第四話 呪いの解釈

 人を呪わば穴二つ。この言葉の僕の中でのイメージは、「詠唱」だった。

 なんだか怪しげな恰好をした人間がなんだか怪しげな言葉を呟きながら、決めるところで決める台詞。それによって相手を呪うなにかが発生する。魔法や超能力を発動させるために呟くキーワード。つまり詠唱。

 それで僕はタタリさんから今度の相手は呪いです――と言われたので、しったかぶって人を呪わば穴二つというやつですね――と言ってしまった。

 するとタタリさんはむっとした顔をする。

「私は人死には好かんですよ。だからタタリさんが出ると言っとるんでしょう。あんたちょっとタタリさんをなめくさっとらんか?」

 もちろん僕はとんでもなく慌てた。タタリさんが明らかに不快感を示している。僕の不用意な発言のせいだということは明らかなのだが、さらにまずいことに僕の発言のなにがタタリさんの不興を買ったのかが愚かなことに僕にはまるでわからないのだ。

 というわけで、僕は何度も謝りながら、自分の発言の意味をタタリさんに訊ねるというよくわからない行動に出た。

 それでタタリさんはさらにむっとする。

「あんた、自分の言葉になんの責任も持っとらんのか。適当に引っ張ってきた言葉をその場のノリで使うのは馬鹿のすることです。言葉をいち側面だけから見て否定するのもいかんが、言葉の意味するところを有耶無耶にして当然のように使うのはもっといかん。それで君はどういうつもりで今の言葉を使ったんです」

 罵倒よりもっとひどい論理的な説明を覚悟で、僕は詠唱云々というイメージを伝えた。

 するとタタリさんは、興味深そうに唸った。

「なるほど。適当なイメージというのはね、実は大切なんですよ。タタリさんなんかは一次情報に接続できてしまうから、どうしてもそうした胡乱な情報に疎くなってしまう。ありがとう。勉強になりました」

 小さく頭を下げたタタリさんに僕が周章している内に、タタリさんは厳しい表情へと戻っていた。

「穴を掘れと言うとるんです」

 それは――と言いかけて僕は口を噤む。最初に経緯を話した時に僕の趣味のこともタタリさんに伝わったが、ここでそっちに話が及ぶわけもないからだ。

「二つ、ですか」

 自分の安直さを呪うと、急にタタリさんの言葉の筋道が見えた。つまりタタリさんはこう言いたいのだ。人を呪わば穴二つ掘れ――。

「そうだね。なにを埋めるのかと言えばそれは死体です」

 死体が二つ。一つは呪いをかけられたほうとして、もう一つは。

「喧嘩両成敗ですか」

「君は時々わかるようでよくわからんことを言うね。まあおおよそはそういうことです。呪いというのは受けた側も行使した側も死にます。そういうもんなんです。つまりね、これは薬よりもっとひどい。嘘でも、出鱈目でも、呪いだと言い張れば呪いとして成立するんです」

 タタリさんが相手にするということは、解釈人だということ。彼らは自分の解釈を強引に相手に押しつけてしまえる。

「これは厄介ですよ。解釈のロジックの下に、呪いのロジックも潜んでいる。問題は、相手がどこまで賢しいかだネ。理解した上で補強として解釈を使っているくらいの頭があると厄介だが、君のように適当なイメージで呪いという言葉を使っとるんなら、もっと厄介です」

 それはどういう意味なのか訊ねようとしたその時、ありえないことにダダーの入口のベルが鳴った。

 僕はぎょっとして立ち上がり、初日に本当に形式だけを教えられた接客方法を思い出す。

 現在時刻は午前十時。開店直後にタタリさんが来店し、それから僕はずっといつものボックス席でタタリさんと向き合っていた。

 普段ならばランチタイムが始まる午前十一時半より前にバイトを上がるかタタリさんに連れ出されるので、僕はタタリさん以外を相手に接客というものをしたことがない。それくらいこの店は流行らないのだ。

 来店時の挨拶すら教えてもらっていないことに気付いて僕が固まっていると、穏やかに笑いながらマスターが出てくる。

「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ。立待くん、メニューお出ししてね」

 それだけ言うとすぐに厨房へと引っ込んでいく。しかしながら僕にやるべきことを的確に指示してくれたのは助かった。僕はレジ横の棚に積まれた年季の入った革張りのメニューを引っ張りだすと、ここでようやく来店した客の顔を見た。

 派手な金髪の女性だった。ただ、その雰囲気は、派手だったという過去が重くのしかかっているように見える。

 金髪はよく見ると根本が黒くなっているし、げっそりとした顔はノーメイク。着ている服も派手なのだが、その佇まいからはそれしか着るものがないので仕方なく着ているように受け取れる。

「あの……」

 入店してからずっとその場で突っ立っている女性に、僕はおずおずと声をかける。

「佐藤太郎はどこ?」

 言われてからしばらく、僕は意味が飲み込めなかった。佐藤太郎というキャラは消滅している。僕の中にはもういない。

 それで僕は、彼女が僕を捜してここまでやってきたのだということに気付く。目的は復讐か報復か私刑か――どうせろくでもないに決まっている。

「なに? あなたが佐藤太郎なの?」

 わかりやすい顔をしているというのは本当に不便だ。知らぬ存ぜぬで押し通すことは多分僕には一生できない。

「お願い、助けて。私は呪われてる」

 これに対しての僕の対応は、自分でも驚くほどスムーズだった。

「――まず、佐藤太郎という人物について、あなたが得た情報とソースを教えてください」

「は? ああ、もうカウンセリング始まってるのね。佐藤太郎は現代のスピリチュアル陰陽師で、どんな悪霊も呪いも祓ってしまえるって、あなたが自分のアカウントで宣伝してたじゃない」

「そのアカウントを知った経緯は?」

「タイムラインに流れてきたのよ。誰がシェアしたのかは覚えてないけど」

 思い出したくもない顔が頭に浮かぶ。タタリさんから呪いの話をされている最中に、呪われているという人物の登場。僕とタタリさんに接点のあるあの社会のゴミが一枚噛んでいると考えて間違いないだろう。

 佐藤太郎という人物をでっち上げたのは、単にタタリさんを前に出したくなかったからだと思われる。ただ客がいない時間にこの店にくるように仕向けたのはつまり、僕を介してタタリさんと接触させるためだということだ。

「どうぞ。こちらの席に」

 というわけで忌々しいが僕は黒幕の思惑通りに動く。先程まで自分が座っていたボックス席に女性を導き、タタリさんと向き合わせる。

「サンプルがほしいと言ったんです」

 女性の顔をじっくり見つめながら、タタリさんは上機嫌でマスターに追加注文をする。今しがた八寒地獄パフェを平らげたところなのに、アイスクリーム三段重ねの大ジョッキに入ったクリームソーダが運ばれてくる。

「しかし仕事が早いネ。月夜くん、タタリさんが喉を潤しとる間にその人から事情を聞いときなさい」

 いやかえって喉が渇くんじゃないかと思いつつ、僕は佐藤太郎というのはハンドルネームで――と断りを入れてまずは信用させにかかった。

 しかしそんな気遣いも無用だったようだ。女性はとにかく自分の話を笑い飛ばさずに聞いてくれる相手を欲していた。僕が話を聞く態勢になると、こちらのことなど無視しているかのように一気にまくし立て始める。

 岩井いわいいずみというのが彼女の名前だった。岩井さんは土師駅周辺のキャバクラで働いていたそうだが、今は辞めている。というのも、そのキャバクラの常連客こそが、彼女を呪った人物だからだそうだ。

 岩井さんは特に人気があったわけではないが、来店する度に決まって彼女を指名する客が二人いた。

 運の悪いことに、一週間ほど前にその二人の客がかち合った。岩井さんも岩井さんで、自分には人気がないので自分を指名してくれるあなたに好意を持っていると両者に同じモーションをかけていた。

 好きでもない相手と一緒の席に座って酒を飲むというシステム上、こんなものは可愛い方便である。が、岩井さんに本当に人気がないことが事態をややこしくした。二人の客は売上ランキングを参考にどちらも自分こそが岩井さんのオンリーワンだと哀れにも信じ込んでいたのである。

 しかし二人とも大人ではあった。あとから来店した客のほうが相手の顔を見ておきたいと言い出したので一時慌てたが、先客のほうが喧嘩なら買ってやるとばかりに本当に顔を出した。先客の外見は邪悪なインパクトがあったので怯むかと思いきや、なにがおかしいのか声を立てて笑って先客の肩を親しい友人のようにばんばんと叩き、それじゃあまた今度――と言い置いて帰っていったという。

 それでその場は何事もなく収まった。岩井さんは貴重なお得意さんを失うのだけは避けようと必死だったが、相手はむすっと黙ったまま普段ならアフターまでいくところを閉店前に帰ってしまった。

 翌日、その客が死んだという報せが入った。

 岩井さんは驚いたものの、休むことなく店に出た。すると開店してすぐに昨日なにもせずに帰ったほうの常連がやってきた。

 昨日のこと、そして今日入った報せを話すべきか迷ったが、なんと相手のほうからにやにやと告げられた。

 ――昨日の人、死んだんだってね。

 どうしてそれを知っているのか。ひょっとして二人は知り合いなのかと訊ねようとする前に、声を潜めて続けた。

 ――俺ね、あの人のこと呪ったんだよ。

 またまたぁ、と愛想笑いをする岩井さんだったが、それが空虚なことは自分でもわかっていた。

 ――でもね、もうしない。もう解釈を敷衍する必要はない。

 そして男は昨日と同じように、親しげに岩井さんの肩をばんばんと叩いた。

 ――じゃあ、呪ったからね。

 それだけ言うと男はさっさと帰っていった。

 その日から、岩井さんにはまるでいいことがなかったという。家の鍵を落とす、車のキーの閉じ込めをやらかす、犬の糞を踏む、鳩の糞が頭に落ちてくる――などなど、彼女は延々自分に起きた悪いことを話し続けた。

 確かにこの量は異常だななどと僕が思っていると、岩井さんは急に電池が切れたように口を開いたまま言葉を失い、一度、スイッチを入れるかのようにまばたきをする。

「あ、繋がりました」

「感染かッ」

 どん、と僕の頭がテーブルに叩きつけられた。隣のタタリさんによるものなのだが、僕にはなにがなんだかわからない。

「タタリさん?」

「月夜くん、私がいいと言うまでそうして顔を伏せとりなさい。いいですか、絶対に顔を上げちゃあいかんですよ」

「はい? あの感染って、類感呪術と対になるとかいう……」

「まだ後生大事にフレイザーの話をしとるのかこの国は! いいから、そこでじっとしとるんです」

 よくわからないが、タタリさんに逆らって顔を上げるだけの気概は僕にはない。そしてちょっとでも顔を上げようものなら、また思い切り叩きつけられるだけだろう。

「それで三日月タタリ、私になにか言うことがあるんじゃないの?」

 これは岩井さんの声。岩井さんにタタリさんのことは紹介していないはずなのだが、なぜ名前を知っているのだろう。

「生体意識をハックしなければ表層化できない程度の相手にかける言葉はないですよ」

「あっそう。じゃあ言っとくけど、あなたはもう切り離したから」

「判断が遅いネ。さっさと見切りをつければよかったものを。そんなに私が惜しいんですか」

「間違いなく最良ではあったから。その分完全に独立されると面倒だから、切り離すかどうか悩んでいた。結論として、あなたはもはや脅威になり得ない。放っておいても問題ないほどにね。鹿村しかむらキボウのほうにリソースを割くほうが有用」

「――彼女はどうにもならんでしょう」

「まあね。完全な失敗作だけど、その結果がこれなら上々じゃない? まあ、もうどうでもいいことだけど」

「そんなことを話すためにわざわざ出向いてきおったんですか。まさか止めようなんて思っちゃおらんだろうね?」

「そんな気はないし、もう取り返しがつかないとこまできてるから切り離したんじゃない。立待月日、あの男の差し金に乗っかっただけよ。彼、まだあなたを諦めてないみたい。でもやっぱりあの男狂ってるわ。あなたの頼みを承っておきながら、あなたを」

「月夜くん、顔を上げなさい」

 なにか込み入った話をしているようなので逡巡した僕を、タタリさんが怒鳴る。

「顔を上げろと言っとるんだ!」

 びくりと跳ね起きた僕の顔を、意味のわからない言葉を話し続ける岩井さんの目が捉えた。

 電気ショックを浴びたように、岩井さんの表情が弾ける。

「あれ?」

 真顔に戻った岩井さんは、テーブルの上に勢いよく嘔吐した。

 タタリさんはなんの躊躇いもなく吐瀉物の中から小さな紙片をつまみ上げた。

「解釈のロジック、呪いのロジック、両方使ってやっとこれですか」

 紙片を開くと、ご丁寧に一文字「呪」と書かれていた。

「岩井さん? 大丈夫ですか……?」

 岩井さんは胃の中が空っぽになると、勢いよく立ち上がった。

「呪いが解けた!」

「はい?」

「いや、なんか体調? があの日からずっとおかしかったんだけど、今完全に治ったわ。自分が一番わかるってやつ。すごいじゃん佐藤太郎、あなた本物だったのね」

 そこで自分の吐いたものを見て顔を顰める。僕が片付けると申し出ると、明るくだがきちんと申し訳なさそうに謝った。

「あんたに呪いをかけたという男の住所、勤務先、連絡先、とにかくあるだけの情報を全部よこしなさい。彼への報酬はそれだけで結構です」

 タタリさんに言われて岩井さんは一瞬迷うが、すぐにもう後腐れはないだろうと言われた通りにする。僕が掃除をしている内に、岩井さんは上機嫌で帰っていった。

「あの、タタリさん……」

「考え得る限り最悪の相手ですが、現状、最も対処の容易な相手です」

 いや、僕には聞きたいことが山ほどある。今の言葉にしてもそうだし、僕が顔を伏せている間に一体二人がなんの会話をしていたのか。僕にはまるで理解できなかった。

「では月夜くん、先程の情報は控えているね。君はその男のところに行って、こんにちはと挨拶をしてきなさい。それでケリがつく」

 また意味がわからない。

 そこでタタリさんは、やっと僕の顔を見た。困惑をそのまま表した僕の顔を見て、寸時黙考する。

「そうだね。では私が月夜くんに呪いの解釈を伝えておこう。君の中にそれが根付いた時点で、呪いなんてものは全くの無意味になるというわけです。私の解釈を受け売りにした君が直接相手に接触することで、全部吹き飛ばせてしまう。それだけ脆弱な相手ということですよ」

 納得しかけるが、やっぱりおかしいような気がしてしまう。まるで、たった今つけ足した理由であるような。

 結局僕は言われるがまま、その呪いをかけたという男を捜し出し、こんにちはと挨拶をした。

 男は僕の顔を見ると、けたたましく笑いだした。

「なるほど! なるほど! これはまさに根治療薬! 立待月日! あの男は本当に狂っている! こんなものを手札に握っておきながら、今の今まで切らなかったとはな!」

 男はそこで急に真顔に戻り、怪訝な顔をしてこんにちはと挨拶を返してきた。

「近所じゃ見ない顔だな。なにか用か?」

 僕はわけがわからないまま逃げ帰った。

 まだダダーに居座っていたタタリさんに報告すると、よくやったと頷いてくれた。

「さて、バックアップは完全に失ったわけだ。わかってはいたことですが、時間は想像以上に残っとらんね」

 僕がなにか聞きたいということを顔に出していると、タタリさんはきっと睨みつける。

「月夜くん、今日のことは誰にも話してはいかん。これはね、お願いです。頼むから、どうかなにもなかったことにしておいてほしい」

 タタリさんのお願い――それが一体どれほど重い意味を持つのか。僕は直感的にわかっていた。だからこそ、それを断ることは僕にはできない。

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