番外編:薄紅色の守護女神 4


「訂正も何も、君はわたしの守護女神だ」


「なっ……。ご冗談をおっしゃらないでください!」

 レティシアが赤い顔でにらんでくる。本人は怖い顔のつもりかもしれないが、全く怖くなどない。


「いや、すまん。言い間違えた」

 大事なことが、抜け落ちていた。


 ヒルベウスの言葉に、レティシアがほっとしたように表情を緩める。

 その瞳を見つめ、


「君は、守護女神だ。他の誰にも、やる気はない」


「っ‼」

 今度こそ、レティシアが絶句する。その顔は、マントに負けないほど真っ赤だ。


 黙ってしまったレティシアを抱いたまま、天幕への道を急ぐ。すれ違った兵士達が驚きに目を見開いて通り過ぎるが、かまわない。

 ヒルベウスにつき従っていたオイノスの姿はいつの間にか消えていた。おそらく、気を利かせたのだろう。


「一人で歩けます。お願いですから、下ろしてください」

 まだ赤い顔のレティシアが困り果てて身をよじらせる。が、ヒルベウスは一蹴した。


「駄目だ。出会った日からずっと……。君はわたしの予想を裏切る行動ばかりとるからな。こうやって捕まえておかねば、安心できん」


「そ、そんな……」

 情けない声を上げたレティシアだが、心当たりはあるのだろう。困ったように眉を寄せ、目を伏せる。長いまつげが薄く影を落とした。


「ヒルベウス様にご迷惑ばかりかけて……申し訳ありません」

「誤解しないでくれ。責めたいわけではない。謝らないでほしい」

 自分の天幕につく。ヒルベウスは苦笑しながら入口の幕を肩で押し開けた。


「君の行動は全て、善意からだろう? それを責める気など、毛頭ない。ただ……」


 他の男がレティシアにふれるのが、我慢ならない。

 ずっとこの腕の中につなぎとめていたい。


 我ながら、呆れるほどの独占欲だ。レティシアに打ち明けるわけにはいかず、言葉を濁す。代わりに、寝台にレティシアを横たえた。


「一人が不安なら、わたしがついていよう。頼むから少し休んでくれ。このままでは、君が倒れてしまう」

「で、でも、私が寝台を占領してしまっては、ヒルベウス様がお休みになれません。ヒルベウス様こそ、ほとんど休まれていないのではありませんか?」


 起きようとするレティシアを無理矢理制し、毛布をかける。近くの椅子を寝台のそばへ引き寄せ、腰かけた。


「大丈夫だ。わたしは夕べ、出撃に備えて十分に休息をとっている。この程度で倒れるほど、やわではない」

 本当は、レティシアが心配で、昨夜はほとんど眠れていないのだが。


 レティシアを安心させるべく微笑むと、柔らかな髪を優しく撫でる。

「わたしのことを思うなら、まずは君が休んでくれ。でないと、君を心配するあまり、心労で倒れてしまいそうだ」

 おどけるように告げると、ようやくレティシアの表情が緩んだ。


「ありがとうございます……」

 やはり疲労困憊ひろうこんぱいしていたのだろう。横たわったレティシアの目が、すぐさまとろん、とほうける。

 まるで子猫のように、髪を撫でるヒルベウスの手にすり、と頭をこすりつけ、レティシアがあどけなく微笑む。


「不思議です……。さっき、一人でこの天幕にいた時は、あんなに不安だったのに……。ヒルベウス様がおそばにいてくださると思うだけで、すごく安心します……」


 半分、寝入りかけているのだろう。ふにゃ、と笑った表情は、今まで見たことがないほど無防備だ。

 思わず、欲望の衝動に突き動かされかけ――理性を総動員して留まる。噛み締めた奥歯がぎりりと鳴った。


 レティシアは安心しきった顔で、寝息を立て始めている。

 ようやく得た休息を、ヒルベウスのせいで破るなど、もってのほかだ。


 欲望がないとは言わない。今でも、少し気を抜けば、己の中に渦巻く衝動に身をゆだねてしまいそうになる。

 レティシアが、欲しい。


 だが、自分の欲望を満たすよりも、レティシアを大切にしたい気持ちの方が、強い。

 一度、失ったと絶望して――再び手に入れた大切な女性ひとなのだ。

 失うような危険は、もう二度と冒したくない。


 レティシアの髪は柔らかい。完全に寝入ってもまだ、頭を撫で続ける。

 髪からこめかみへ、こめかみからすべらかな頬へ指先をすべらせ、薄紅色の唇にそっとふれ、


「ん……」

 レティシアが微かに上げた声に、火傷やけどしたように手を引っ込める。

「んぅ……」

 レティシアはわずかに身動みじろぎしたものの、起きる気配はない。


 ほっ、と安堵あんどの息をつき、苦笑を洩らす。

 これではまるで、母親のいない隙につぼの蜂蜜をなめる子どもだ。


 自覚してなお、レティシアにふれたいと思う気持ちを抑えられない。

 起こさないよう、そろそろと右手をとる。

 ヒルベウスが包み込んでしまえる小さな手。ヒルベウスを含め、この手でいったい何人を救ってきたのだろう。


「レティシア……」

 細い指先にそっと口づけ、あふれる愛しさのままに、名を呼ばう。


 レティシアの手からは、薬草の香りがした。

 その香りを嗅いだ途端、猛烈な眠気に襲われる。ここのところずっと、毎夜、レティシアに贈られた香袋を握って寝ていたせいだろう。


 天幕には、ヒルベウス用の寝台の他にオイノスのための寝床もある。が、どうしてもレティシアの手を放す気になれない。

 

 苦笑と諦めと幸福の混じった吐息を洩らし――ヒルベウスは椅子に座ったまま、目を閉じた。


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