6
殺風景な街並みは峰館林市に比べるとずっと田舎だ。視界のずっと奥に建つ校舎は、峰館林高校の校舎と比べるととても古く、耐震工事のために付けられた鉄骨がどこにあるのかも分かる。
緑の量も多く、道路の逆側にあるバス停の奥の崖の下には小さな森ができている。降車した客の後姿を見ると、ゆったりとした足取りでさらに道路を上って行っている。地域性もなんだか目に見えた。
「まだ五時前ですね。まだ陽は暮れないし、どうしましょう」
そう悩み事を打ち明ける達宮に、
「そろそろ目的地について教えてくれ」
と、俺は言った。
すると達宮は、そうですね、と前置きして話し始める。
「今日ここに来た目的は星を見るためです」
「星?」
「はい。ここは国内でも有数の天体観測ができる所で、近くにあるキャンプ場は星空を見るために来る人も少なくないらしいです。日本一の星空なんて言われ方もされているんですよ」
「じゃあ今日は星を見に遥々ここまで来た、ってことなのか?」
「そうです。はるばる」
「……星空くらいなら峰館林市の周辺でもよかっただろ。日本一って言っても遠すぎるし」
「いえ、来たのはそれだけの理由ではないんです。私が幼い頃にある事情で来たくてもこれなかった所なので」
達宮はそう言うと、また遠い目になって現実ではない何かを眺める仕草をした。
俺が、そうなのか、と答えると、達宮の瞳に光が戻ってきて、現実世界を見つめた。
「ただ、思った以上に時間が早くて、星が見えるまでにまだ時間がかかりそうなんです。」
「そうだな。時間潰そうにも入れそうな所もないし――、せっかくこんだけ自然豊かな所に来たんだから、散歩がてらその辺ぶらぶらしてるか?」
俺の提案にすぐさま達宮は乗り、さっきのバスの乗客が歩いて行った方に並んで歩きだした。
街灯がほとんどない道は夜になったら何も見えなくなってしまいそうだ。並び立つ家も静かで廃れて見える。誰も使ってないのではないかと思うくらい古い造りの家屋が目立つが、どこも薄いカーテンの隙間から明かりが漏れ出していて、少しだけ暖かさを感じられた。
ゆるやかな上り坂を上っていくと、左右には小さめの畑があり、綺麗に手入れされている畝に所狭しと緑が天に向かて伸びている。土の香りが鼻の奥に広がり、個人的な感覚でしかないが故郷というのはこういう光景のことを言うのかもしれない。達宮も同じくそう思っていたみたいで、辺りを探るように見て思いついたことをそのままに呟いている。
「すごいですね。まさに田舎って感じで見たことない風景なのに、懐かしさみたいのを感じます」
俺は何も言わずに達宮が言ったことに小さくうなずいた。星空の前に誰よりも古風な雰囲気に感銘を受けている達宮の横顔がどこか幼く俺の目に映り、何かが脳裏を横切った気がした。一瞬のことで何かは分からなかったが、おそらくそれは過去に俺が見たことのある光景の一部に関係あることは考えなくとも分かることだった。
だらだらと歩いているだけでも多くの発見があるこの土地の日暮れは、山に囲まれていることもあってか思ったよりも早く、長い間隔が開いた街灯が頼りなく灯り始める。そろそろ頃合いということもあって、達宮に促されて目的のキャンプ場に向かうのかと思ったがそうではないらしく、違うところまで案内された。
時間潰しで歩いていたゆるやかな坂道をもう少し上り、脇道に入ってさらに十分ほど奥に歩いていくと、拓けた土地が見えてくる。何もない草地の丘陵で、黒色のインクを撒き散らしたかのように真っ暗闇に落ちている。ここだけ世界から憚られてしまったのかと思うほどの静けさは地帯に伸び、音の出なくなってしまった楽器よりも孤独な印象を受けた。
「この辺りですね」
達宮はスマホの画面を見ながらそう呟くと、スマホの電源を切った。ただ一つだった光源が失われ、お互いの輪郭がはっきり見えなくなってしまった。その瞬間、視界の上方に無数の光が飛び込んできた。
空を仰ぎ見る。紺色を含んだ真っ黒なキャンバスに、白く小さな儚い明かりが自分の存在を地上に認めさせようと瞬き輝いている。いつもなら見えない極小の粒も余すことなく俺の目に届く。俺と達宮はお互いの存在を忘れて、六月を覆いつくす星空に釘付けになった。
「すごいですね」
達宮からそんな言葉が無意識に飛び出した。達宮はゆっくり地面に手をつき、草地に身を投げ出した。
「先輩、このほうがよく見えますよ」
そう促され、俺も達宮の横に少し離れたところに仰向けに寝転んだ。首を上げた無理な体勢よりもずっと楽になり、視線が低くなったことでより広い範囲の星空を見ることができた。見れば見るほどに星空に吸い込まれていく気がして、このまま見続けていたら戻れなくなってしまうのではないか、そんな怖さがあるのに空から目が離せなくなる催眠でもかけられたように俺の身体は仰向けの体勢から身動きがとれなくなってしまった。固まった時間が音のない風に流され、溶けてはまた流れていく。
「綺麗ですね」
「そうだな」
二人の声が、ぽんっ、と中空に漏れ出した。
「よかったです、先輩に満足してもらえたようで。調べたかいがありました。思った通り、六月は天体観測に来る人は少ないみたいですね」
さっきスマホを見ていたのはそういうことか、と気が付いて、俺はまた達宮に感心する。
今日はよく晴れているが、いつ雨雲が押し寄せるか分からない梅雨時期に星を見に来ようとする人は少ないだろう。簡単に予想できることではあるが、今回はうまいこと事が運んだみたいで穴場でだと思われるここで、満天の星空を独り占めする贅沢は運の要素があるのは否めなかったが、それ以上に連れてきてくれた達宮に感謝しなくては、と俺は思った。
感謝を伝えようと身体を起こし、達宮のほうを向くと、今まで聞こえなかった鼻をすする音がしていた。はっきり顔は確認できないが、達宮は泣いているようだった。
俺の視線に気が付いたのか、達宮も身体を起こし腕で顔を擦った。ふう、と震え気味な息を吐くと、達宮は小さな声で話した。
「私が小学三年生の頃、私のわがままで天体観測所に連れて行ってもらうことになったんです。この場所かだったのかは他の場所なのかは記憶にないんですけどね。テレビか本か、何かに感化されてその日のうちに行きたいって、すごい猪突猛進っていうか自分勝手でそれでも両親は車を出してくれたんです」
心なしか達宮の声のトーンがだんだんと下がっていっている。
「ワクワクしていました。それはもう期待が半端ではなくて。でも、簡単にその期待に裏切られました。被害妄想が激しいのかもしれないんですけど、私が楽しみにすればするほど全部悲惨な結末が待っているんです。結局、星は見られませんでした。理由は不慮の事故でした」
俺は言葉が出なかった。
達宮は続ける。
「私のせいなんです。満天の星空を見られるって興奮して話してて、運転をしていた父が気を反らした一瞬でした。私が気が付いた時には病院のベッドの上にいて、母方の祖母から両親が死んでしまったことを聞きました。最近やっと両親の死に向き合えるようになってきて、その前から色々聞かされてましたけどネットで当時の事故のことをネットで調べて初めて、私たちの方に非があること知りました。赤信号で突っ込んだんです。うちの車が、交差点に」
そこでいったん声が止んだ。音のない風がどんよりと重くなっていく気がした。何か気の利いたことを言うべきだろうと思ったが、そんな言葉は思いつかず、俺の視線は空でも達宮でもないどこかをさまよって動き回った。
達宮も何かを待っているわけでもなく、持ってきていた自分のショルダーバッグからお茶を取り出し数口飲むと一息つく。喉が潤ったのか、意識的なのか声のトーンが若干上がった気がして、重い空気に混ざり込む。
「それで記事を読んでて一つ違和感に気が付いたんです。最初その記事を見たのが中学生の時だったのであんまり気にならなかったし、星を見に行くのが私たちの目的だったのでまさかとは思って何回も読み返したんですけど、実は『星を見に行く』って目的は、事故の相手方のほうの目的でもあったんです。途端に涙が出てきて、止まらなくて、もう駄目だと思って死のうとしたこともありました。でも、一つだけ、希望ていうか、私がその事故を起こしてしまった罪を償える場所があることを思い出したんです――」
達宮の話の勢いはまだ続く感じではあったが、俺は急に気分が悪くなって話を強制的に止めることになってしまった。さっきまで消えていた腹部の違和感が戻ってきて、だんだん大きくなって激痛へと変わった。俺は呻きながら腹を抑えて草地に倒れこむ。達宮が突然のことで驚き俺に近づいて心配の声を上げる。達宮が救急車を呼ぼうとしていたが、それほど大袈裟なことではないと自己判断をして止めさせた。
俺は数分間その場にうずくまったまま動けずにいた。徐々に痛みは弱くなり、頃合いを見計らって早急に帰ろうということになった。
行きと比べるとペースは何段階も遅かった。俺たちがバス停に着いたのとほぼ同時に最終便のバスが到着し、運よく俺たちはバスに乗り込むことができた。行きとは違い、道をなんとなく知っていたからか、駅に着くまでそんなに長くは感じられなかった。
電車もなんだかんだで終電に近くなっていて、足止めを食らってしまうあと一歩のところで電車に乗り込み安堵の溜息をついた。ここから約三時間、昼に見た景色再び見ることになる。しかし夜ということもあってか雰囲気は全く異なったもので、思ったよりも電車に乗っていた時間は短く感じた。
帰路に就いている電車で、何度トイレに行ったのか正確には覚えていないが、ターミナル駅に着く頃には腹痛は治まり、その反動か、無性に空腹感があった。菓子類が売っている自販機で適当な物を購入し、達宮と分け合って食べると小腹くらいは満たすことができた。
ターミナル駅から峰館林駅までの十五分は今までの道程よりも長く感じられ、どこからかくる疲れにぐったりとして、構内から漏れ出す薄明かりの下で俺と達宮は向かい合った。
「それじゃあ先輩、また月曜日、学校で会いましょう」
達宮は笑顔でそう言った。
「悪いな。俺のせいでしっかり星見られなかったろ」
「そんなことないですよ。私の目には焼き付いています。先輩が腹痛で歪めている表情も」
それは今すぐ忘れろ、と言って何となく二人で笑った。
名残惜しそうにしていたのは俺のほうだったみたいで、達宮はすっきり晴れ渡った空のような顔をしている。
「あ、そうだ。せっかくなんでLINE交換しておきませんか? いつでも連絡取れるように」
達宮はそう言うと、おもむろに自分の鞄からスマホを取り出した。電源を付ける仕草をするが、充電が無くなってしまったらしく、画面は黒いままで一向に変化を見せなかった。どうせ学校でしょっちゅう絡んで来ることになるんだろうと思い、覚えていたらまたその時に交換しようということになった。
「それじゃあ本当に帰りますね」
「ああ。……達宮。今日はその、ありがとな。迷惑かけたる形になっちまったけど、楽しかったよ」
照れくさく思ったが、ありがとうの一言も言えない男だと思われるのは嫌だったので、言葉を探るように途切れ途切れにそう言った。
すると、達宮も返事を返してくる。
「私も楽しかったですよ。また行きましょうね、先輩」
達宮はそう言い終えると、くるっと踵を返して、俺の自宅とあ逆方向にある帰路を歩き出した。彼女の後姿を少しだけ見送って、俺も帰路につこうと身体を反転しようとしたところで、後ろから声がかかった。
「先輩!」
俺に届くように張り上げた達宮の声が、辺りに響く。一瞬の間が開き、しーんと静まり返ると意味の分からないことを叫んだ。
「答えは時間です!」
何のことかと俺が訊く前に、達宮はくるっと向き直り走り去る。だんだんと後姿が小さく黒くなっていき、数秒で暗闇に消えてしまった。
追うものが無くなってしまった俺は無意識に空を見つめた。数時間前までいたあの丘陵と思うと比べ物にならないくらい淡すぎる星の光は、誰か俺の知らない人と交信でもしているかのようにチカチカと信号を送っていた。
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