第五話 探偵の解釈
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昼間から開いているバーというものは、ランチメニューを出しているかどうかで大別できる。
出しているのなら、それは日中バーとしての役割を放棄している。元がバーであるのにアルコールを提供することを目的としていない。店によっては同じ店舗で昼と夜で経営者が違う場合すらある。こちらはまあ、健全なほうだとも言える。
僕が現在――午前十時に入店したこの店は、駄目なほう。ランチもクソもない、朝から安酒を提供する場末も場末。
地理上、それは仕方ないことだとは思う。土師駅周辺の掃き溜めのような店が立ち並ぶ中、朝から酒が飲めるというのは、結構な客寄せ効果がある。そうは言っても狭い店内に客は今入店した僕とタタリさん、そしてカウンター席にソフト帽に二重廻しという厄介そうな男が一人。
男はタタリさんを見止めて、続いて僕の顔を見て不敵に笑った。
「いらっしゃる頃だと思っていました」
男の奥には、ちょうど席が二つ空いていた。タタリさんが男の隣に、僕が一番奥に腰かける。
「いつもの」
タタリさんが流れるようにそう注文し、バーというものに初めてきた僕は周章してしまう。
「彼には泡を」
男が助け船を出してくれた。若いがやつれた様子の店主は無言でカウンター下の冷蔵庫を開けると、ビンに入った炭酸水とコップと栓抜きのセットを僕の前に置いた。
栓抜きの扱いに悪戦苦闘していると、タタリさんの前に五段重ねのパンケーキが出された。映えるなどという言葉とは全く無縁の、単なるカロリーの怪物。そのまま切り出したであろう四角いバターの塊の上からなみなみと注がれたメープルシロップは、深皿の底で一番下のパンケーキ一枚をほとんど呑み込んでしまっている。「雑」と呼ぶのが一番しっくりくる惨状である。
男は琥珀色の液体の入ったグラスを傾けながら、タタリさんの塔を破壊していく御業を懐かしむように見物していた。
「それで、エディターの次は私ですか?」
「あなたは解釈しがいがない。放っておけばいずれ自滅するから、手を貸せと言いにきたんです」
「また私と組んでくださるということですか?」
タタリさんは男の言葉を無視してパンケーキを頬張った。それは絶対にないのだという了解の上で、二人は互いの腹を探り合っている。相手の手の内を熟知した者同士の、息が詰まるのにぴったりと合った会話だった。
「あの、タタリさん――」
この場の緊張に耐え切れずに僕が声を上げると、男ははっと目を剥いた。
「妬いてしまいますね。以前に三日月先生の仕事を手伝わせていただいていた身としては」
どういうことだと僕は身を乗り出す。タタリさんはそれを気に留めることもせず、パンケーキの二段目を平らげたところだった。
「話しておられなかったのですか。初めまして、私は
僕の顔を見て、綿貫さんは笑いながら頷いた。期待通りの反応ありがとうとでも言いたげに。
「ええ、無論、探偵などと名乗れば世間一般にどのような目で見られるのかは承知しています。ですが、この土師市において、『職業』はことのほか意味を持つんですよ」
この男が解釈人であることは間違いないだろう。タタリさんが僕を連れてダダーを出た時点で、これから会う人間は解釈人だと示されている。
「探偵という役割を獲得し、その上で解釈を敷衍する。弱小の私が今日まで生き残って長老格などと分類されているのも、抜け道から抜け道へ逃げ続けてきたからなんです」
ぎょっとして僕は綿貫さんの顔を見る。
若い。大人ではあるし、服装でカモフラージュされているが、三十路を超えてはいない。
長老格という存在がいるということを聞いて、僕は年寄りとまではいかなくとも、危険な香りのする渋いオッサンの姿を想像していた。それが目の前の男は、まるで僕の想像に寄せてきているように危険な香りを醸し出してはいるが、燻したような渋さは全くない。
長老格という言葉にすっかり騙されていたようだった。それは事の発端から解釈人として目覚めた連中の総称であって、事の発端は、どうやらそれほど昔ではないのだ。
「ああ、そう身構えないでください。私は長老格の中でも末席も末席。自分の領土を持たないような流れ者です。その点を気に入っていただけたからか、三日月先生の助手として働かせていただいた時期がありました」
「ゲリラ、火事場泥棒、漁夫の利狙いの手合いですがね。それを私の見えないところでやっていたんだから大したもんです。気付いていればもっと早く手を切ったんだが」
タタリさんは最低限の口出しをして、すぐさま口の中をいっぱいにする。
「はは……まあ私も一応解釈人ですから、三日月先生のお目こぼしだけでは自分の地盤を確保できなかったので。私は探偵ですからね。事件への介入は専売特許というわけです」
そこで綿貫さんはグラスで唇を湿らせ、底に溜まったメープルシロップを飲み干しにかかっているタタリさんに棘のある視線を送った。
「釈迦に説法だとは自覚していますが、今のパートナーの方はあまり事情に詳しくないようなので彼への説明という意味を込めて言わせてもらいます。三日月先生、あなたは自分がなにを仕出かしたか、理解されているのですか?」
その質問は、タタリさんには全くの無意味だ。それは綿貫さんもわかっている。これはタタリさんへの質問という形を借りた、僕への忠告だ。
「エディター及び彼女の生み出した『能力者』は、図らずも解釈人同士の衝突を未然に防いでいた。解釈による即物的な殺傷力が存在することは、それだけで抑止力になっていた。好き勝手に暴れ回る暴力機構であっても、それをエディターという個人が掌握していたという事実は大きい。それゆえにエディターは私のような肩書だけの長老格などよりも、はるかに大規模な領土を所有していた。エディターの手を離れれば暴走する以上、エディターの斬首という手札も実質潰されていましたしね。全く彼女は上手く立ち回っていました」
綿貫さんは僕の顔を見て、なるほどと頷く。僕がそうした事情を全く知らず、タタリさんに言われるがままに動いている――それを僕の表情は如実に示しているはずだ。
「その点、三日月先生のお手並みはやはり見事でした。エディターと『能力者』を同時に無力化してしまうなど、他人の解釈に敵愾心しか見せないただの解釈人などには絶対に不可能だったでしょう。ですが、これによって起こるのは、あの頃の混迷の再来です」
エディターの『能力者』は、エディターからの指令をある程度は受諾していたはずだ。『能力者』が僕をターゲットと呼んでいたことからもそれは明らかである。多分それは「ミッション」や「レイド」などと虚飾されていたのだろうが、とにかくエディターは人をいくらでも殺せるだけの戦力を動かすことができた。
それが全部、消えた。タタリさんが消してしまった。
するとなにが起こるか。エディターは、最初から警告していた。
「エディターと『能力者』が消えたことはすでに周知の事実です。領土の大小関係なく、行動を起こしている解釈人は相当数に及んでいます。本当に――どうするんですか」
「全部終わりにするつもりです」
綿貫さんは絶句していた。
「時間はあまりない。そうでなければあんたなどに接触しません。手を貸しなさい、探偵」
「それはつまり、私も解釈するという宣告と受け取っていいんですね?」
タタリさんは無言で僕の前に置いたままになっているグラスをひったくり、炭酸水で喉を潤す。甘ったるい匂いのしそうなげっぷを臆面もなくかますと、グラスをカウンターに音を立てて叩きつけた。
「全部です」
それを聞くと綿貫さんは恭しく頭を垂れ、これは告白です――と前置きをしてからそのままの姿勢で話し出す。
「私が三日月先生に抱いていた憧憬と崇拝は、間違いなく私の本心でした。ですが悲しいかな、私は解釈人だった。どうしようもないほどに解釈人でしかなかったのです。三日月先生へのこの想いと、私の解釈人としての行動理念は、矛盾しているようでその実全く相反さないのです。だから、私は三日月先生に見限られた時、ほっとしたのです。三日月先生が、私を解釈してくれる。私の解釈人としての宿業を断ち切ってくれる。そうすれば私は、本当の意味で三日月先生の助手を務められるのだと。ですが三日月先生は、私を解釈しなかった。私は己の愚かさと滑稽さに、げらげら笑いました。三日月先生が私を助手にしてくれたのは、私が一端の解釈人だったから。それ以上の意味は一片もないのです。私の利用価値は、私が解釈人であることでしか存在しない。私が三日月先生の下で働くのなら、私は必ず三日月先生を裏切り続けなければならない。馬鹿げている。全く馬鹿げているんですよ。だけど、たったひとことでよかったんです。私を解釈すると、三日月先生が仰ってくれたなら、私は全てをなげうって三日月先生のために動くことができた。それが、それが今なのですね」
綿貫さんの座った席の下に、ぽつぽつと水滴が落ちていることに気付く。
タタリさんは別段なんの感慨も見せることなく、今度は綿貫さんの飲みかけのグラスをひったくって中身を一気に煽った。
「ぬるいウーロン茶」
「ええ。相変わらずの下戸です」
それが合図だったのか、綿貫さんはクレジットカードを店主に渡すと、サインをして返却されたカードをしまう。
「では近場から参りましょう。『能力者』の中に、自ら解釈人に変異した者が数名います。ほかの解釈人はまず彼らを潰しにかかるでしょう。死人が出れば私の出番ですが――無論、控えさせていただきますとも」
「いや、やりなさい」
タタリさんの言葉に、綿貫さんは目を見開く。
「あなたが今日までどういう渡世をしてきたのか知っとります。解釈人や『能力者』同士の争いで出た死人は、この町では全て事件性なしとして処理される。そういう約定になっとるからね。あなたはそれに納得しない遺族の前に探偵と名乗って現れ、都合のいい死因をでっち上げる。その解釈を押しつける技量は見事なもんです」
「抜け道を使っているだけですよ。早い話が死体漁りですからね」
「敷衍領域を広げろと言っとるんです。私に隠れてやっとったことを大っぴらにやりなさい」
「それは――」
「わざわざ死人を出すような適当なことはせんですよ。そのための私です。私がやることは、解釈人の解釈。あんたはそこに付け込んで自分の解釈を敷衍していた。それを許可します。なぜって、どうせ全部終わりにするからネ」
「いけません――三日月先生、どうか、どうか私を信頼しないでください。私は三日月先生を裏切る男です。上前だけはねてとんずら決め込まないとは言い切れないんです。わかっているはずです。解釈人とは、そういうものなのだと」
「タタリさんにはもう時間がないんだな。だからあなたに領土を持たせるのは、最後に一括で吹き飛ばすためと、もう一つ。間に合わなかった場合、あなたにそれを任せるためです」
この人には絶対に勝てない――綿貫さんだけではなく、僕もまたそう確信した。
「ずるい――あまりに、ずるいですよ」
綿貫さんはタタリさんを裏切った。それは彼が解釈人としてそうせざるを得ないとわかって行ったことだったが、同時に彼はあまりにタタリさんに心酔しすぎていた。タタリさんは当然、それを許さなかった。綿貫さんと手を切ったのは彼がタタリさんに隠れて自分の領土を広げようと動いていたことが露見したからであり、それはタタリさんの行動とは相容れない。
だが、タタリさんが全てを終わらせると宣言したこの時、綿貫さんが求め続けていたこの時、タタリさんは綿貫さんを手駒として利用し、自分がしくじった時の保険としても利用すると言い放った。
それはすなわち、無上の信頼の証明であり、裏切るという行為すら容認するのと同時に、それが意味するところを綿貫さんの魂に焼印で刻みつけるような、あまりにむごい契約だった。
しかし――僕はタタリさんの言葉に妙な引っかかりを覚えた。
時間がない――これはどういう意味だろう。市外――あるいは伯父の言っていたお偉方の下にでも向かわなければならないということだろうか。だが、それと『全部終わらせる』というタタリさんが恐らくごく最近掲げた目的に、関連性を見出せない。
タタリさんがいなくても、現状を維持しておけば土師市に大きな混乱は起こらないはずだ。自浄作用で木っ端解釈人は淘汰されていくとタタリさん自身も言っていた。
だが、タタリさんがエディターを解釈したことで、土師市は一気に混迷を極めようとしている。
最初期の混迷を落着させたのはそのタタリさん当人だと伯父は言っていた。それがなぜ今になって、寝た子を起こすような行動を起こしているのか。
解釈人を全て無力化してしまうという大義は、確かに意味がある。だけどもそれは理想論でしかないはずだ。タタリさんが今まで実行しなかったことからも、それは明白である。
だが、タタリさんは畳みかける。僕が気付いた時にはもう後戻りできないところまで踏み込んでしまっている。
そこで僕は気付いてしまう。それはありありと僕の表情として出力される。タタリさんはそこから、解釈の余地を挟むこともなく僕の感情を読み取る。
「そう。君のおかげです」
僕だ――タタリさんは、全てを終わらせることができるだけの武器を手にしたのだ。
タタリさんの解釈を増幅して出力し、凄まじいまでのショートカットを可能にする触媒。それが僕だった。
タタリさんは僕の顔を見た瞬間、はたと気付いたのだろう。最終兵器として僕を運用し、解釈人を殲滅することが可能か――その問いに、タタリさんはエディターを解釈すると決めた時点か、あるいはもっと前から答えを出していた。
ぞっと――する。僕は自分の気付かぬ内に、タタリさんによってのみ動かせる決戦兵器に仕立て上げられていた。
逃げるなら今の内だと急き立てられる。このままタタリさんに付き従えば、きっと僕はあまりに多くの解釈違いをこの目に焼きつけられることになる。
筆を折ったエディターを憐れむようななまっちょろい僕に、解釈違いの果てに己自身を否定されていく人々を見届けるだけの気概があるのか。それを引き起こすための装置としていいように使われることに耐えられるのか。
「タタリさん」
だから僕は一つ、どうしても聞いておかなければならない。
「全部終わったら、僕も解釈してくれますか」
呆気に取られたその表情は、僕が初めて見るタタリさんの深淵だった。
「そうだな――君がもし、解釈の余地をその身に挟み込むことができるようになったのなら、ええ、約束しましょう。その時はタタリさんが月夜くんを解釈します」
結局、僕が変わらなければならないのか。失望が少しと、展望がほんのわずかに見える。
僕がタタリさんによって数多の人間の解釈違いを引き起こし、見せつけられていけば、きっとなにかが変わる。それは絶望かもしれないし、タタリさんへの憎悪かもしれない。だが、それが解釈の余地を生み出すのなら、タタリさんはそれを見事に解釈してくれる。その全幅の信頼は、確かに置ける。
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