下層都市
フライングボードというものは実に速く、また見た目に合わず安定性があるのだと知った。
今、ハンナは操縦者の背を必死に掴み、目まぐるしく変わり続ける暗い景色を眺めている。
意識を取り戻した建物からこの少女と飛び立ち、十分は経過しただろうか。未だに会話らしい会話はしていない。
「ちょっと…」
数度声をかけるが、返事はない。
それは彼女が意地悪をして敢えてそうしているのだと考えていたが、こう何度も繰り返すと、おそらく風をきる音や環境音のせいで聞こえてないだけだろうと思い至った。
「ねぇってば!」
出せる限りの大声に、やっと少女は振り向いた。
「なんだ、もぞもぞ鬱陶しい」
いつの間に着けていたのか、派手なゴーグルがこちらを覗く。なるほど、通りでこうも暗く込み入った建物の中を、ぶつかりもせずにスムーズに走り続けていたわけだ。
「これ、どこに向かってるの!」
「とりあえずは街を一周して、そんでナンバー57まで飛ぶ。その後は…」
「なんで、私そんなこと頼んでない!」
「あぁそうだ、隣の街にも連れてってやるよ。はは、気に入ったとこがあれば落としてやるから、好きに暮らせば?」
「ふざけないで!」
笑う彼女を睨みつける。どうやら自分はこの少女に連れられて、地下を見て回ることになるらしい。
確かに地下に対して無知ではあることは否定ができないが、そんなことをするための時間など無い様に思えて不安や不満は募り続ける。
しかし、だからといって反抗する術は無かった。
現在自身の身身体は地面からはるか高くの位置をものすごいスピードで飛行しているのである。足は何かに固定されているような感覚はあるが、何より狭い足場であるし、今は必死に目の前の気に入らない少女にしがみついているしかない。
そして、先ほどのやり取りから見ても、自身の力が彼女に勝るとは到底思えなかった。
「またアンドロイドに見つかると面倒だから、成る可くぱっぱと回るぞ。あぁでも、首のことは試してみたいな」
悩むような仕草をしながらも、器用にボードを動かし鉄骨の間をくぐり抜けて行く。
ふと、疑問に思ったことを聞いた。
「ねぇ、これってどうやって飛んでるの?磁力かなにか?」
一拍間を置いて、返事が返る。
「…さぁ?」
「え?呆れた、仕組みもわからないのに使ってるの!」
悲鳴じみた声を上げると、目の前の少女は顔をしかめた。
「そうは言うけどな、人間なんてそんなものだろ。…自分が使ってる物の構造も分かってねぇのに、まるでそれを使いこなしてるような顔をすんだ」
そうして、前を見据える。
「ほとんどの人間が、作り出すことは愚か、壊れた時に修理すらできない。だからその物の危険性すら認識できないんだ。というか大体、機械の全てを分かってんなら全員技術者になるっての」
確かに、言われてみればその通りだった。
ハンナ自身、上ではハナタの助手のようなものを務めていたが、彼が作り出す機械を使用する毎に、それが一体どういう過程で生み出されたのかなど知らなかった。下手をしたら、用途もわからぬまま、言われるがままに使っていたこともある。
しかし、こうも危険が明白に伴う機械だと、やはり怖い。
しばらく飛んでいるうちに不意に揺らされ、ハンナは思わず意識して目を背けていたはずの下を見てしまった。思わず小さな悲鳴を上げる。
予想していたよりも、はるか高所を走っていた。
細く線になった照明や、やたらとカラフルな色を発する光がぐしゃぐしゃと入り混じり、影を生み出しながらも、それらにしっかりとこの街は照らされている。
「ねぇ、どうしてこんなに暗いの?」
疑問に思ったことを問うが、すぐに自身で答えを思い至る。それはそうだ、地下なのだから空がない。太陽の光など到底この街には入らないのであろう。
案の定、返った答えはその通りのものだった。
「土ん中なんだから、当たり前だろ。特に、貧民街なんかは寄せ集めの照明器具をやたらに配置するだけで終わってるからな。朝昼晩の区別はあるが、まぁ、時間だけの認識だよ」
今は何時なのだろう、と思いながら、もう一度下に目を向けた。
ボードが安定しているせいか、一度見てしまえばそこまで恐怖を感じなかった。
細い路地にはテントのようなものや、廃棄されたのであろう機械の山が、所々築かれていた。その路地に隣接している建物たちからは、所々湯気のようなものや煙が空に向けて排出されている。
込み入っているにも関わらず、どこか寂れて貧相な光景。
そして何より目を引いたのは、座り込んでいたり、急いでいるのか足早に駆けていたりする人間たちだった。
「たくさん、人が」
当然、先ほど出会った者たちの他にもいるのだとは分かっていたが、実際に見てみると安堵する。初めてこれほど大勢の人を見た。ハンナは改めて認識する。
やはり、人の居場所はここなのだ。
「望んでいた光景か?」
「もちろん。これだけいれば、いくらでも助け合って生きていける」
「…どうかな。よく見ろよ」
ジェダリアが、高度と速度を下げる。地面に近づき、下の光景がよく見えた。
「見ろって、何を」
ジェダリアは大袈裟にため息を吐く。
「あいつらは今何をしている?」
そう問われ、怪訝な顔をしてハンナは下を向く。人々の行動など様々である。座り込んでいる者たちは目立つが、他の人々は大体、何かを買っていたり話し込んだりしていて、各々の動きがあった。フードや帽子など顔を隠している人が多いため、表情はわからない。
「別に、普通じゃないの?」
少し、寂れた雰囲気があるだけ。
ジェダリアは何も答えなかった。ハンナはしばらく、低空飛行のボードから下を見渡す。
相変わらず、周囲の音は大きい。機械が動く、独特の音が空間全体に響き渡るように、その重音と高音が織り交ざって耳についた。不思議と心地よく感じ、自然に耳を傾ける。そうして気づいた。
これほどの音の中、人の喧騒が少しも聞こえないのだ。
不意に怒声が下から聞こえ、ハッとして目を向ける。
酷く痩せた、小さな子供が見えた。一つの煌々とした建物から駆け出ると、待ち受けていたのだろうか、数人の男が逃げるその子供を掴み上げる。
そのまま、何の躊躇もなく殴りつけた。
囲うようにして、寄ってたかって子供に手をあげる。鉄パイプや角材を持つ者もいた。
囲まれた子供は見えないが、確実に、あのままでは死ぬ。
ハンナは悲鳴を上げ、ジェダリアに掴みかかった。
「なに、あの人たちは何をしているの!子供が、叩かれてる!あのままじゃ死んじゃうわ!」
必死に叫ぶも、ジェダリアは変わらずにボードを進めた。
「まぁ、死ぬだろうな」
彼女は鬱陶しげにハンナの手を払うと、淡々と答える。ハンナは絶句した。色々な考えが瞬時に頭に巡ったが、何よりも。
人が、人を殺すという行為。
それが、最も信じられない。
「どうして…?」
「あれだけ集まるなら、盗みの常習犯か。それとも単に、憂さ晴らしに殴られてるかだな。食べてねぇようだし、すぐにくたばるだろ」
「そうじゃない!」
先ほどの光景は、もはやはるか後ろになった。なぜ、何故と疑問が沸き続ける。
「どうして!ねぇ早く引き返してよ!助けないと、子供が」
「意味がない」
意味、とは。
それはあの場に対する自身の無力さのことか。
「周囲に助けを呼べばいいじゃない!あれだけ人がたくさん…!」
「止める奴がいるなら、あんな公然とした場で殺しなんてしない。大体、意味がねぇのは、あんなのが『当たり前』だからだろうが」
なにを言われたのか、ハンナは理解できなかった。
目の前の少女は、あの場のような事に、まるで日常茶飯事であるかのように対応する。
「キリがねぇって言ってんの。囲ってた奴らは少なくとも六人はいた。私が見た限りでも、商人らしい奴がそん中の半分。下手な正義感起こして敵に回していい奴らじゃない」
「わけがわからない!人を…人殺しをしても許させるくらい、そんなに、そんなに強いの?商売人が?」
「…他人の命のために、自分の命伸ばすための物を売る奴らを敵にして良いわけない。あいつらは徒党を組んでる。一人が敵になれば、少なくともこの街で食材の調達なんてできたもんじゃないぞ」
ジェダリアはそう言うと、ボードを通常の走行に戻した。ハンナは呆然と彼女を見つめる。
わからない。
なにを言われても理解できそうになかった。それはこの少女が、街がおかしいのか。それとも、自分が、おかしな考えを持っているのだろうか。
口を開くも声にならず、しゃがみこんで下を向く。
それからは、沈黙のままに走り続けた。
途中何度か、倒れ伏している人を見た。
怖くなって目を背けるも、すぐに同じような情景が目に入る。
この街は、どこも同じような風景だ。
ぼんやりとした頭の中でそう思った。
第二層 尾白慎也 @apnii3215
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