第86話 美術史は、後から語られる。

高橋由一の『鮭』は名画だが、絵画におけるモティーフの選び方と、その演出について考えさせられる。絵画の歴史はこんなものは絵にならないと思われていたものが、取り込まれてきた拡大の歴史。

なぜ印象的なのか。深読みしようと思えばいくらでもできるが、ただそこに下げられた鮭がある。その凄味。(引用:茂木健一郎氏)

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美術史は、後から語られる!

深読み入らない。

ただ、そこにあるだけで、その感性が伝わると自分の内面の鼓動が、はげしく変化する。

それは、

現代美術(コンテンポラリーアート)は、こうだとか、ああだとか、

デュシャン以降は、何でもアートとだとか、

アンディ・ウォーホルのアンダーグラウンド時代が、今日の現代美術の始まりだとか、、、もっと前で言えば、ゴッホは、後期印象派だとか。

そうすると、ダビンチは、マルチな画家だけ、だったんだろうか。

科学の進歩と共に展開する「芸術と技術」は、同義語である。(学際)

その展開は、その時代の政治や経済にも影響される、しかし、文化は、苦境でも、展開を続ける。(現在であれば、東欧の文化を省みてほしい)


そして、それら美術史は、後から語られる!

高橋由一についても、工部美術学校でのイタリア人教師のアントニオ・フォンタネージの影響もあるだろうし、西南戦争等のその時代の流れにも、翻弄される、

しかし、

「鮭」は、確かにそこにある。


大切なのは、そこから、自分の内面に発信してくる感性の空気だろう。


最初の日本人の洋画家と言われる「高橋由一」の「鮭」の周辺の空気は、自分にとっても圧倒的だ。

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