に降ってくる前で助かったぁ」

「後片付け、終了ー。鍵はセンセーに預ければいいんだっけ? 次の授業って数学でしょ。私、いまいち、今の所、理解してなくて……」


 誰もいないと思った彼女たちの手によって倉庫の扉が閉められていく。

 それには慌てて亜衣が声を上げるも、

 

「ま、待ってー!?」

 

 その声は無慈悲にも彼女達には届かず。

 

「あ、あーっ!」

 

 悲しい現実。

 ガチャンっと音をたて扉が閉められてしまい、彼らは顔を青ざめさせた。

 

「や、やらかしてもたぁ!?」

 

 うっかりと閉じ込められた状況に絶望するしかない。

 不安そうに「どうしよう?」と慌てふためく亜衣である。

 これはまずいことになった、と伊月と亜衣は顔を見合わせた。

 密室に閉じ込められ、どうにもならないトラブル発生。

 そして、それがあの悪夢を生むのであった。


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