第6話 光

 教会の扉を開けるのは、ヘルマンが取り次いでくれた。

嗚呼ああ、司祭様。夜分遅くに済みません」

「いや……所で、そちらの方は?」

「今、内の小屋に来ている一座の座長です」

「司祭様、お初にお目に掛かります。ケストナーと申します。亡くなった女の子にお悔やみを上げたくて来ました」

「マルタは今日、内の小屋に芝居を見に来ていたんですよ」

 と、ヘルマンが付け加えた。

「はい、存じています」

「芝居が終わった後、彼女は家に帰ろうとしないで、小屋の中をうろちょろして。何時までも内の座員達とお喋りをして。それを、もう遅いからと、私が無理に追い返してしまったんです」

「それで、罪の意識を感じて?」

「はい」

 と、ケストナーは答えた。

「そうでしたか……分かりました。では、どうぞ中にお入り下さい」

 間に合わせなのか、マルタは大人用の棺の中に横たわっていた。

「司祭様、実は……」

 と、ヘルマンが口を開いた。

「何です?」

「はぁ、あのう……」

 流石さすがにヘルマンも躊躇ちゅうちょしていた。

 正直言って、無駄な時間は掛けたくなかった。

「司祭様。私は妖術師です」

「っ!」

 ケストナーの突然の告白に、司祭は目が飛び出んばかりの驚き様だった。

「この子は家に帰るのを嫌がっているふしがありました。なのに、私は……砂男の仮面を被って。怖がらす真似までして、帰してしまった」

「……」

 司祭の顔からは驚きの表情は既に消えていた。

「あの時、私が面倒臭がらずに、マルタと真剣に向き合っていれば。話を聞いてやっていれば、もしかしたら防げたかもしれない……ですから、私はその償いをしたいと思います。自分のこの命を使って」

平均ドゥルヒシュニットの魔法?」

「御存知で?」

「話には聞いた事があります。妖術師は魔法で自由に寿命の遣り取りが出来ると」

「はい」

「ですがそれは、相手が生きている場合の話でしょう?」

「はい」

「死者に命を与える場合は、その分量の調節が出来ない。だから、平均ドゥルヒシュニットという。そう聞いていますが、違いますか?」

おっしゃるとおりです」

「どういうことだ?」

 と、ヘルマンがただした。

「つまり、運河の水門の開け閉めの自由が全く効かなくなるのと同じ事だ」

 と、司祭が代わりに説明をしてくれた。

「この場合、相手が亡くなっている。この子の、マルタの水瓶は空だ。水門を一度開いたら、そのままだ。この人の、ケストナーの水瓶からは水が流れっ放しになる。お互いの水瓶の水位の高さが同じになるまで」

「ん? それじゃあ、お前さんの命が半分に成るって事じゃないのか!」

 と、ヘルマンが飛び上がった。

「正気か、ケストナー?」

「ああ」

「おぃ……」

 ヘルマンは言葉を失った。

「司祭様。私がここで妖術を使うのを、どうかお許し下さい」

何故なにゆえにそこまで?」

「訳は自分にも分かりません。ですが、この子は救うべきだと、自分の内なる物がそう訴えているのです」

「……」

「自分も馬鹿ではありません。長き旅路ゆえ、今までにも多くの人の死を見てきました。老いも若きも隔たり無く。小さい子の死も幾人も。その都度つど心は痛めはしましたが、一々慈悲深さを見せる事はしませんでした。私も神様イエス=キリストではありませんから」

「この子の場合は違う?」

「はい。どう説明していいか……ただ、この子は本当にたのしそうに劇を見ていた。その場に居た誰よりも。そして、また、幕引き後の後も小屋に残って、ローズマリーやゼーマンを相手に。内の座員ですが、二人を相手に私が演じた役の台詞せりふを延々と寸分違たがわずそらんじて見せた。諳んじて見せた後の、彼女の、マルタの笑顔と来たら、もう……見る事が出来ないかと思うと。脳裏に焼き付いたその姿は、一生、私を苦しめるでしょう。どうしてあの時、救わなかったと……」

「ふむ」

 司祭はヘルマンを一瞥した。

 ヘルマンは、この男の言葉は信用に値しますと言わんばかりに、深く大きく頷いてみせた。

「では、しか)と拝見させてもらいましょう。魔法が如何《いかなるものかを」

「有難うございます、司祭様」

 ケストナーは棺の横に立った。

 マルタの頭の傷の状態を直に触って確かめた。血のりと共に、その結晶の欠片のような物が子指に僅かに付着した。

 人差し指で、マルタの心臓の上辺りに魔法陣をなぞった。そして右の掌をそこに押し当てて、短く呪文を唱えた。

「……シゲル、ラグ、ウル、イング」

 蝋燭ろうそくの薄明かりの中、魔法陣と掌が光をはなち始めた。黄色く、黄金色に。蝋燭の明かりを凌駕するほどの。

「光っている!」

嗚呼ああっ!」

 背後の二人に構わず、ケストナーはそのままの姿勢を保った。

「司祭様。あれで頭の傷も治るんでしょうか?」

「そういうことだろう」

 ケストナーはマルタの胸の上から手をどけた。

 周囲を照らしていた、魔法陣が放つ明かりは徐々に弱り始め、そして、すっと消え去った。

「終ったのか?」

「ああ」

 司祭がマルタの脈を取る。続いて左胸に耳を押し当てた。

「動いておる!」

「本当ですか?」

「ああ、確かに。ほら、見てみなさい。顔の血色も回復して来た」

「本当だ。生き返った!」

「その内、目を覚ますと思います」

「嗚呼、凄い物を見せてもらった」

 と、ヘルマンは興奮しきりだった。

 ケストナーは司祭に話し掛けた。

「母親は捕まったそうですね」

「ああ」

「以前から、手を上げたりは?」

「確かに。そのことでは、私も母親と話をした事がある」

「父親は?」

うの昔に亡くなったと聞いています」

「二人きりの母子家庭?」

「そう。元々はオステン(東部の住人)だそうで。食い詰めて、去年の夏に、母子二人でこの町に流れて来ました」

「……」

「母親は何せ男癖が悪いんだ。取っ替え引っ替えってやつでな」

「ん、んっ!」

嗚呼あぁ、済みません」

 司祭の咳払いに、ヘルマンは口をつぐんだ。

「マルタが生きているとなれば、また母親と暮らすようになる?」

「そうなるでしょう」

「母親は改心しますか?」

「……」

「同じような事は二度と起こさないと思われますか?」

「……」

 司祭の目は苦悶くもんにじんでいた。それらのことを保障してくれるものではなかった。

 ケストナーはマルタの額にルーン文字をなぞった。

 なぞった後は黄色い光をはなちはしたが、今度は先程と違い、またたく間に失せてしまった。

「今のは?」

 と、司祭がただした。

「カバの木のルーンです。母性、子供の成長を表す」

 と、ケストナーは答えた。

「直ぐに消えてしまったな」

「ああ」

「つまり、そういうもんとは無縁だったという事か?」

 ヘルマンの問い掛けに、ケストナーはただ、頷いた。

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