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時の流れというのはあまりにも早いもので、たかだか数日だったこともあるけれど、思っていた以上にその日は早々にやってきた。達宮とのデートの日。たぶん色々と考え事をしていたから時の流れが早く感じたのだと思う。また多下幸についてか、と問われれば全くそのようなことはなく、基本的には下調べについてだ。
同じ学校の男女、先輩と後輩でのデートになる。今回は達宮のプランでたぶんどこかしらを廻ることになるはずで、俺はそのあたりに気をもんだりすることはないのだけれど、それ以外にもやるべきことは山積していた。特に上げるとすれば服装だ。ファッションセンスの欠片もない俺に、かっこよくきめれる服装など全くぴんと来ない。せいぜいジャージかフード付きの衣服があれば事足りると思っていたが、インターネットで詳しく調べてみると、思い違いも甚だしいとのことだった。そのためおすすめされている服をなんとなしに通販で頼んでみたところ、サイズが微妙に合わなかったり完全に違うサイズのものが届いたりもした。その都度返品して問い合わせてみたところで、弊社はこの数値がこのサイズです、と何の気なしな返答が来るのでトラブル寸前のところまで行きつきそうになったが、なんとか見ていられる程度には整えられた感じだ。着られている感は否めないのだけれど。
そんなこんなで、時刻は午前十時を回った。約束の時間になったが達宮は訪ねてこない。リビングでそわそわしていると、母が笑いながら俺を面白そうに眺めていた。
「あんたにもとうとうそんな時期がやってきたのね。なんだか感慨深いわ」
そんなに感慨深いことか、と思っていたら不意にインターホンが家中に鳴り響いた。俺は母に出てこなくてもいいと告げると、早急に玄関へと向かった。
玄関の扉を開けつつ、分かっていたかのようにぎこちない挨拶が行きかう。
「よ。遅かったな」
「おはようございます。すいません。支度に手間取ってしまって」
達宮はそう言うと、乱れた自分の短い髪を手で軽く整えた。見惚れてしまうほど垢抜けた印象を持たせない絶妙な服装で、膝丈ほどのスカートと薄手のパーカーに身を包んでいる。動きやすさを重視した感じで、どちらかというと幼い顔立ちから、清楚な少女、という雰囲気を醸し出していた。
見惚れはしないが、普段は学校指定の制服を見ていたため、新鮮なその姿に俺の目が上下にうろちょろと動く。
気を紛らわせるべく、俺は空を見た。
「今日、晴れてよかったな」
俺の声を聞き、達宮も空を見上げた。
「はい。最近は太陽も機嫌がいいみたいですね」
少々蒸し暑く感じる気候ではあるものの、最近の天気は妙に安定していて、知らないうちに梅雨明けしてしまったのではないかと勘違いしてしまう。達宮は今日の天気をかなり気にしていたようだったが、雲も多く見られない空を見て一安心したみたいだ。
「で、どこ行くつもりなんだ?」
俺が空から目の前へと視線を戻し訊くと、達宮は焦った様子で言う。
「あの、その前にご両親にご挨拶しておきたいんですけど……」
達宮はそう言うと、後ろ手に持っていた紙袋を正面に持ってきた。紙袋に書かれている文字を見ると、この周辺で有名な店の名前が表記されており、中身が一目で想像できた。遅れたのはたぶん、これを買っていたからだろう。
「そんなことしなくてもいいのに」
「いえ、礼儀ですので」
正直、あまり両親と会わせたくはなかったが、達宮の意思も固そうだったので、手早く済ませるようにと注意しておいてから母を呼び出した。母は嬉しそうに顔を綻ばせると、せかせかと玄関まで出てきた。達宮と顔を合わせるやいなや、奥様スキルを余すことなく発揮して、異常なまでに俺を推していた。達宮はというと、若干顔を引きつらせながら小刻みにうなずいていた。
「もういいだろ。戻れよ」
俺は呆れた風にそう言った。
「何? 人を犬みたいに言って。失礼しちゃうでしょ」
「ははは」と、達宮の愛想笑いが漏れ出した。
「じゃあこれ、ありがたく頂いちゃうわね」
「はい、どうぞ」
もう終わるだろうと安堵の思いをしていると、母がまた話を振り始めた。
「ところでなんだか顔に見覚えがある気がするんだけど、芸能人に顔が似ている人いたかしら?」
「いないって。俺たちこれから用があるんだから、本当にもう戻れって」
「それもそうね。じゃあお二人さん、楽しんできてね」
ふふふ、と不敵に笑うと、母は家の中に消えていった。
「素敵なお母さんですね」
「そんなことないだろ」
「あっ! そういえば名前、言い忘れていました。失礼に思われたかも」
「いいよそんなの。母さんもづけづけ話てきてたし。帰ったら言っておくから」
「そうですか? それじゃあ、お願いしますね」
俺は了承して、話を元のレールに戻した。
「それでどこ行くんだ?」
「ああ、はい。私が幼い時に行くことができなかった所に、先輩をご招待しようと思います。ちょっと時間がかかりますけど、大丈夫ですか? 帰りが夜中とかになっちゃいますけど……」
「ああ、大丈夫」
俺が承諾すると、達宮は、
「ではまず電車に乗りますので駅まで行きましょう」
と言って、歩き出した。
「そんなに遠い所に行くのか?」
「うーん、そうですね。ほどほどに遠いかもしれません」
そんな曖昧な答えが返ってきたので、ちょっとだけ気後れしてしまう。デートと言っても付き合っているわけではないので、近場の飲食店とか買い物くらいに思っていたのだが、案外本格的に色々考えていたんだなと感心した。
峰館林駅から下りの電車に乗り込み、三つ目の駅でローカル線に乗り換える。土曜日だけあり、始めは乗客も多少なり多く感じたが、駅をいくつか過ぎていくうちに客の姿も減っていき、一時間ほど経った頃には片手で数えられるほどの人数になっていた。
その経過と比例するように車窓の外を流れる風景が変わっていった。都市部という印象を与える街並みで重々しさのある風景が続き、駅を越えるごとに緑色が基調となっていった。電車の両側を小高い山が並び、その様子は見ただけでもマイナスイオンが充満しているのだろうと予想ができる。一言で収めるのならド田舎だ。長い時間電車に揺られていたからか、次第に不安感が増していき、気が付けば俺は口を開いていた。
「なあ、相当長い時間電車に乗ってるけど、まだ着かないのか?」
俺のその質問を聞き、達宮は自分の左腕に付けられている腕時計を見て、
「そうですね。後、二時間くらいで目的の駅に着きます」と言った。
「二時間!?」
予想だにしていなかった答えを聞いて驚きの声が車内に響く。さっきまで目を瞑って寝ていたおばあさんが突然目を見開いて、俺たちの方を睨みつけた。
俺の声は小さくなる。
「二時間って、お前、俺をどこまで連れて行く気だよ。てか、そろそろ目的地を教えてくれ」
達宮は呆れた表情を浮かべた。
「教えてもいいですけど、これまで以上に気が遠くなりますよ? 知らなかったほうが後々、後悔せずに済むと思います」
俺は達宮のそんな意見を聞き、少しだけ考え、やっぱり答えなくてもいい、と呆気なく身を引いた。達宮はそんな俺の姿を見ると、くすくすと笑みを浮かべて、また車窓の外の風景を眺め始めた。
しばらくして電車がトンネルの中に入ると、気圧の変化で耳が詰まった感覚に陥った。達宮も同じ症状を体験したらしく、少しでけ涙を浮かべている。つばを飲み込めば治りますよ、という達宮の助言を聞き、何度か試したものの一向に回復しない症状に半ば諦めかけていると、一気に視界が開け、それと同時に症状も徐々に回復した。
未だに延々と続く山に囲まれた風景に、線路と並行して一本の道路が走っている。車の数はそれほど多くないが、休憩できる場所が無さそうな山道を車が走っていることに少し驚いた。
窓の外を見つめていた達宮だが、変わらない風景に飽きを感じ始めてきたようで、スマホをいじって電波がよくないことを確認すると、そういえば、と切り出し俺に話してきた。「先輩と多下さんって人はその……、恋愛感情みたいなのはなかったのですか?」
質問の意味は分かっていたが突然の問いに、え? と反射的に訊き返すと、まったく同じ文章で達宮が言い直すのを途中で遮って、俺は完全否定した。
「あるわけないだろ。あんな無理矢理振り回されて正直面倒くさかったし、クラス内でも多下に対する視線は冷ややかだったんだ。そんな女子とお近づきになろう、なんて思う奴はどうかしてるぞ」
「それでも助けたいとは思ったんですよね? 先輩が無意識のうちに多下さんに好意を抱いていた、なんてことは絶対にありえないって言い切れますか?」
「言い切れるだろ。俺がそう思ってるんだから」
隠そうなんて気持ちはない。これは事実、俺の中にある感情をそのまま言っているだけなのだから。
それでもまだ疑いの目を向ける達宮はまだ何かを言いたげだったが、今日はそういうつもりで出かけているわけではないし、息抜きを、という提案をしたのは彼女のほうであるため、俺がこの話を止めようと言う前に、彼女から話を強制的に終わらせた。
その後の電車内の空気は思った以上に重くなり、達宮と会話をすることなくほぼ他人同士のように電車に揺られていた。これならお互いが納得するまで話していたほうがよかったのではないかと思ったが、電車を降りた頃には彼女も、さっきの会話を忘れたように態度を切り替えていた。それを見て、俺も一旦忘れようという気持ちになり、続いてどう行動するのか達宮に訊く。
「次はバスに乗ります。せいぜい三十分かそこらの乗車時間なので、電車と思えば楽ちんですね」
達宮はそう言い終えると、その前にお腹空いたので、と駅舎の向かい側を指差した。一皿百円で多くのネタを楽しめる超庶民の味方、回る寿司屋がそこにあった。
ターミナル駅から乗り換えてここまで来る中途の風景とは一変して、この辺りは数は少ないが駅周りにファーストフード店などが点在している。駅の目の前を通る道路も交通量がそこそこあり、賑わっているとは言い切れないが、それなりに生活感があることは見て取れる。どことなく峰館林駅に似ているところはあるが、俺の目の前に聳え立つ寿司屋は峰館林市にはない。珍しさが勝り、胃袋の大きさにもよるが金額が優しく設定されていることだし、今回は人数が二人ということもあってすんなりと食事処として決め入店する。
デートと遠出という非日常的な出来事に気を取られていたこともあって、そういえば、と思い出したのは自らを襲う空腹だった。ターミナル駅から約三時間。家を十時に出たとして計算しても、軽く昼食時を過ぎてしまっていた。腹が減ったと感じるのは当然のことだった。
店内は思ったほど込み合ってはいなかった。わざわざテーブル席に行くほどの人数でもなく、俺と達宮はカウンター席に並んで腰かけた。客の会話や店内アナウンス、皿の重なる音でガヤガヤとしていて達宮と話しづらい時間が続いたが、ものの数分で隣から、お腹いっぱい、と声が聞こえた。見てみると達宮の席の前には、パッと見十皿は確実に超えていない皿の小山ができていた。俺は思わず、
「すくな!!」
と、驚きの声を上げてしまい、連鎖的にその声に驚いた達宮はこちらを振り向いて、へへへ、と苦笑に近い笑みを浮かべた。
「限界です。懐事情にもエコにも良心的だと思いませんか? 私は超低燃費なんですよ」
「低燃費って、女子の食べる平均とか分からんが、それは少なすぎるんじゃないか?」
俺がそう言うと、達宮は一口お茶を啜ってから言った。
「どうしても食べられなんですよ。私の胃は普通の人より小さくできてて、入る量も限られてるみたいです。よくスイーツ系は別腹とか言いますけど、私にとってその考え方は吐き気を催してしまうんですよ」
「小食ってことか」
「まあ、そんな感じですね」
達宮はそう言い終えると、持っていた湯飲みを少しだけ揺らし、いつもなら見開かれた大きくて綺麗な瞳を細めて、目の前の広告を見つめていた。
数十分後、俺と達宮はバスに揺られていた。
あの後、俺はできるだけ早めに食事を終えようと思い、急いで自分が好きなネタばかりを食べて店を出た。横目で俺を眺める達宮は、口に手を当て少しだけ気持ち悪そうにしていた。それでも俺の食事が終わるまで待っていてくれていたようで、元から食事代は俺が持とうと思っていたのもあって、強情に、割り勘で、と言ってきた達宮に、待たせてしまったからと理由を付けることで何とか俺が食事代を払うことができた。なかなか男らしいかともできるな、と自己満足に浸っている中、腹部に嫌な違和感を覚えた。
ガタンッ、とバスが大きく揺れる。舗装された道路ではあるのだが、長い間手入れがされていないのか少しのひびがバスのタイヤを取り、心地の悪い揺れを演出する。三半規管が弱い人にとっては、かなりの試練になりそうなアトラクションに感じ、たぶん俺の腹部の違和感も詰め込んだ寿司が腹の中で踊りまわっているから感じられているのかもしれない。達宮は案外平気そうで、窓側の席に座らせると出発してからずっと外の景色を見ている。バスに乗り込んだ駅から北に向かって走って数分、景色は乗ってきたローカル鉄道の中途と大差ないほどの山道に差しかかっていた。バス停は一応設けられているみたいだが、間隔がやたらと広くなっていき、降りる客も少ない。もっとも、乗客も少ないけれど。
絶景とは到底言えない緑のカーテンを越えると、さっきよりかは住宅が密集した町に出た。誰かが降車ボタンを押し、車内にアナウンスが流れ始める。達宮がバス停の名前に反応し、やっと夢から覚めたようにせかせかと準備を整えると、ここで降ります、と俺に伝えてきた。降車ボタンを押したであろう乗客と他数名に混ざり、俺たちはバスを降りた。
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