第三章 涙雨は蕭蕭と

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 京谷はいつも突拍子だ。

 気が付いた時には頭より先に身体が動いてる。

 私も随分とそれに悩まされてきた。悩まされてきたけど、特別それが嫌だと思ったことがなかった。


 私が小学校六年生の頃、また京谷が突拍子もなく星を見に行きたいと言い出した。なんでそんなことを、と思って京谷が持っていた本を見たら、以前本屋に私と京谷で言った時、ごねられて買った安めで小さめの星座の本だった。


 その影響か、と直ぐに察しはついたけど、六月の梅雨時期に思い至らなくても、と私は思っていたけど、気前のいい両親は、今日を逃したら次いつ行けるか分からないしな、と言って勝手に出掛ける準備を始めていた。天気予報を見たら今後一週間は晴れ間は見れそうになかった。今年は例年よりもずっと雨の量が多いみたい。


 突然のことだったけど、京谷の鶴の一声で出掛けられることになったのは、私にとっても嬉しいことだった。私の気が向いたままに京谷に買い与えてしまった本への欲望をどう対処しようかと考える手間も省けたし、京谷も嬉しそうだから結果オーライ。これからは少し京谷にも我慢を覚えてもらおう、私はそう思って京谷に、よかったね、と声をかけた。元気に返事をして、京谷は共同部屋に駆けて行った。



 夜の空は雲一つない快晴だった。どこの天体観測上に行くのか分からなかったけど、あまり時間がかかからない近場ってことだけは予想していた。


「京谷、晴れててよかったね」

 私がそう言うと、京谷は不思議そうな顔をして、

「姉ちゃん、今はお日様見えないよ」と言った。


 私は笑って、そうだね、と答えた。京谷にとって『晴れ』は太陽のことを指しているみたい。


「ほら二人とも、車に乗って。星見に行くんでしょ」

 母のその言葉に返事をして、私と京谷は車に乗り込んだ。この時私は、この暖かくて平和な時間がいつまでも続くと思い込んでいた。しかし、そうはならなかった。


 とびきりデカい何かがぶつかる音が聞こえたと思ったら、父も母も京谷もぐったりとして狭くなった車の中で潰れかけていた。


 なんとかしなくちゃ。

 私は一生懸命に身体を動かした。でも私の身体は思うように動かなかった。そこら中に耐えられないほどの痛みが走り、今にも気を失いそうだった。意識が朦朧とする中、京谷のほうを見ると、涙を流しながら私と目を合わせて何かを言っている。京谷だって身体が痛いはずなのに、私よりもずっと幼いはずなのに、京谷は私の心配をしているのだった。 ここで私が負けるわけにはいかない。京谷が助けを求めているんだ。


 私は京谷の姉なんだから!

 私は残っている全ての力を込めて身体を無理矢理動かしていく。節々がびきびきと不穏音を立てて、私の行動を制限しようとしてくる。絶対に骨が折れてる。しかも複数。頭も痛いし熱い液が顔を滴る感覚が分かる。口に入ると鉄の味がした。驚いて心拍が上がるのを必死に抑えて京谷の元まで這いずって行く。


 もう少し。あと一歩。

 京谷はすぐ近くにいるはずなのに、なんでこんなに遠くに感じるんだろう。

 京谷に届く、そう思った瞬間、私の身体は宙に浮かんだ。なんで。もう直ぐなのに。

 京谷との距離は離れていくばかりで、私がいくら身体を動かしても、京谷とはどんどん離れていく。


 京谷!

 私は痛む手を伸ばしてそう叫ぶ。

 京谷もその声に応えるように叫んだ。


 その叫びは結局届かず、私はいつの間にか瞼の裏側を見ていた。全身の痛みは一秒ごとに引いていき、今なら京谷を助けられるかもしれない、けどそう思えたのはほんの一瞬で、景色も、匂いも、味も感覚も無くなって、微かに音が聞こえて直ぐに無くなった。


 どこへ行くんだろう?

 私の中で何かが反芻される。何かは分からないけど、きっと、たぶん、大切なものの何かに違いない。薄れゆく意識の中で私は心で呟いた。

「(ごめんね、京谷。助けられなくて――)」

「置いていかないで! コウ姉ちゃん!!――」

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