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日によってばらつきがあるが、偶にその日見た夢を大体覚えている時がある。達宮と星を見に行った日の夜に見た夢は、鮮明ではなく断片的で、それでも、一つの出来事として組み合わさっていた。
一番強く覚えているのはその場の雰囲気。
冷たい空気に真っ白な空間。俺は寝転んでいる状態のようで、斜め右上を見上げると焦げた銀色を見ることができる。たぶんそれは空で、分厚い雲に覆われているのだと思われる。この辺の印象は何度か夢に見ているのか、無意識が覚えているようで既視感がある。
そしてもう一つ既視感がある。夢の中で俺は誰かと話をしているのだ。小学校低学年くらいの背丈の男の子。内容までは覚えていないが、話すことが好きなのかやたらと話しが長かったと思う。
そんな感じの夢。
夢全体をどういう構成でとか考えても鮮明ではないため分からないが、案外起きる直前のことは覚えているもので、驚いた声で「なにこれ!?」と声が上がった。
それが達宮と出掛けた日に見た夢のラストだった。
「何やってるの、こんなところで」
そう声をかけたのは、俺の母だった。
問うた割には別に何か思っていたわけでもないらしく、自分の用を済ませようと身体を動かし続けている。
脱衣所にある洗面台の鏡に、俺は自分の背中にを映して凝視していた。本気で首を捻っているのにうまく見られず、両目を開けているのに半目で見ている気分になる。
「母さん」
俺は、ふと母に声をかけた。
洗濯物を洗濯機に詰め込んでいる最中に声をかけられて気を反らされたのか、何枚かの衣服が床に落ちる。機嫌が悪そうに何かを呟いた母は、声をかけた俺を一瞬も見ずに、何? と言ってきた。なんだか怒られている気がして、こっちも気分が悪くなったが、しょうがないと見過ごすことにした。
なんでも、思い出したくても思い出せないことがあるらしく、それが母の機嫌が悪い原因の一つだと思われる。周りに当たってきてほしくないのは山々なのだが、最近は父とも反りが合っていないようで、それも母の不機嫌の原因になっている。顔を合わせる度に喧嘩になるほどではなく、なんやかんやで普通の生活は送れてはいると思う。達宮と会った時とは大違いの態度に、俺の母も、やっぱり外の顔は持っているようだった。
俺の話を聞く気になったのか、母の視線が洗濯機の中から俺のほうに向けられた。
朝の忙しい時間に主婦の時間を奪うのは何となく気が引け、俺は素早く後ろを向いて、来ていたTシャツをたくし上げた。自分で見てわかるが、あまりガッチリとした体形ではない俺の背中は、誰かしらに見せることなどできそうにもない。
「ここなんだけど」
そう言って、硬い肩甲骨を思いっきり動かして腕を背中に回し、指である一点を示した。
俺の背中の中心辺りには、青あざのようなものがある。多下幸との一件で階段の踊り場に落ちた時にできたものかとも思ったが、なかなか消えない痕を疑問に思っていた。
母はジロジロと目を凝らして俺の背中を見ると、ああこれは、と言葉を一旦切った。俺が母の言葉の続きを促すように訊くと、
「分からない。何かしたの?」
と答えた。
何かを言おうとしていたのは分かったが、母のことなので見当違いのことをまた考えているのだろうと思い、母の反問に、特に思い当たる節はない、と言い切ってTシャツを着直した。
不思議そうな顔をした母に、何でもないから、と言い直す。
突然声をかけられた理由が、背中の痣のことだったから驚いたのかもしれない。 俺がそんなことを親に訊こうと思った原因は、達宮と出掛けた日に見た夢だった。
達宮という名前が頭に浮かんで、そういえば、と思い出したことを母についでに伝えようと思い、俺はさっきまでの会話の筋を切り替えて口を開いた。
「来週の土曜、また達宮が来るから」
「あら、そうなの。じゃあ何かお菓子買っておかなきゃね――」
驚いた様子でそう言った母の言葉を途中で遮って、必要ないから極力俺の部屋にと近づかないように、と注意喚起をしておく。
母のブーイングの声に嫌気がさして、ただ勉強するだけだ、と伝えると疑いの眼差しを俺に向けた。
達宮と出掛けた日以来、俺は極端に彼女と距離を置くことなく、しかし近寄りすぎない程度のほどほどの距離感で彼女と話したりするようになった。以前から鬱陶しく思うほど達宮との接触はあったが、最近では彼女も遠慮という言葉を覚えたのか、過度に俺と関わろうとはしなくなった。関係的には友達に近い達宮に、俺自身好意的なものを抱いているつもりはないのだが、母は色々と気になるらしく、必要ないアドバイスを言うと笑って立ち去ったりと、逆に母のほうが鬱陶しくなった今日この頃である。
不機嫌そうは母に追い打ちをかけるように、俺は適当に母をあしらって脱衣所から抜け出した。
一仕事終えたと思って自室に戻り、登校時間までゆっくりしていようと布団に仰向けに寝転んだ。痕は残っていても痛みを感じることはない背中の痣のことなど気にはならなかった。
今日は花の金曜日。達宮との約束した勉強会は明日開催される。
色んな物を隠し、整理されてある程度綺麗になった俺の部屋は、いつも雑然とし過ぎているせいか違う空間に迷い込んでしまったかのような感覚に陥る。
ぼうっと天井から落ちる照明を眺めていると、不意にスマホが震えた気がした。見ると気のせいではなかったようで、LINEからの通知が来ていた。確認してみると、相手は達宮のようで、その内容は明日催されるはずだった勉強会のキャンセルの連絡だった。なんでも風邪を引いてしまったらしい。それは仕方ないと思い、労りの言葉を送り返すと直ぐに反応があった。埋め合わせの話が出たが別に恋人というわけでもないので、また時間がある時に気が向いたら勉強会を開くことにした。
彼女のその後の返事は納得しているように見えなかったが、俺も慣れたもので、達宮の返事をスルーして、さっとLINEの画面を閉じた。
数分だけ布団に寝転んだ後、制服に着替え登校の支度をする。朝食を食べず、玄関を出ると庭で洗濯物を干している母の姿を見つけた。達宮との勉強会が延期になったことを伝えると、どこかほっとした表情を浮かべたので、さっきと思うと随分遠慮した態度に疑問を持ったが気にすることでもないので、俺はそのまま学校に向かった。
登校早々話しかけてきたのは最近仲良くなった青木だった。フルネームは
つい先日までは関わり合いたくないと思っていた人物の一人だったが、彼がなかなか押しの強い性格だったからか、何かと誘いを入れてくるので、始めは断っていたがそれでも構わずに声をかけてくるので俺も悪い気になり、一昨日誘いに乗ってみることにした。何のことの無い普通に近くにあるゲームセンターやらカフェやらに行くだけだった。それだけだったわけではあるが、俺にとっては男友達と遊ぶことは久しぶりのことだったので、隠れてテンションは高かったと思う。
達宮とは対極の考え方をする青木にはそれなりに友人が多く、誰にだって臆することなく話せる奴なので仲を取り持つのも相当うまく、俺と間接的に知り合うことになった青木の友人たちは控えめに言っても、俺と知り合い以上の関係になっているとは思う。
「――おい、澤村、聞いてるのか?」
「ああごめん、なんだっけ?」
「お前な、彼女がいるからってうつつを抜かすのは分かるけどな、今俺が話してるんだからこっちに意識を向けてくれよ」
青木が呆れながらそう言うので、俺は、
「だから、あいつはそんなんじゃないっつてるだろ」
と強く否定の言葉を入れておく。
「じゃあ俺が――」
「それも何度もやってるからやめろ。お前の会話の入りのネタはそれしかないのか」
青木は自分の発言を遮られたことに不満を感じたのか、完全に不機嫌になってそっぽを向いてしまった。
最近青木の行動で気が付いたことの一つなのだが、彼は機嫌が悪くなると何が何でも無視に徹するようになる。色々と世話になっていてこんなことを言うのもなんだけれど、彼の面倒くさい一面であったりする。
そんな感じで会話が終わるのかと思ったら、青木にはそんな気はなかったらしく、表情を一変させて口を開いた。
「でもよ、毎日一緒に登校してるだろ? 俺じゃなくてもお前と達宮さんには何かある、って誰でも思うべ。今日は一緒じゃないからさ、喧嘩でもしたのかと思って心配してやってんだぜ?」
いらん心配だ、と思いつつも仕方なく青木に事情を説明した。
「達宮さん風邪か。心配だな」
「そう。だから今日は俺一人だったんだよ。……ってか、お前、達宮と仲良くないだろ」
「そうだけどよ。友達の彼女なんだから心配の一つでもしたっていいだろ」
「だから、彼女とかそんなじゃねえって……」
俺のその言葉は青木には納得がいかないようで、不満そうに顔を歪めて、またそっぽを向いてしまった。今日は特に青木の虫の居所が悪いらしく、面倒くさい癖が顕著に表れているようだ。
俺は機嫌取りのために、そんなに思っていたことではないが、また今度遊びに行く約束を取ろうとすると、青木は目を点にしてこちらに振り向いた。
逆に驚いた俺が、なんだよ? と訊くと、青木はその双眸のままに言ってくる。
「いや、なんかやっぱお前変わったよ」
「は? またその話かよ。だからどこが変わったって言うんだよ」
「んー、なんかな、ピリピリしたクールなイメージは無くなったし、それに……」
青木は一拍置いて、また続けた。
「中二病っていうか、一人で勝手に喋ってることは無くなったよな」
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