煙の中の

下層都市ナンバー173 区域G





無理矢理に空間を作り出すために、土を押さえる厚い巨大な鉄板で、ドーム状に覆われた貧民街。

当然、朝もなければ夜もない。


赤錆びた鉄骨が剥き出しになった背の高い建物たちの下では、テントを張った店から漏れる湯気や、古い機械の騒音、廃棄されたドロイドの山の中を足早に駆ける人々の姿があった。

その誰もがフードを目深に被り、まるで他の者を拒絶するかのように、己の目的地へ、住処へと無駄なく走っていく。


命が惜しい。


無力な消費者である彼らはそう願う。

何故ならここは本来、産み出す者達の居場所。

ただ落とされただけの自分たちには、秩序の為の壊れた旧型アンドロイドと、そこらに放られている壊れた武器しか味方が存在しない。


「おい、泥棒!返しやがれ!」


様々な物でごった返した店々の中の一つから子供が転がり出る。

細く骨ばった手足を動かし、すぐに立ち上がると、人の波を掻き分けて走り出す。

店主が叫びながら店から出るが、追って店を離れるわけにもいかず忌々しげに舌打ちをする。周囲の人々はそれに見向きもしなかった。


あまりにも当たり前なこと。


治安が悪いどころの話ではない。

盗みや殺しは当然であり、茶飯事。

それは心身共に荒んだ人々が起こす生きる為の行動原理でもあるが、それ以上に、意図的に相応の人間が送られてくるということが一番大きい。


上層都市に、更生不可能と判断された『犯罪者たち』。

それに触発される者も少なくない。




子供は走る。

行き交う沈んだ人々の中を、今日を生き抜くために走るのだ。


無力な者たちは、誰もがそうして生きていた。






下に広がる道を窓から眺め、タバコを咥えた無精髭の男は物憂げに息を吐く。


並みの建物よりも高所に位置するここの仕事場からは、外の景色がよく見えた。

本来暗黒であるこの空間は、常に無数の人口の光に照らされている。建物から漏れるものや、地に設置された大型の照明器具など、光度も色も多種多様ではあるが、それらが荒い配置で、ある程度の明るさを保っていた。

それでも暗いことに変わりはない。

さらに、工場などから排出される煙がそこらに蔓延しているため、遠方などほとんど見えなかった。

さらには常に鳴り響く機械音、サイレン、エンジン音。人々は常に、目の前の状況しか把握することができない。


道に接する建物の、ネオンの色が変わる。時刻が深夜2時を回った。


男は天に目を凝らす。

変わらず、光の筋をつけて煙った空は動かない。彼が待ち続けている人物は、いっこうに現れそうになかった。

タバコを持ち直し、拗ねたように言う。


「おいおい、あの子どこまで行ったのかしら」


対する返答は若い青年の声だった。


「ダブルAですよ。そう遠くはない都市ですから、もう帰るでしょう」


「俺、ジェダが来ないと当番交代できなくて帰れないんだけどなぁ。…ねぇ、ローレンくん代わりにやってくれない?」


「いや、僕はこれ終わったらすぐ帰るんで。それよりカインさん、座ってないでちょっと…手伝ってくださいよ」


カインと呼ばれた妙齢の男は、気だるげに同僚のローレンに目を向ける。

彼は床に置かれた大型のバッテリーを、唸り声と共に持ち上げようと奮闘している。数歩先のエアバイクに積み込みたいのだろうが、悲しくもそれが動く様子はない。

青年の童顔が苦しげに歪む様を見て、ニヤニヤと口角を上げながら揶揄するように肩をあげる。


「ローレンくん、男ならそれくらい片手でやれなきゃあ…。ガレンツォに解雇されちゃうよ、解雇。何より、非力な男ほど女にモテないものはない」


「…いやいや、僕は設計図の制作の方で大いに役立っているので解雇はありえません。女性に至っては、今のところぼくの周りには脳筋暴言少女しか居ないので全く気になりませんね」


「おいおい、ジェダはこの辺りじゃ屈指の美少女だぞ。荒んじゃいるが、贅沢言っちゃあいかんだろ」


「僕は内面を見る男ですから。ほら、手伝ってくださいって、お願いしますよ」


急かすように地団駄を踏む後輩を鼻で笑い、カインはのそりと立ち上がると、バッテリーの側により、それを片手で持ち上げた。

目を剥くローレンにウインクすると、エアバイクの荷台にドサリと音を立てて放る。


「あっ…ちょっと乱暴しないでください!」


「スポンジ置いてあんだから平気平気」


「機械はデリケートなんですよ!ほんと、あんたこの仕事向いてないんじゃない?」


「…おいおい、ローレンくん最近生意気だなぁ。俺がここ紹介してやったってのに。今、一丁前に生きてるお前がいるのは殆ど俺のおかげなんだぞ」


「あんたがいなくても立派に生きてましたよ!絶対!」


互いの言いようにムッとした二人がぎゃあぎゃあと喚きだした横で、不意に作業部屋の扉が音を立てて開いた。

中から現れた老齢の人物を見て、両者口を閉じる。


「…うるせえのは全員解雇だ」


眉間に皺を寄せ、疲れたように首を叩きながら出てきた雇い主のガレンツォは、二人には目もくれずに台所に向かう。その様子を見ながら、ローレンとカインは互いに目配せした。


「あぁ、お疲れ様ですガレンツォさん。コーヒーですか、お茶ですか」


「…コーヒーでいい。今日はこのまま作業を続ける」


「え、俺たちも残り?」


ローレンがカインを睨みつけると、なんだ、とでも言うように彼は片眉を上げた。


「いや、いい。お前はジェダが戻り次第帰れ」


「そうは言ってもあの子帰ってこないんすよ」


「おい、それよりローレン」


「はい、なんでしょう?」


ローレンは返事をしながら、インスタントのコーヒーをガレンツォの座る席へと運ぶ。彼はそれを受け取ってからすぐに一口飲むと、顎で向かいの扉を指した。


「少女はまだ起きねぇか」


言われて目を向けると、ローレンはため息を吐く。


「一度目は覚ましたんですけど、またすぐに眠っちゃいました。あぁそっか、あの子をここに置いていくわけにいかないか」


「…それは別に構わんがな。なに、彼処に伏してたんなら、それなりに訳ありだろう。俺ぁ面倒ごとに関わるのはごめんだからな、拾ったお前が面倒みろ」


ガレンツォが鋭い視線を向けると、青年はえぇ、と不満げに声を上げ頭を掻いた。






数時間前、ローレンはボルト探しに旧鉄工場へ向かった。

工場の一角には、大小、形様々な無数の鉄が無造作に積まれた空間があり、その天井には汚染された地上に直で繋がる大穴がある。大昔は地上に残された者たちが此方に物資を送るための輸送通路だったそうだ。落ちる過程でいくつかの中継地点があり、そこで分別されたものがさらに枝分かれした穴に放り込まれ、送られてくる。

この街には鉄が送られ、初期の頃から機械の開発に着手してきた。それは今でも続くことであるが、しかし、発展し、新技術の開発が進んだ今となっては、送られてきた物は殆ど意味をなしていない。これは恐らく、どの大穴から送られてくるものでも同じ扱いであろう。

地上からの汚染源が入り込まないよう、すでにどこかの上層都市が殆どの中継地点を塞いだという話も聞いたことがあった。

それでも、材料や留め具は旧時代の技術品でも十二分に役に立つ。

貧民街という、全てが枯渇したような場では特にありがたいとガレンツォは言い、定期的に部下のローレンやらを遣わせる。

今回も同じよう理由で訪れていたローレンだが、ヘッドライトで周囲を見渡しながら瓦礫の道を歩いている際、苦しげな息遣いが聞こえたため目を向けると、一人の少女が仰向けになって倒れていた。

慌てて近寄るも、電気のない廃工場の暗い中では少女の容体はよくわからない。それでも、荒い呼吸からしてとても良い状態とは言えないだろうと考え、急ぎ、外に止めたエアバイクを中に持ち込み少女を慎重に乗せると、職場であるこの建物に運び込んだのだった。



「僕だって好きで連れてきたんじゃありませんよ。病院ったって女子を安心して預けられるような場所はこの街には無いし…。まぁ、他の街にならあるかもしれませんけど」


「だったら連れてきゃいい。そいつの目が覚めたらそうしな」


「いや、僕のエアバイクじゃあ、『網』の中は走れません。入り組んでるんで、小回りが効かないと」


「だったら、あいつに連れてかせりゃいい」


「あいつ?」


ふいにガレンツォが玄関口を見つめる、そしてコーヒーを口に含み、ゆっくりと喉を動かすと再び口を開いた。


「ほら、帰って来たぞ」



部下の二人が扉に顔を向けたその瞬間、二つの影が現れると共に、罵声がこの建物に響きわたった。






********






「離せって!おい、壊すぞコラ!」


扉が開くと同時に、騒ぐ少女が旧型アンドロイドに担がれた状態で入室して来た。

ロボットらしいその外見に似合わず、軍服を羽織っているその旧型アンドロイドは、鉄の腕を動かして少女、ジェダリアを降ろすと、逃げ出そうとした彼女の腕を後ろに捻り上げる。


「いてぇっ!おい!いい加減離せってば!」


「おいおい、今度は何やらかしたんだお前さんよぉ」


カインが駆け寄ろうとすると、アンドロイドは瞳のランプを紅く光らせ、止まるよう手を上げる。そして背後に置いていたのか、ジェダリアのフライングボードをこちらに放り投げた。


「ジェダリア・カートライト。規定違反、小型飛行機器の使用には市民レベル4以上のライセンスが必須。規定違反、夜間の小型飛行機器の使用は禁止。規定違反、指定空路外の飛行を禁止。規定違反…」


次々に罪状を読み上げるアンドロイドに、カインが止めろ止めろと手を振った。


「あーあー、わあったわぁった。いつものだな。はいよすみませんね謝りますから帰ってくださいまし」


少女から引き剥がそうと腕を掴むと、アンドロイドは警告音を鳴らす。


「規定違反、警備用機械生命への接触を…」


カインはやれやれと肩を上げ、次の瞬間、側にあった作業台から大きめのドライバーを掴み取ると、大きく横薙ぎに振る。


その勢いのまま、アンドロイドの首に突き刺した。


ローレンが驚きの声を上げる中、刺さった場所から火の粉を散らし、アンドロイドは身体を振動させながら動きを止める。そうして数度目のランプを瞬かせると、ショートする音と共にその場に崩れ落ちた。

唖然とするローレンの横で、ガレンツォが平然とコーヒーを啜る。


「なぁにが生命だ。プログラムされたことしか出来ない旧型じゃねぇか、お前」


そう言いいながらアンドロイドの頭に蹴りを入れたカインを見て、ローレンは目を白黒させる。


「ちょ、ちょ、ちょっと、なにやってんですか!!攻撃行為はすぐに増援が…!」


「発信チップごと壊したから大丈夫だって。知らないの?ほら、」


火花が舞う中、刺さったドライバーを抜き取り、首の穴を覗く。


「旧型は首に埋め込まれてんの。ついでに主要の回路も通ってるから、ダウンさせるには首が一番いい。急所が首だなんて、わかりやすい構造してるよねぇ」


「…人に似せたんだろう。カイン、始末はしっかりしておけよ」


気の抜けた返事をすると共に、カインは動かなくなった旧型のアンドロイドを引きずっていく。それを横目で確認すると、ガレンツォは拗ねたように立っているジェダリアに目を向けた。


「…随分遅かったじゃねぇか。部品はどうした」


頼んだ仕事をこなしたのかと聞くも黙り続ける少女に、ガレンツォが片眉を上げると、しばらくして堪忍したように彼女は話す。


「しくった」


「あ?」


「…しくじったんだよ。途中でセンサー引っかかってドローンに追われた。…前はあんなとこになかったのに」


苛立って頭を掻き毟るジェダリアにガレンツォはため息を吐く。


「頼んだ部品はなしか。どうなんだ?」


「…そうだよ。悪かった」


いや、構わないとガレンツォは言い、労うようにジェダリアに席を勧める。それに対して大人しく少女が座ると、唖然と口を開けていたローレンはハッとしたように動き出した。


「あ、おかえり、今コーヒー淹れるから…」


「いや、大丈夫」


「あ、そう…?」


少し戸惑った表情と共に、ローレンは行き場を失ったようにその場をウロウロと歩き始める。呆れたようにそれを見つめ、ガレンツォは手元の空になったコーヒーカップを弄ぶと、ふと投げられたままのボードを目に止めた。


「…壊れてねぇだろうな」


気づいたように振り向き、ジェダリアが声を上げる。


「げ、あの野郎。壊れてたらただじゃおかねぇぞ。ちょっと、ローレン見て」


その命令に、先ほどから変わらず困り顔の青年は、肩をすくめてボードに歩み寄る。


「壊れてたとしても、もう既に、ただで済んでないですって。…ったく、本当に大丈夫なのかな」


ローレンがぶつくさと喋りながらボードを調べ始めたと同時に、大きな欠伸と共にカインが部屋に戻る。ジェダリアに目を止めると、気だるげに彼女の肩に腕を置いた。


「お兄さんにお礼は?」


「早く帰れ、おっさん」


「だってよガレンツォ、上がっていい?」


ガレンツォは首を鳴らして腕を組む。


「あぁ、お疲れさんよ。とっとと帰れ」


「はぁ、皆さん、それではさようなら。…の前に」


そう言って、隣の部屋へ続く扉に手をかける。


「眠り姫はどうかしら〜っと」


そのまま音を立てて部屋に入っていくカインに、咄嗟に顔を上げたローレンが声を上げる。


「ちょっと、変なことしないでくださいよ」


返事のない部屋の方を見て、ジェダリアは首を傾げる。


「どうした。誰かいるのか」


「ローレンが少女を拾って来たんだがな。それがしばらく意識が戻らないままで、面倒なんだ」


「数時間前に薄く目を覚ましたんですがね。そろそろもう一度起きてもいい頃かと」


「少女…?」


珍しい事もあるものだと、詳細を聞こうとジェダリアが口を開いたその時。





部屋の向こうから、男の悲鳴が響いた。








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