第3話 路上にて

 小一時間程待ってようやく順番が来た。

 ケストナーの後ろには、来た時と同じように百人位が並んでいた。

「それじゃあ、お先に!」

 と、通行税を払い終えた靴職人は足取り軽く去って行った。

「次っ! 商売は何だ?」

「移動劇団です」

「ほう、旅芸人か。一座の名は?」

「ケストナー一座と言います」

「知らんな」

「小さい小屋を回って旅する一座ですから」

「ふん……馬車はあれだな。中を見せろ!」

「はい」

 と、ケストナーは役人の後に付いて行った。

「ん、人数は二人だけか?」

「いえ。中で一人寝ています」

「おい、お前! 寝ている奴を起こせ!」

 と、役人がゼーマンに命じた

「起きろ。役人が顔を見せろとさ」

 中からひょこっと、ローズマリーが顔をのぞかせた。

「女っ!」

「こんにちは、お役人さん」

 と、ローズマリーが笑顔を振りくと、役人達も顔がほころんだ。

「んっ、ん……あ~、怪しい物は積んでいないだろうな?」

「はい、勿論」

「調べる!」

 ローズマリーも仕方なしに馬車を降りた。

 役人は荷台に乗り込んで、衣装箱やら何やら一々開けて、丹念に調べていく。

「何か有りましたか?」

「いや、何も」

 と、役人は馬車から降りた。

「んー。あー、ここは一つ何か見せてもらえないかな?」

 役人のご希望に答えて、ケストナーのヴァイオリン、ゼーマンの鼓の範奏で、ローズマリーが『サロメ』の一節を踊った。

 服の上から一枚だけヴェールを羽織り、なまめかしく、舞う。体をくねらせて、時折、触れんばかりに体を寄せて、役人どもを挑発する。ヴェールを取り去っては、再びそれを羽織る。その繰り返し。

 列に並んでいる者達からも、口笛が鳴ったり、歓声が飛んだ。ヴェールを取り去る事七回。踊り終えると、一斉に拍手喝采が沸き起こった。

 ローズマリーは右手を高々と振って、路上の観客に答えた。

「素晴らしい踊りだ!」

 と、役人もめ上げた。

「有難うございます」

 と、ケストナーが礼を述べた。

「うむ……所で、時間は有るか?」

「というと?」

「我があるじの館に招待するという事だ」

「主というと?」

「ガイツ・フォン・クラーゲン男爵だ」

「クラーゲン男爵……」

「そうだ。名は存じておるか?」

「ええ、まぁ」

「よし。俺が連れて行ってやろう」

嗚呼あぁ~」

「何だ、駄目なのか?」

「はい、急ぐ旅なので。明日までにはリューネブルクに行かないと」

「うん? 良いではないか、一日ぐらい。休んでいけ」

「いえ。既にもう芝居小屋を押さえていますので。到着が遅れれば、私が損害を被る事になります」

「それなら心配する事はない。礼金を十分に取らせてもらえるぞ」

「それは有り難いのですが、天候も愚図ぐずついていますし」

「だったら、尚更良いではないか? 館で雨宿りして行け」

「いえ。雨がしこたま降って、道が荒れれば、それこそ辿り着くのに何日掛かる事か。出来れば今のうちに一気に進んで、距離を稼いで置きたいので」

「ああ言えば、こう言う。お前は頭が固い奴だな!」

「……」

「そこまでごねるなら、ここを通さんぞ!」

 と、役人は血管を浮き上がらせて怒鳴った。

「う~ん……では、こうしましょう。ちょっと、こちらへ」

 と、ケストナーは役人を隅の方へ連れて行った。

「何だ?」

「女はお好きですか?」

「ああ」

「彼女なんてどうです?」

「ん! 抱かせてもらえるのか?」

「ご希望によっては」

「本当か!」

「声が大きい」

「済まん」

 ケストナーは馴れ馴れしく役人の肩に手を回した。

「流石にこの小屋の中では不味い。衆人の目があります」

「うむ」

「近くに小屋か何か在りますか?」

「在る」

「良かった。では、其処そこで……」

 指で男の背中に円を描いた。魔法陣を。

「おい、くすぐったいぞ」

 役人はほおを緩ませて訴えた。

「汝に与える。反する口を」

「今、何て……うっ!」

 役人の体がビクンと硬直したかと思うと、ふっと弛緩した。

 ケストナーは役人から離れると、その場にいる全員に聞えるように、大きな声で問い質した。

「私の一座は貴方の主の館まで行って、芸を披露しないといけないのですか?」

「いいや、披露しなくていい……えっ!」

 と、役人は自分の言葉に驚いた。

「先程、ここを通さんとおっしゃられましたが、やはりそうなのですか?」

「いいや。通って良し。うっ!」

「通行税は払わないといけないので?」

「まさか。払わずとも良い。嗚呼ああ~!」

「では、行ってもよろしいので?」

「許す、許す。あわわ!」

 二人の遣り取りを聞いて、周囲がざわついた。

「お前、さっきから何を言っているんだ?」

 と、かたわらに居た他の役人が、たまらず食って掛かった。

「そう、その通り」

「はぁ? お前はふざけているのか?」

「ふざけてる。うあっ!」

「おい、大丈夫か、お前?」

「さっきからともだ。うぅ!」

 ケストナは更に問い質した。

「では、最後にお聞きします。誰であろうと、この関を通る際は通行税を払わなければいけないのですか?」

「そうじゃない。払わなくて良い!」

 これを聞いて、列に並んでいた者達が騒ぎ出した。

「通って良いなら、通るぞ」

 と、男が一人、関を通り抜けた。

「いいぞ、行け! 行け! あわわっ」

 と、役人のこの一声が駄目押しになり、誰もが我先にと雪崩を打って関に流れ込んだ。

 皆を扇動したこの哀れな役人は、他の役人二人と殴り合いを始めた。

 役人は彼等以外にも後三人居たが、一斉に動き出した人々の勢いを押し止める事など出来なかった。

 馬車も負けじと、人込みに混じって関を通過して行く。

「おい、俺達も行くぞ!」

 と、ケストナーは馬車に乗り込んだ。

 北に向う者と南に向う者が擦れ違い、押し合い圧し合いしている中、ゼーマンが慎重に馬車を進めた。

 関への侵入を食い止めようとしていた役人三人はもはや諦めて、茫然ぼうぜんと立ち尽くしているだけだった。

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