第5話

 空気が一瞬で凍ったように、ぴんと張り詰める。イグザスはそんなものをお構いなしに、いつも通りの口調で話を続ける。

 顔に笑顔が張り付いているが、目が笑っていないため非常に怖い。


「私たち竜の国は人間の国へ侵攻することはありません。そして、竜の国のものが人間の国で不貞を働くことがあれば人間の国の法律で裁いていただいて構いません。どこに異議があるのかおっしゃっていただきたい」


 そう、大昔に人と竜との間で勃発した戦争が終わって以降、竜の国が人間との協定を破ったことはない。今回も条約を破ったのは人間側なのだ。そして、人間はたびたび竜の国へちょっかいをかけている。

 もちろん、竜の国の不届き物が不貞を働くこのもあるが、誠意のこもった対応をいつも見せている。

 それが今回この仕打ち、この発言。堪忍袋の緒が切れてもおかしくはない。

 待機していた兵士が、槍をイグザスに向ける。

 王はだんまりを決め込んでいる。しかし団長へ向ける目がすべてを物語っている。


(なるほど、そういうことか)


「和解を、受け入れていただけますか? 王よ」

「……わかった! 受け入れよう。イグザス皇子の申し出を受け入れる」


 圧に耐えられなくなったのだろう。団長が何か言う前に、王は慌てたように承諾の返事をする。


「では一つだけ、お願いがあります。今回、条約を破ったのはあなた方だ。ゆえにこれからもそのようなことが起こらないために、人質をいただきます。安心してください。五年間、あなた方が条約を破らなければ、人質はお返しします。それでは

 この場にいる……アウニを人質としていただきます」

「な、なにを言っている! アウニはこの国の重要な人物だ。それはならん。それにアウニは、私の婚約者となる予定なのだぞ! 」


 そんな話は、初耳である。

 私を振り返り、そうなのか? と目線を投げかけてくるイグザスに勢いよく首を横に振る。

 最近やたらと近づいてくるとは思っていたが、まさかそんな魂胆があったとは思いもよらなかった。


「あなたの婚約者になる予定は、ないそうですよ。王子」

「うるさい!! 私が決めたのだ!! アウニもきっと喜ぶに決まっているだろう」

「馬鹿言ってんじゃねぇぞ、てめぇ。お前なんかに姉貴を預けるわけねーだろうが。姉貴を預けれるのはイグザスだけだって決まってんだよ。大体、姉貴はお前のことなんてこれっぽっちも気にしてねーし、微塵も喜びなんかしてねーよ」


 今まで大人しくしていた弟の暴走を慌てて止める。後半のセリフはごもっともだが、前半のセリフは些か気になることがある。


「あれでもこの国の王子だ。敬意なんて持てないかもしれないが、ここでそんな口をきくな」




 アウニも、同じような口の利き方をしていると思ったが、ここでそれは突っ込まないことにした。

 それよりも、みるみる顔を上気させる王子が見ていて面白い。アウニを嫁にもらうなどと言い出した時はさすがに少し焦ったが、ゾルガの言う通り微塵もそんなつもりがないことを聞いて安心した。


「私はあなたに聞いているのではありません、王子。王に伺っているのです」

「誰でも好きに連れていくがいい。そして早くこの国から立ち去れ」

「あぁそうだ、世話役も必要でしょう。ゾルガもいただいて行ってもよろしいですね」

「よいよい、好きにしろ! 」


 団長殿が慌てた様子を見せているが、王の許可は下りた。

 私は二人に目を合わせ、微笑む。

 本当はもっと穏便に済ませるつもりだったが、アウニに近づくあの王子のせいで、些か冷静ではいられなかったようだ。

 先程の会話はすでに魔法紙(魔法の効力をもった契約書)に書き込まれている。ひとつを王に、もうひとつは私が持ち踵を返し王宮を後にした。



「なぁ、姉貴。返還式なんてバックレよーぜ。どうせ人間の国になんて帰るつもりねーしさ」

「イグザスたちに迷惑はかけられない。我慢しなさい。これが終われば騎士団を抜けることも、この国を出ていくことも自由なんだから」


 久しぶりに騎士団の正装にそでを通し、なんだかぎこちなさを感じながらも、私たちは返還式が行われる王宮の広場に向かう。

 待機場所にはもうすでにイグザスとその護衛という名目でラミーユが準備を終えて立っていた。



「二人とも、どうせ竜の国に帰るつもりなんだろ? なんでこんな無意味なことするんだよ」

「王侯貴族というのはのは形式にこだわるんだ。アウニたちがこれからどうするかは関係なく、人質を返還するという契約を果たさなければいけない。わかりやすく、な」


 王の声が聞こえる。これから行われることを国民に説明しているのだ。そんなことをされなくても国民たちはとっくに理解しているだろうに。まぁ、これも形式だけのものだ。

 王の声が聞こえなくなったと同時に国民から割れんばかりの拍手が起こる。

 私は三人を連れ、広場に歩み出た。

 滞りなく返還式を終え、アウニとゾルガの二人は国民に手を振っている。二人はこの国の民に愛されていたのだろう。「また店に寄ってくれ」だの、「剣術の稽古をつけてくれ」だのあちらこちらから、様々な声が飛び交っている。

 一通り国民たちに挨拶を終えた二人は、騎士団の正装を脱ぎ捨てた。

 これには私も少しドキリとしたが、二人ともちゃんとその下に服を着こんでいたようだ。

 ざわめく周囲も気にせず、二人はこちらに帰ってくる。私の前まで来ると王たちのほうに振り替える。


「私たちは、今日をもって騎士団を退団させていただきます。みんな、私たちはまた竜の国に帰るけど、しばらくはこっちにいるし遊びにも来るから、その時はよろしく」

「姉貴も俺も、実は半分竜の血が流れてんだ。まぁ、だからと言って竜になれるわけでもないし、みんなを裏切る気持ちなんかこれっぽっちもないぜ。むしろみんなを疲弊させてたのはそこの団長と王なんだよな~」


 最後の一言は余計だと、アウニに殴られる。何た言いたげな視線を姉に向けているが、素知らぬ顔だ。

 国民はというと、最初はあっけにとられていたが二人の選択を祝福していた。


「では、宿に戻るとするか」


 歩き出そうとした私たちと反対に、ラミーユが私たちの後ろに飛び出す。


「団長さんよぉ、わからねぇとでも思ったか。こちとら魔法のエキスパートだ。そんな姑息な真似が通用すると思うなよ」


 何が起こったのか、魔法適性の高い者たち以外理解していない。ただ、私たちに危害が加えられそうになったということだけは理解したらしく、国民からは非難の嵐だった。

 私たちはその騒ぎに乗じて、さっさとその場を後にした。



 それから、一か月ほど人間の国に滞在しそこを満喫した。

 アウニとゾルガと一緒に街を歩けば色々なものを手渡され、帰るころには両手に持ちきれないほどのお土産をもらった。


「返還式の時も思ったが、二人は人気者なんだな」

「それほどでもないよ。ただ、みんなが優しくしてくれたから、それを返していきたいとは思ってるよ」


 広場で子供たちに剣の稽古をしているゾルガと子供たちを愛おしそうに眺める姿は、初めて会ったときよりも儚げで。まるでもう自分の役目は終わったとでもいうような雰囲気で、思わず押し込めていた言葉があふれ出てきた。


「ラミーユだけでは少し頼りない。だから、アウニ。これからを一緒に過ごしてくれないか? 」

「? もちろんだよ。これから竜の国に帰ったら、イグザスにたくさん恩返しするつもりだしね」


 少し離れて周りをうかがっていた、ラミーユが吹き出した。趣味の悪いやつめ。盗み聞きをしていたようだ。

 いつの間にか近くまで戻ってきていた、ゾルガも少し申し訳なさそうに私を見た後、アウニにジト目を向けていた。


 まだ時間はある。そう焦ることでもないか。




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ドラゴンと少女の話 水原緋色 @hiro_mizuhara

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