刺激的な主人公 直人side②
◆
午前九時。玄関のチャイムが鳴る。
こんな時間に一体誰だ。
俺の家にはセールスと宗教の勧誘しか来ない。近所付き合いなど、一切していないのだから。
仕方なく玄関に向かい、引戸を閉めたまま磨りガラスに映るシルエットを眺める。
体つきから、どうやら訪問者は女性らしい。念のために、引戸越しに声を掛ける。
「誰だ」
「おはようございます。スーパーKAISEIです。昨日は大変失礼致しました。お詫びに伺いました」
スーパーKAISEI? 昨日のお詫び?
例の生卵の女か? だとしたら、俺に危害は加えないだろう。
鍵を外し引戸を開けると、彼女が緊張した面持ちで立っていた。手にはスーパーの袋が握られている。
「只野様、昨日は大変失礼致しました。お怪我はありませんか?」
「ない」
気まずい沈黙が流れる。もう話すことはない。
……だが、待てよ。彼女は俺のイメージする小説の主人公だ。
恋愛小説のためにも、俺は彼女と付き合わなければならない。
―桃色のアドバイス……。
【ナチュラルな言葉】
そうだ、ナチュラルだ。
「ナチュラル」
自信満々に口にしたのに、彼女はノーリアクション。
「ぇ? ……あのこれ、良かったら召し上がって下さい」
生卵の女が大量に卵を持ってきた。卵が好きすぎて自宅で鶏でも飼っているのか。
彼女が無類の卵好きだということはよくわかった。小説の参考までに彼女の恋愛感や男の好みが知りたい。
「君の好みは」
「SMですね。小さい方が好き」
SM? 小さい方がいいのか? 人は見かけによらぬもの。初対面でSMはまずいだろう。いくら刺激的な恋の虜とはいえ、過激過ぎる。
大体俺はノーマルだ。それにサイズは至って普通だ。他人と比較したことはないが若干勝っている気もする。彼女の要望には応えられない。
「鞭や蠟燭を好むのか」
彼女が一瞬ギョッとし、何故か蠟燭のように直立不動で固まっている。
「昨日のことは深くお詫び申し上げます。鞭とか……暴力は勘弁して下さい」
暴力? 俺が女に暴力?
振るうわけがないだろう。今まで一度も人を殴ったことはない。人を殴ると自分の手が痛むからだ。
【ストレートに告白すれば】
桃色のアドバイスだ。どんな反応をするか試してみるか。
「ずっと気になっていた」
彼女が目をぱちくりしている。
「ずっと好きだった」
彼女の手から、卵の入ったビニール袋が落下する。グシャリと足元で卵の割れる音がした。はずみでビニール袋が破れ、中からダラリと卵が垂れる。
なんということだ。たった二言で彼女のハートを射止めたというのか?
「……すみません。すみません」
彼女は熟れたトマトのように頰を真っ赤に染め、落下した卵を見て取り乱している。
恋愛カウンセラー、桃色。奴は恋愛のスペシャリストかもしれない。
「今のセリフ、どう感じた?」
「えっ?」
彼女は跪き、垂れた卵をティッシュで拭き取る。割れた卵でベトベトになった指先。俺ならば触れたくない。
「嬉しいと思ったのか?」
「……只野様のことはよく存じていないので」
「嬉しくないのに、卵を落としたのか?」
「ドキッとして……。故意ではありません。玄関を汚してすみません」
ドキッとした?
あんなセリフでドキッとしたのか? 女を口説き落とすなんて意外と簡単なのかもしれない。
ならば、ここからはアドリブだ。あらゆる角度から彼女を観察したい。
「俺と寝ろ」
パンッと頰を叩かれ、鼓膜がビリビリと振動している。
これは小説の筋書きだ。
男のセリフをイメージしたまで。主人公はテクニシャンなのだから。
早とちりな彼女の手には、生卵がベッタリついている。その手で殴られた俺の頰には、タラリと白身が垂れている。
最悪だ……上手くいっていたのに。
アドリブを入れた途端、この様だ。
「只野様、申し訳ありませんでした。失礼します」
「君、君……。今のはアドリブだ」
失敗してしまった。しかしスムーズにことが運ぶと、俺の小説は三章で完結してしまう。
こんなアクシデントも恋愛小説にはアリだな。まずは彼女を引き留めないと。
「実は君に頼みがある」
「私に頼み?」
「俺と付き合ってみないか」
「は?」
今度は大丈夫だ。同じアドリブでも、きっと上手くいくはず。
この俺が頼んでいるのだ。断るはずはない。
「申し訳ありません。仕事があるので失礼します」
彼女は俺に背を向けスタスタと遠ざかる。
『ずっと好きだった』そのセリフには反応したのに、『俺と付き合ってみないか』には無反応。
一体どこが気にいらないのか、俺には皆目見当もつかない。
ただわかっていることは、生卵の女は無類の卵好きということ。
鶏みたいな女がどうすれば刺激的な恋の虜になれるのか、さっぱりわからない。
玄関を片付け、割れてない卵を冷蔵庫に入れ、座敷に戻りプロットを作成する。
プロローグはどう書けばいい。戦国時代ならば合戦の場面から書くのも悪くはないが、恋愛小説で主人公をいきなり殺すわけにはいかない。それではサスペンスになってしまう。
「困ったものだ」
ヒリヒリと痛む頰に触れる。『俺と寝ろ』と言って殴られた。これは生真面目で尚且つしらふの女にはNG。
だが酔えば女も開放的になる。一夜限りの恋を楽しむのは、男だけではない。寧ろ生真面目な人間ほど酔えば羽目を外すものだ。
そうだ、主人公が酒を飲めばいいんだ。
プロローグはホテルでの情事。だがイメージが摑めない。酒を飲んだだけで、果たして女は男に抱かれたいと思うのだろうか。どうすれば恋愛小説のプロローグになるんだよ。
俺はパソコンに視線を向ける。
そうだ、桃色だ。彼女なら俺に良きアドバイスをくれるはず。
【桃色恋愛カウンセラー】を開く。
迷わず、お気に入り登録をした。これからもアドバイスを乞うためだ。
【群青色です。彼女に『俺と付き合ってみないか』と申し込み、相手にされませんでした。何故無反応なのかわからない。】
入力したものの、待てど暮らせど返信はない。
注意書きをよく見ると【当サイト、相談は二十四時間入力可能ですが、即時回答ではありません。】とある。
なんだ、早朝は運が良かっただけか。即時回答でないのなら期待はできないな。
桃色は神的存在ではなく、明らかに副業のようだ。
桃色の本職は心理カウンセラーに違いない。だから勤務時間外に、無償で悩める者達の相談に乗っているのだ。桃色は人間的にも素晴らしい逸材。ゆっくり回答を待つしかない。
このまま書けない恋愛小説に時間を費やすよりも、好きな歴史小説を書いた方が効率的だ。
カリカリと万年筆を動かし、一心不乱に戦国の世を書き綴る。
気がつけば、いつの間にか周辺は薄暗くなっていた。部屋の照明をつけ、時計に目を向ける。
織田信長に没頭していたため、昼食を食べていなかった。
「もう夕飯時か。弁当でも買いに行くか」
徐に立ち上がり、下駄を履き徒歩数分のスーパーKAISEIに向かった。
店内に入ると、今朝謝罪に訪れた彼女が陳列棚に卵のパックを並べていた。
どれだけ卵が好きなんだ。やはり前世は鶏に違いない。卵を見ただけで、殴られた頰が連鎖反応を起こしピリピリ痛む。
午後六時半を過ぎると、KAISEIの弁当や惣菜は半額になる。まだ時間があるため、俺はぐるぐると店内を歩き時間を潰した。
「いらっしゃいませ。お兄さん、お弁当が安いよ」
半額シールを貼りながら、販売員が俺に声を掛ける。
「わかっているから、半額シールを待っていたのだ。それに俺はお兄さんではない。作家の只野だ」
「失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
「俺は多忙を極めているんだ。ゆっくりしている暇はない」
白いエプロン姿の販売員と揉めていると、後方から声がした。振り向くと私服姿の彼女が立っていた。
「……只野様? いらっしゃいませ。何か商品に問題でも?」
販売員はあからさまに『助かった』という顔をし、俺の前からそそくさと逃げ去る。
「君か、そう言えば君の名前を聞いていなかったな」
「御園と申します」
参考までに、もう一度彼女のリアクションを脳内にインプットしたい。
「ずっと気になっていた」
このセリフに女性は心を揺さぶられるのだ。現に彼女も……。
「そうですか、幕の内弁当は当店でも人気商品なんですよ」
いや、そうではない。
「ずっと好きだった」
「私も幕の内弁当は好きです。今夜は一人だから買って帰ろうかな。もしご希望ならレンジで温めましょうか?」
同じセリフでは、どうやらときめかないようだ。
「問題ない」
いや、問題ある。確か彼女は今『今夜は一人だから』と発言した。
すなわち、いつも一人ではないということになる。
小説の主人公は、独身で男性経験なし。すなわちバージンという設定だ。
彼女の地味な風貌から独り身だと思っていたが、既婚者なのか?
彼女が弁当にスッと左手を伸ばす。薬指をじっと観察するが、指輪はない。
ということは男と同棲しているのか。
俺の描いていた主人公のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れる。
彼女が……バージンでないと困るのだ。
「あの……何か?」
そうか。恋人がいたから俺を相手にしなかったんだ。
いやまて、それならば主人公の設定を変更すればいい。主人公は同棲している男がいながら、新たな恋に溺れていく。
それでいこう。……その前に、もっと観察したい。
酒を飲むと彼女はどう変化する? 彼女が乱れる様を見てみたい。
「君は酒をたしなむのか?」
「お酒ですか? 多少……。お酒の売り場ならあちらになりますが……ご案内しましょうか?」
「俺と今夜飲まないか」
彼女は幕の内弁当を手にしたまま、こちらに視線を向けて驚いたようにパチパチと数回瞬きをし、無言で右手に持っていたカゴに弁当を入れた。
これは俺の誘いを拒絶したという意味か?
いや、そうではない。職場だから周囲の目を気にして、即答出来ないのだ。
無言のまま、二人でレジに並ぶ。購入したのは同じ幕の内弁当だ。
レジの店員が彼女に話し掛ける。
「まひるちゃんお疲れ様」
「お先に失礼します」
下の名前はまひるというのか。御園まひる、悪くない。
スーパーKAISEIを出ると、彼女は俺より距離をあけ後ろを歩く。男より数歩後ろを歩くなんて、今時珍しい奥ゆかしい女性だな。
やはり小説の主人公は彼女しか考えられない。
立ち止まると、彼女も立ち止まった。俺は振り返り、彼女に話を切り出す。
「君、彼と別れてくれないか?」
「彼? ……あの、只野様はスーパーのお客様です。ご迷惑をお掛けしたこと、只野様に手を上げたことは深くお詫び致しますが、お客様とプライベートでのお付き合いは出来ません」
「不祥事を詫びるというのなら、一度でいい、一緒に食事をしてくれ。それで全て水に流す」
「食事……ですか?」
「この幕の内弁当でも構わない」
俺はスーパーの袋を持ち上げ、彼女に見せる。
「わかりました。食事をご一緒すれば許して下さるのですね」
意外と簡単に彼女は俺との食事を承諾した。これは案外上手くいくかもしれない。
彼女は男と同棲している。彼女の自宅に上がり込むことは不可能だ。スーパーから俺の家は近い。
そうなると……俺の屋敷しかないな。
これで彼女の生態を詳細に観察することができる。
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