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『能力者』の変異種を全て解釈し終えたという連絡は、以前にタタリさんに教えられた伯父のアカウントが削除されたことで僕たちに伝わった。
激闘――などという生易しいものではない。あまりに一方的な、タタリさんによる蹂躙だった。
僕たちが向かい合ったのは三人。
一人目。風を操るという設定をエディターによって付与された彼は、その凶悪さから綿貫さんにマークされていた。
エディターから与えられた能力名を放棄し、新たに「鎌鼬」と名乗るようになった彼は、風の刃で音もなく人を殺傷することで自らの解釈を得るに至った。
事前にそのことを綿貫さんから聞かされた僕は、彼と向き合った時に死を覚悟した。目がイッている。
「それで、あんたはどっちの鎌鼬ですか」
タタリさんは普段と同じ調子で、彼に問いかける。「鎌鼬」は意味を理解しようとする素振りすら見せず、奇声を上げて腕を振りかぶった。
「石燕の描いた窮奇か、飛騨のほうの三人一組か。どっちかと聞いとるんだ」
恐らく彼は、鎌鼬が三人一組で行動するという話を知っていた。その上で、俺は一人で全部やってんだぜヒャハハハハハァ――と答えた。答えてしまった。
多分それは、彼の中では技を放つ際の決め台詞のようなものだったのだろう。だが、タタリさんの問いかけに答えたことは、解釈というまな板の上に自分から転がったということに等しい。
「そうか、君は一人で三人分の働きができるのか。ではまず、転ばさないといかんですよ」
腕を振り下ろす。普段ならこれで目の前の人間が切り刻まれるのだろう。だが、僕たち三人にはそよ風すら吹かない。
「では月夜くん、君に話さんといかんね。飛騨のほうで言う鎌鼬は、一人目が転がし、二人目が切りつけ、三人目が血止めの薬を塗るんです。で、そこの鎌鼬はなんと言いました」
「なんでも一人でできるもん」
「そうだね。つまり彼は、その三人分の働きを自分が行うと宣言したんです。鎌鼬の設定に則り、その上で自分がそう行動すると、自ら規定したんだな。で、彼が実際に行ったことは」
「腕を振っただけです」
「そのアクションは果たして相手を転ばせるだけの解釈を生むか。答えは私たちが転んどらんから明白だね」
違う、そういうことじゃない、などと「鎌鼬」が喚く。
「鎌鼬と名乗り、それを自己解釈の基盤としたのなら、鎌鼬という言葉の含む膨大なデータをその身に宿すことになるんです。だからタタリさんは選ばせてあげたんだな。彼が選んだのは三人一組バージョンだった。で、彼が実際に行ったことは」
「腕を振っただけです」
真空の刃だッと叫び、腕を振るう。それだけだった。
「解釈を敷衍する、自分の解釈を強引に相手に押しつけるということはつまり、相手に確かにそう解釈させるということなんです。自分と相手の解釈が一致しなければ話にならんのです。論拠薄弱の解釈はまあ、受け入れられるはずもないんだな」
違う違う違う――絶叫しながら腕を振り回す「鎌鼬」。
「語感や印象だけでその言葉を選んだ無知をまず恥ずべきですね。自分で好きなように解釈してしまえるなんていう人は、それ相応の知識と技術をまず持っとるんです。逃げ口上に妖怪を使うような場合は、逆に妖怪が自壊のトリガーになる。妖怪をなめちゃ、いかんですよ」
僕はタタリさんの説明をしっかりと承り、「鎌鼬」の前に出る。
奇声というよりはほとんど悲鳴のようなものを上げて腕を振り回す彼に、僕は遠慮がちに声をかけた。
目が合う。顔を、表情を認識する。
「解釈違いです」
綺麗に一番下の段をすっぽ抜かれただるま落としのようにがくんと身体が震え、決定的ななにかが崩れ落ちる。
「解釈――痛み入ります」
末期の言葉のようにそれだけ言ったのを確認すると、綿貫さんが持ってきた荷物の中から牛刀を取り出して握らせ、往来へと蹴っ飛ばした。
悲鳴が上がり、駅前は大騒ぎになる。明らかに目がイッている男がデカい刃物を持って呆然と立っているのだから、通報されて銃刀法違反で速やかに逮捕されるだろう。
「以前に後始末をした事件と紐づけされるように取り計らっておきました」
やはりと言うべきか、綿貫さんは警察関係者とも繋がりがあるようだった。事実以上の罪を被せられることになるのかもしれないが、結局彼がやっていたのはどう言い繕おうと無差別殺傷なので、この場で殺されなかっただけ幸運だったのだろう。
タタリさんがまともに取り合ったのは、この一人だけだった。人を殺しすぎた相手だったせいか、容赦なく解釈違いに陥らせるという応報を受けさせた。
あとの二人は、それこそ出会って五秒で片付けてしまった。伯父のアカウントからその二人の情報を僕に与えたタタリさんが、その反証をあらかじめ吹き込んでおく。そして当人と相対し、僕に向かって能力が振るわれると、それが全く意味をなさない。
「解釈違いです」
勝負は始まる前から決していた。僕がそう言うと、全てを理解してしまった彼らは二人とも瓦解した。
相手がエディターの「うちの子」のままだったなら、こうはいかなかっただろう。エディターが作り上げたキャラクターと設定、世界観の全ての否定を個人に対して行うのは難しい。だが彼らは自らの解釈を得てしまった。エディターの創作物という壁を破る。それは彼らが個人として解釈を敷衍することであり、同時に「創作物である」という庇護を失うということでもあった。その程度の解釈なら、タタリさんがちょっと口出しをすれば見るも無残に砕け散る。
変異種はあとどれくらいいるだろうかとコーヒー店で作戦会議をしていると、虚空を見つめていたタタリさんがフハッと息を漏らした。なぜだかわからないがそれが合図のように思えてスマートフォンを確認すると、伯父のアカウントが消滅していた。
タタリさんに報告すると、つまらなそうに頷いてひとまず一段落だと欠伸をした。
「値打ちというより、見世物が尽きたから痕跡を隠滅したんだね。アカウントで晒している以上の視野をあの男は持っとるから、そこは信用できます」
タタリさんが伯父の話をしている間、綿貫さんは僕でもわかる忌々しげな渋面を作っていた。あの男は社会のゴミだとわかっていても、綿貫さんのここまであからさまな不快感は意外だった。
「目下の懸念は排除できましたが……三日月先生の目的を考えると、そろそろ長老格に接触せざるを得ませんね」
綿貫さんが思いつめた顔でそう呟く。長老格――最初期に目覚めた解釈人。彼らを土師市に閉じ込めることで、この土地は解釈の無法地帯と化した。一筋縄でいくはずのない相手だということは、目の前の綿貫さんの手際を見てきたのでいやでもわかる。彼もまた長老格――その末席だと自称している。
「急がんといかんね。あ」
ついうっかりテーブルの紙ナプキンを二枚取ってしまったような、他愛のないトーン。
その声のしたほうを見ると、タタリさんがやれやれと、自分の腹部から垂れている臓物を元の位置に押し込んでいた。
あまりに平然とそれを行うタタリさんに、僕は一瞬それが当たり前の行動のように見えてしまった。
そんなわけはない。タタリさんのお腹からどんどんどんどん、内臓がデロデロに溶けたように溢れてきているのだ。とんでもなくスプラッターな光景なのは間違いない。ところがタタリさん当人は、調子の悪いリモコンを振るように、鬱陶しそうにではあるが別段困る様子もなくはみ出た内臓をぎゅっぎゅと戻している。
ううむ、僕ってなんか
「立待くん?」
ボックス席の向かいに座った綿貫さんが不安げに声をかけてくる。そうか、僕とタタリさんが並んで、その向かいに綿貫さん。タタリさんの背丈の都合で、向かいの綿貫さんは気付いていない。
どこか遠くへ意識が飛んでいた僕を、タタリさんがぐいと覗き込んでくる。額が触れそうな距離で見るその表情に、僕は元よりなかった言葉を失った。
「急がんといかんのです」
頷く。それしか僕にはできない。
何事もなく綿貫さんと話を詰めていくタタリさんを、僕はぼんやりと眺めていた。
さっき見せたあの表情――それを解釈することが、どうしてもできない。
僕は自分の解釈を持ち合わせない。だが相手の顔色を窺うことくらいはまだ可能である。それは大きな括りでは解釈に含んでもいいはずだ。
喜怒哀楽の全部乗せ――ですめばまだ優しい。わからない。本当にわからないのだ。まるで、解釈の余地がそのまま表層化したような。答えを出せば別の答えで張り倒される。解釈の無限ループ。
僕の口を封じるためにそんな顔をしてみせたというのも、タタリさんならやりかねないことではある。だが、僕にははっきりとわかった。あの表情は打算で出たものではない。タタリさんが僕にだけ見せてくれた、本心そのものなのだと。
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