番外編:薄紅色の守護女神 6
「追撃はどうなった? ゲルキンは捕らえられたか?」
問われたタティウスの顔が、
「クォーデン族は陣営からかなり離れた森へと追いやったが……。すまん、ゲルキンは取り逃がした」
「くそっ!」
ヒルベウスが怒りを隠そうともせず吐き捨てる。
「しぶとい奴め。今は逃げおおせても、すぐに息の根を止めてやる……っ」
黒い瞳に
「ゲルキンはかなり
タティウスもまた瞳に怒りを宿し、渋面で告げる。
「では、その傷はゲルキンに……?」
ゲルキンの気性そのままの炎のように赤く染めた髪と、肉食獣のような緑の瞳を思い出し、我知らず、ぶるりと身体が震える。
「傷はかなり深いのですか?
すでに軍団付きの医師が手当てしたのだから、自分の出る幕などないと知りつつも、心配で仕方がない。
矢継ぎ早に問うと、タティウスがふん、と鼻を鳴らした。
「心配などいらん。斬られて出血しただけだ。傷さえ治れば、元通りになる」
タティウスらしい皮肉な口調だが、レティシアを安心させようとしてくれているのはわかる。眼差しがどこか優しい。
と、タティウスがヒルベウスを見て、忌々しそうに口元を歪める。
「なんて顔をしている。ゲルキンに傷を負わされたのは、俺自身の実力不足のせいであって、決してお前のせいなどではない。「わたしのせいだ」などと言い出してみろ、寝ぼけた横っ面を殴りつけるぞ」
弟の言葉に、ヒルベウスは軽く
「すまん。お前の誇りを傷つけるつもりはなかった」
レティシアを連れ帰るヒルベウスの代わりにタティウスが指揮を執った結果、負傷したのだ。ヒルベウスにしてみれば、責任を感じずにはいられないのだろう。
「ふん! 責任を感じるくらいなら、ゲルキンは取り逃がしたものの、クォーデン族を森の奥へと追いやった俺の功績を褒めたたえるがいい!」
タティウスが尊大に胸を張る。その言葉に、ようやくヒルベウスの表情が緩んだ。
「ああ、よくやってくれた。だが、クォーデン族を一時的に追い払ったとしても、それで反乱を鎮圧したことにはならん。反乱にはクォーデン族以外の部族も関わっている。何より、ゲルキンがこのまま
ヒルベウスが厳しい声で告げ、タティウスを真っ直ぐ見つめる。
「タティウス。お前が追撃に向かっている間に他の大隊長達と協議し、今後の方針を決定した。クォーデン族の陣営跡地に我が軍の陣営を築き、反乱鎮圧のための
ダヌビウス河は大河だ。橋を架けるには膨大な労力が必要だが、大軍の行軍には欠かせない。
また、今まで誰一人として本格的な橋など架けたことのないダヌビウス河に恒常的な橋を架けることで、周辺の蛮族にローマの威光を見せつける目的もあるのだろう。
タティウスが「了解した」と頷く。ヒルベウスは弟に気遣うような視線を向けた。
「だが、その傷では前線に立つのはしばらく無理だろう。わたしは報告も兼ねて、明日、一度カルヌントゥムに戻る。お前も一緒に戻るといい」
「はん! この程度の傷、すぐに治る! 俺を
「違う。そうではない」
眉を跳ね上げ、言い返したタティウスに、ヒルベウスが穏やかに
「今回の出撃で、わたしはお前の能力を見直した。初めての実戦であれほど兵を率いられれば、見事なものだ。その力を、ぜひとも反乱鎮圧に役立ててもらいたい」
ヒルベウスはタティウスに穏やかな笑みを向ける。
「そのためには、まず怪我を治すことが必要だ」
「……そんな甘言で、俺を釣ろうとしても無駄だ」
言葉とは裏腹に、タティウスの表情はどこか照れているようにも見える。
今までのタティウスなら、ヒルベウスが何を言っても、「嘘をつくな! そんなことを言って、俺に手柄を立てさせないよう画策しているんだろう⁉」くらい言い返した気がする。
兄弟仲が改善されたように思えたのは、やはり気のせいではないらしい。
ヒルベウスはタティウスの反論に気を悪くした様子もなく、説得を続ける。
「甘言などではない。むしろ逆だ。奇襲は一度だからこそ、効果がある。橋が完成するまでは、今日以上の大規模な戦闘はしたくても行えん。その代わり、橋ができ次第、大規模な侵攻だ。その時には、嫌というほど前線で働いてもらう。覚悟しておけ」
強い声で言いきったヒルベウスが、不意にレティシアを振り返る。
意図がわからず小首を傾げると、ヒルベウスが言を継いだ。
「……それに、怪我をしたまま出撃しては、レティシアが心配する」
「そうです! タティウス様のお気持ちはわかりますが、ひとまずお怪我をお治しください」
ヒルベウスの言葉に、その通りだと、タティウスを見つめて何度も頷く。
と、タティウスがふい、と視線を逸らせた。
「……お前には、大きな借りがあるからな。お前がそう言うのなら、怪我の治療に専念しよう」
「はい! ありがとうございます」
大きく頷いたところで、天幕の外から声がかかった。
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