刺激的な主人公 まひるside
作家只野直人は、風変わりで偏屈な人。
みやこからそう聞いてはいたが、その相手から告白されるとは思わなかった。
『ずっと気になっていた』
そう言われた時、鼓動がトクンと跳ねた。
『ずっと好きだった』
思わず持っていた卵を落とし、再び迷惑を掛けてしまう。
お詫びに行ったのに、何をやってるんだろう。
只野さんは私のことをずっと見ていたのかな?
もし純粋にそう思ってくれているのなら、とても光栄だ。
そう思ったのも束の間、只野さんは豹変した。
いきなり『俺と寝ろ』と命令したり、『俺と付き合ってみないか』と言ったり、その異様な眼差しに戸惑い、思わず身の危険を感じて頰を叩いてしまった。
如何なる状況でも、お客様を叩くなんて言語道断だよね。
逆上した只野さんが暴挙に出たらどうしよう。怯える私の目の前で、只野さんは呆然としている。
その時、ふと感じた。この人、もしかしたら私と似ているのかも。
偏屈というより、口下手で不器用で、対人関係が苦手なのでは?
もしくは、本当に変態じみているかのどちらかだ。
午後六時過ぎ、フラリと入店してきた只野さん。着流しでぐるぐると店内を歩き始める。
その一風変わった風貌に、初めて遭遇したお客様は皆戸惑っていた。
いや、はっきり言えばアブナイ人間だと、動物的直感を感じ避けて歩いている。
今夜みやこは飲み会だ。飲み会イコールお持ち帰り。
その方程式が正しければ、今夜私はネットカフェ難民となる。
そんな時、只野さんに食事に誘われた。一人きりで食事をするなら、只野さんと一度くらい一緒に食事をしても構わないかも。
別に深い意味はない。只野さんに好意があるわけでもない。只野さんが約束通り、私の不祥事を全て水に流してくれるなら。
ただし、安全な場所に限る。
◆
「ここで食事を?」
「はい。只野様、このような場所は初めてですか?」
「ああ、噂に聞いたことはあるが初めてだ。それと俺を呼ぶ時に敬称はつけないでくれ。俺は殿様でもお代官でもない。イメージが狂う」
誰もそんなこと思ってないよ。お客様だから敬称を付けているだけだ。
ここは私がよく利用するネットカフェ。あとでみやこにメールして、今夜は男性と一緒かどうか確認し、一緒ならばこのまま宿泊すればいい。
「では只野先生とお呼びすればいいですか?」
「そうだな。その方がしっくりする。君はこのような場所によく来るのか?」
「はい。ここは飲食持ち込み可なので」
「成る程。住まいがあるのにここで飲食を?」
「たまに。一人ではないのでいろいろありますから」
只野さんは気難しい顔で私の話を聞いている。
「男性と同棲してるのにネットカフェか」
只野さんはぶつぶつと呟いている。『同棲』という言葉に私はぶるぶると首を振る。
否定するつもりだったのに、思わず只野さんと目が合い、否定しない方が得策かもしれないと咄嗟に感じ肯定した。
「……同居人はいますが、お互い束縛しない約束なので」
「成る程。同棲相手を部屋から追い出し、このような場所に追いやるとは。束縛しないとは、浮気も黙認ということか? 君は男を見る目がないな」
あなたを選ぶよりはマシだよ。それに本当は気心の知れた女友達だし。
もし本当に恋人に浮気されたらショックで立ち直れない。
私はそんなに大人じゃないし、精神的に強くもないから。
入店してすぐテーブルに着き、只野さんはビニール袋から幕の内弁当を取り出すと、蓋を開けもぐもぐと食べ始めた。
一体何を考えているのか、さっぱり摑めない人だな。戸惑いながらもビニール袋から弁当を取り出す。
「俺は作家だ」
それはわかってますってば。
「作家もたまには行き詰まることもある」
行き詰まる? 只野さん、行き詰まってるの?
「あの……何かお困りですか?」
「実は恋愛小説の連載が決まった」
「それはおめでとうございます」
連載は知ってる。みやこから聞いているから。
「君は俺に何度も卵をぶちまけた」
「……すみませんでした」
まだ根に持ってるの? 執念深いな。
一度食事に付き合えば、水に流すと言ったでしょう。
「これも何かの縁だ」
「は?」
「時々逢ってくれないか」
私と? 個人的に?
「あの……私には同居人が」
「束縛しない相手なんだろう。相手が自由に浮気するなら、君が俺と付き合っても文句は言えないだろう」
「私が只野先生とお付き合いですか? そんな大それたこと出来ません」
ていうか、怖いよ。只野さんのこと何も知らないんだから。
「ずっと気になっていた。ずっと好きだった」
このセリフ……一日に三度聞いた。
本当に私のこと好きなのかな?
「今朝は失言を吐いた。女性と話すのは、苦手だ」
それはヒシヒシと伝わってくる。言葉が断片的だから。
小説みたいにときめくような告白じゃない。
只野さん、本当に不器用なんだね。そんなに私のことを想ってくれてるの?
ボサボサの頭……顎髭……だらしない風貌。決して魅力的ではない。
でも……よく見ると優しい目をしているな。
「友達としてなら構いませんが……」
「友達? 大人の付き合いなのに友達ごっこをしろと?」
「あの……それが嫌なら……」
「別に嫌とは言っていない。君がそれで満足出来るなら、友達でもやむを得ない」
良かった……。何とか、危険回避出来たようだ。
その日、ネットカフェで食事をし、只野さんにはそのまま帰宅してもらった。
メールでみやこが男性と飲んでいることを確認し、潔くネットカフェに泊まることにした。深夜にみやこの情事を耳にし、こそこそマンションを抜け出す苦労を考えると、この狭い空間も苦にはならない。
ふと只野直人とはどんな人物なのか知りたくなった。パソコンを開き、『只野直人』で検索をする。
あの只野さんが、どんな作品を書いているのか興味があったから。
だけどネット上に、只野直人という作家も作品も表示されない。
「おかしいな。著者名は本名とは違うのかな」
狭い空間でポチポチとパソコンを叩く。どんなキーワードを入力しても作家只野直人には辿り着けない。
バッグの中の携帯電話が振動する。電話を摑んで画面に視線を向けると、メールの送信元は母だった。
【まひる、元気にしとる? まだいい人はできんの? 定職にもつかんと、みやこちゃんにいつまでも迷惑掛けたらいけんよ。】
またか。週に一度必ず同じ内容のメールがくるんだ。
二十八歳の娘の行く末を案ずるのはわかるけど、私だって好き好んで独身でいたいわけではない。
好きで契約社員をしているわけではないし、好きでみやこのマンションに転がり込んでいるわけでもない。今夜だって、好きでネットカフェに泊まっているわけではないのだ。
でもこのメールを無視すると、必ず電話が掛かってくるんだよね。
直接話をしたくなくて、仕方なく母に返信する。
【派遣社員でも、仕事忙しいんよ。もう少し落ち着いたらみやこのマンション出る予定だから。】
【みやこちゃんのマンション出るん? 派遣の給料で生活出来るんね? いい人はまだできんの?】
本当にうざいな。定職なし、住処なし、恋人なし、と母から思われている。
二十八歳にもなると、未経験でいることも恥ずかしい。
―ふと、只野さんの顔が浮かんだ。
只野さんの名前……ちょっと借りてもいい?
ほんのちょっとだけ。母を黙らせるために。
【今日交際申し込まれたんよ。その人と付き合うことにした。三十歳で有名な作家。世田谷の大豪邸に住んどるセレブな人だから、心配せんで。】
送信直後、すぐに電話が鳴った。
シマッタ。黙らせるつもりが、母の気持ちに火を点けたようだ。
『まひる、ほんまなん?』
鼓膜がキンキンするくらい甲高い声。娘の恋バナに興奮している様子がありありとわかる。
『有名な作家って誰なんね』
「まだ言わん。有名な人だから、母さんが人にペラペラ喋ったら困るけぇね」
『世田谷に豪邸があるなんて、億万長者? どこでそんな人を見つけたん?』
「そんなんどうでもええじゃろ。根掘り葉掘り聞かんでや。恋人がいるんだから、もう煩く結婚、結婚って言わんでね。お見合い写真ももう送らんでよ。じゃあ、切るよ」
『まひる、その人絶対逃がさんのよ。そんな人もう二度と捕まえられんよ。ええね』
正直、只野さんとは親密になりたくはない。
でも母には恋人だということにしておこう。
「わかった、わかった。もう切るけぇね」
『今度広島に連れて帰りんさいよ。母さんも父さんも挨拶せんといけんじゃろ』
「はいはい。そのうち紹介するけぇ。おやすみ」
私は今ネットカフェなんだよ。そんなセレブと交際しているなら、こんなところに泊まったりしない。
翌朝、携帯電話の目覚ましで起床する。
出勤する前に着替えたくて、ネットカフェを出てマンションに戻った。
恐る恐るドアを開けると、土間に男物の黒い革靴がある。
玄関にはみやこの上着、廊下にはスカート。みやこの部屋の前には破れたパンスト。
蛇が脱皮したみたいに、点々と洋服が落ちている。
やっぱり……ね。
みやこの洋服を拾い、脱衣所のカゴに入れる。物音を立てないように、みやこの部屋の前を忍び足で通り過ぎ、自分の部屋に入った。
洋服を着替え、みやこ達が起きる前にマンションを脱出しなければ……。
これではまるでコソ泥だ。
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プロローグは刺激的に ayane/ビーズログ文庫 @bslog
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