事情
隣の、カインが発したものだと瞬時に悟った。
三人は顔を見合わせ、部屋へと駆け出す。
扉を開けると、薄明かりの暗い部屋だった。
先に入ったジェダリアが壁のスイッチを押すと、途端に明るくなった部屋の中で、床の上で重なっている二人の姿が現れる。
下敷きになって情けない声を出しているのは間違いようもなくカインだが、その上に跨り、光る何かを振り上げる少女にジェダリアは見覚えがない。
「うわぁ!ちょっとタンマ!タンマぁ!!」
悲鳴を上げるカインに、その光るものが振り下ろされる直前、ジェダリアは少女に向けて駆け出した。
上体を押すように飛び込み、少女を押し倒す。そのままマウントをとると、手に握られた光るもの、よく見れば小型のサバイバルナイフであったそれを叩いて取り上げる。すぐに自身の手の上で回転させると、少女の首元にそれを突きつけた。
その時、初めて少女と目が合う。
ひどく怯え、慄く紫紺の瞳。
「よせ、ジェダリア!」
ガレンツォの声に、動きを止めた。
そのまま、誰もが静止する。
己の下にいる少女は、放心したように口を開けていた。
とても殺意があるようには見えず、おそらくパニック状態に陥っていたのだろうと、こちらも冷静になって推測ができた。
「…大方、暗い中のカインに驚いて飛びかかったんだろ。そいつは悪かない」
「な、ナイフ持ってたんですか!あぁもう、やっぱりこの街の人間ってろくなのいないじゃないですか!見た目に騙された!」
ローレンが隅で頭を抱える中、カインは口を開けたまま床に座り込んでいた。なんとも、先ほどまで対アンドロイドの戦法を説いていた男とは思えない。
ジェダリアはガレンツォに一度目配せするも、すぐに少女を睨みつける。
「悪かないったって。咄嗟とはいえ、刃ぁ向けてきやがった」
「何言ってやがる、この街じゃあ防衛手段はそれが通例だ。まさか、そいつが女の餓鬼だからって判断じゃねぇだろうな。よく見ろ、お前と大差ねぇ年頃だ」
言われて、改めてジロリと見渡すと、確かに自身とそう変わらない歳のように見える。
栗色のふわりとした髪が、少女を幼く見せているのだろう。それでも顔立ちは大人びており、背もジェダリアより幾分か低いだけのように思えた。
「…目が覚めたんなら、それでいい。おい、そいつの意識をはっきりさせろ。回復してるようなら、とっとと送り出して帰らせろ」
ガレンツォはそう言って、元の部屋へと戻っていく。
納得のいかない顔でそれを見送り、ジェダリアは少女に顔を向けた。
いまだ、揺れる瞳で虚空を見つめ続ける少女に、ジェダリアは短く舌打ちをして彼女の頬を軽く叩く。
「おい、起きろ。起きろって」
数度繰り返すと、ふと、少女が瞬きをした。そうして数度、激しく目を瞬かせると、ジェダリアを視認すると同時に驚いたように身じろぎをする。
その際、少女の上から退いたジェダリアは、彼女の腕を掴んで無理やり立たせる。
「おら、斬りかかれるくらいなら、身体になんともねぇんだろ。早く出てけよ」
急かすように扉を示すが、少女はしばらくまるで自身が何者かもわからないかのように彼方此方に目を回し、髪や身体に触れたり、足元を見つめたりしていた。
「…どうした。早くしろよ」
焦れたジェダリアがもう一度少女の腕を掴むと、少女は瞬時に顔をこちらに向ける。
そのまましばらく見つめ合い、否、ジェダリアからすれば睨み合っていたわけだが、それが思いの外長く続くと、ふいに少女が、驚愕と困惑の声音で初めて声を出した。
「…生きてる」
「あぁ?」
何をいまさらと、苛立ったジェダリアが声を荒げる。すると少女は途端に全てを思い出したかのように形相を変え、ジェダリアに掴みかかった。
「ここは?地下?地下なのね?」
「…あたりまえだろ。ほら、早く自分の家にでも主人の家にでも帰れって」
「…生きてる…生きてる!やった、降りれたんだわ!」
喜びと共に少女は小躍りしだした。何度も自分の身体を確認し、腰のポーチや、周囲をキョロキョロと見渡す。
しばらくして、冷めた目で自身を見つめるジェダリアに目を止め、再び詰め寄った。
「あなた人間よね?地下に暮らしているのでしょう?えぇと、あぁ、何から話せばいいのかしら、私、私ね」
食い気味に喋り始める少女を遮るように、肩を上げて大袈裟にため息を吐き、ジェダリアは少女の腕を引いて扉から出る。
「ちょっと、あぁ、さっきはあの、ごめんなさい、私ほんとにびっくりして、でも、本当に信じられなくて。だってきっと、心の底では信じていなかった」
「うるさい。早く出てけ、迷惑だ」
「…そんな!待って、話を聞いて」
椅子に座っているガレンツォに一度目をやり、頷き合うと、玄関の扉を開けた。
踏ん張る少女を軽々と引きずり、外へ出す。
「…ローレンが助けたんだってな。礼はいらない。じゃあな」
そのまま閉め出そうとするも、少女がその細い身体ごと扉の間に滑り込んだため、苛立って怒鳴りつける。
「おい、いい加減にしろよ!何がしてぇんだお前は!」
「いいから聞いてよ!なんて話のわからない人なの!」
両者睨み合い、沈黙する。
奥でガレンツォが席を立つ音がした。そろそろ、自身の仕事もやらねばならない。早くこのやり取りを終わらせたいという一心で、ジェダリアは小馬鹿にするように口を開いた。
「なんだ、言いてぇことあんならとっとと言えよ。興味が湧いたら聞いてやる」
その言葉に軽く目を見開くと、少女は睨みつけるようにジェダリアを見た。
そうして一度呼吸を深くすると、静かに口を開く。
「私は助けを求めに来たの」
「あぁ、犯罪関連ならアンドロイドにでも…」
「ちがう、私はここの人間じゃない」
「…だったら、どこから」
その問いに、少女は一度口を閉じた。
そうして突然、ジェダリアに顔を近づけると、何かを、恐れるかのように、伝えた。
「わたし、『地上』からきたの」
********
「地上?なんだそれ」
ジェダリアの声に、ガレンツォが顔を上げる。
「そうよ、上から来たの。『穴』を通って…というか、落ちて、なんだけど」
「上って…お前まさか、汚染された場所から?」
「汚染…そうね、魔の土に覆われた、すごく危険な場所よ。私、逃げて来たの」
ふいにガレンツォが立ち上がり、二人に声をかけた。
「おい、戻れ」
「いや、こいつは」
「いい、ここに座らせろ。話を聞く」
それを聞いて、少女は喜んでジェダリアの横を抜け、中に入り込む。いつの間にかこちらの部屋に戻っていた若い男二人も、こちらを見つめて驚いた表情を浮かべていた。
四人は席に着き、話を始める。
それを眺めながら、ジェダリアは苦い表情を浮かべた。
地上、捨てられた場所。
だからなんだというのだ。
あらかた話を聞き終わり、各々が息を吐く。
「そうか、生き残っていたか」
ガレンツォの言葉に少女が頷くと、ローレンは疲労したかのように頭を抱え、唸り声を上げた。
「技者の一族ですか。穴が必要なくなった以上、もはや存在しないものかと」
「…穴を使っていないなんて知らなかった。ハナタは…私の祖父の鉄技師は未だに鉄を投げ入れ続けているわ」
「それは気の毒になぁ。というか、お前さん穴からどうやって降りて来たんだ?地上からここまで、中継点使っても数キロはあるぞ」
「探査用のロボットが出入りするのは知ってたから、そのうちの一体にしがみついた。中継点?みたいなのはあったけど、ほとんどただ落ちるのに変わらなかったから、あまり時間はかからなかったわ」
「タフだねぇ。さすが、俺から一本取っただけある」
愉快そうに笑うカインを睨み、ローレンが疑問を投げかけた。
「それで、ここに来た理由は?」
少女は苛立ったように返事をする。
「言ったでしょう?上は危険なの。一刻も早く、上の人たちをここに降ろして、ここで暮らさせたい。私、幼い妹も上に残して来てて」
途端、壁に寄りかかっていたジェダリアが呆れたように笑い出した。
むっとしたように少女が顔を向ける。
「…何がおかしいの」
「危険…ねぇ。ここよりもか」
「当然。地下に蟲は出ないでしょう。流動して全てを飲み込む土もない」
「それが全部か」
「何?それが一番危険でしょう?」
「あ、そう。へぇ」
不意に笑みを消したジェダリアに、少女は訝しげに眉を寄せる。それ以降、窓の外を眺め始めた彼女を一度鋭く睨むと、男たちに向けて声を上げた。
「ねぇ、それより救助を出してくれないの?できれば急いでほしいんだけど…」
しかし、誰も目を合わせようとしない。
少女に何故、という疑問が浮かぶと同時に、ローレンが口を開いた。
「いぇ、それはできません」
「なに、どうして?地下の技術は進化したんでしょう?多人数を地上から地下に運ぶくらい…」
「…貧民街に言われてもなぁ」
貧民街、という単語が聞きなれないのか、少女は首をかしげた。
「ここの街は、金持ちたちに支配されてんだよ。そいつらが暮らすのが上層都市っつって別の場所にあるんだがな」
「…金持ち?そう、富裕層がいるのね。それなら、その人たちに頼めばいいじゃない」
「うーん」
唸り出した若い男二人に、少女は苛立ったような目を向けた。
なにをそこまで渋るのか、なぜ嫌がっているのかが分からない。
見た目からも頼りになりそうなガレンツォに目を向けるが、彼も静かに目を瞑るだけ。
「いや、なんというか、ここ貧民街はなぁ、上層都市に楯突ける存在じゃあないんだわ」
「楯突けなんて言ってないわ。それにきっと、伝えれば必ず地上に」
「それはどうかな」
再び割り込んだジェダリアの声に、隠しもせずに嫌悪の顔を向ける。
「…人が生きているのよ、あなたたちが置き去りにしたの、地上に。見捨てて迎えに来ないなんて冷酷なこと、人間ならしない」
「なら、人間じゃあねぇな、私たちは。何せ上には『興味がない』」
「それはあなただけでしょう!」
「いいや違うね、だれもがそうさ。…特にこの街の奴らはな」
反論しようと口を開くが、辺りの三人の表情を見て、それが引っ込んだ。
「…本当に興味、ないの?」
「あぁ、まあ正直に言うとな」
「…っ薄情者!」
「いや、おそらく、地下の住民は皆そうだ。理由は各々だとして」
「理由って何よ!助けるぐらい…あなたたちの技術で助けるぐらい容易でしょう!」
「理由を教えてやろうか」
不意に近寄ったジェダリアを、震える目で見上げた。また意地の悪い事を言い放たれるのだろうと考えたが、彼女の芯の通った表情に目を見開いた。
「…理由なんて」
「教えてやるよ」
そう言うと、ジェダリアは近くに落ちていたボードを持ち上げた。ローレンに顔を向ける。
「大丈夫だったか?これ」
「あ、えぇ。故障はありませんでした。…出かけるんですか」
「あぁ」
支度を始めたジェダリアに、ガレンツォが声をかける。
「ちょうど良い。ついでに、ナンバー57に行ってどこでも、病院に一度連れて行け。見た所元気そうだが、身体を強く打ったはずだ。…それと、次は警備に掛かるなよ」
「はいよ、わかった」
淡々と進む話に、少女は焦る。
「待ってよ!なんの話?私をどこに…!」
立ち上がった少女の腕を掴み、驚く彼女をジェダリアが引き寄せた。
「ついてこい」
「…なんで!」
「地上の事情なんか知らねぇ。だがお前は今、地下にいるのだと自覚しろ」
「そんなこと、わかってる!」
言い切った少女に、ジェダリアが言い放つ。
「お前はこの場での『無知』を知れ」
そしてジェダリアが扉を開けると、少女は外へと連れ出される。三人の男に助けを求めるように顔を向けるが、無駄であった。
仕方なしに外へ目を向ける。
その時点で、少女は言葉を失った。
群がる建物、人々。騒音、とびかう光、闇。
先の見えない煙、底の見えない天。
硬く静止した『土』。
足を止めた少女を気にせず、ジェダリアは今しがた出たばかりの扉の前で、ボードをデッキの床に置いた。
腕に巻き付いた光る何かに触れ、少女を呼ぶ。
「おい、こっちこい」
嫌がるそぶりを見せると、舌打ちをする。
彼女がボードに飛び乗ると、途端、低い音と共にそれが浮き始めた。少女はあっけに取られてそれを眺める。
その表情に、ジェダリアは一度ニヤリと笑うと、手を差し出した。
「ほら、乗せてやる」
…なぜか、拒めなかった。
その手を取り、地上の少女は、
『ハンナ』は浮遊感と共に、ジェダリアの背に回る。
彼女の胴に手を回し、そして、顔を見合わせた。
まるで少年のような、その不敵な笑み。
「『第三層』へようこそ」
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