第42話 アンジェイ・ワイダ監督 作品理解のための政治的背景-ヤルタ会談 (Yalta Conference)

アンジェイ・ワイダ監督 作品理解のための政治的背景 

ヤルタ会談 (Yalta Conference)1945年2月4日 – 1945年2月11日

概要:

第二次大戦末期の1945年二月、クリミア半島のヤルタで開催された、ルーズベルト・チャーチル・スターリンによる首脳会談。

ドイツの戦後処理、国際連合設立などについて協定した。

連合国の協調が最高点に達したのはこのときだといわれ,戦後国際秩序の形成にとって重要な意味をもったさまざまな取決めが行われた(ヤルタ協定)。 

戦後世界機構に関しては,大国の拒否権,国際連合設立会議(サンフランシスコ会議)を4月25日から開催すること,その招請国の範囲,などで3国の一致がえられた。

このヤルタ会談でドイツ降伏後〈2月又は3月を経て〉対日参戦することを米英両国に約束し,4月5日有効期限(1946年4月24日)以後の中立条約の不延長を通告してきた。

日本はソビエトの斡旋による和平工作を行ったが失敗し,ソビエトは8月8日対日参戦を行い,ここに日ソ中立条約は失効した。

それは、ポーランド等、東欧に於いても同様な事象が発生されたといわれる。

そして、このヤルタ会談によって、第二次世界大戦後の世界政治のあり方=国際連合の設置と米ソ二大陣営の対立という、ヤルタ体制ともいわれる戦後体制を作り上げた。

ここから始まる米ソを軸とした東西冷戦構造は、1989年のアメリカのブッシュ大統領(父)とソ連のゴルバチョフのマルタ会談(註*2)まで継続することとなる。

内容:

 ヤルタ会談で合意された内容は、1945年2月、ヤルタ協定として発表さらた。その主な決定事項は次の通り。

国際連合の設立:45年4月25日にサンフランシスコで国際会議を開催し憲章を決めること、安全保障理事会で大国の拒否権を認めること。(註*1)

ドイツの戦後処理問題:ドイツの無条件降伏の確認、その戦後処理では米・英・ソ・仏の4ヶ国で分割管理すること、2年以内にその戦力排除と賠償取立てを決定すること、戦争責任者を処罰すること。 → ドイツ4カ国分割占領

東欧諸国問題:ポーランドの臨時政府を民主的基盤のうえに改造し、すみややかに自由選挙を行うこと、ドイツから解放された諸国に主権と自治を回復させ、民主的な政府を樹立させること。

ソ連の対日参戦問題:ソ連はドイツの降伏後3ヶ月以内に対日参戦すること、その条件は南樺太及び千島列島のソ連帰属(→北方領土問題)、旅順租借権のソ連による回復、大連に関するソ連の優越的地位、南満州および東支鉄道経営へのソ連の参加権、外蒙の現状維持など。この第4項は、秘密条項であった。 → 日本の無条件降伏


 この協定によって、米ソ2大国による世界支配という大戦後の「ヤルタ体制」が形成されたという大きな意義をもつといわれる。



(*1)1989年 12月2~3日に地中海のマルタ島で行われた米ソ首脳会談で,第2次世界大戦後 40余年にわたった冷戦の終りを事実上告げた会談。東欧諸国の共産党政権が相次いで倒れ,会談直前にはついにベルリンの壁も崩壊するという事態のなかで開催された。アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長は,米ソ首脳として史上初めて共同記者会見にのぞみ,新しい平和の時代の到来を表明した。しかし,急速な事態の流れを両超大国がコントロールしようとしたという意味合いもある。

(*2)ソ連は、拒否権問題でアメリカに全面的に妥協した見返りとして、国際連合にウクライナとベラルーシ(当時は白ロシア)を加盟させることを要求した。この2国はソヴィエト社会主義共和国連邦に属しており主権国家としての条件は十分ではなかったが、イギリスもイギリス連邦自治領インドを加盟させるため同調し、ルーズヴェルトも妥協した。

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