第17章 もしも願いが叶うなら 3


「ヒルベウス! 無事か⁉」


 近づいてくるタティウスの声に、レティシアは我に返った。身を離したヒルベウスが声を張り上げる。


「ここだ! レティシアも共にいる! 二人とも無事だ!」


 ヒルベウスはマントを外すと、レティシアの肩にかけ、きっちりと留め具をつける。


「ヒルベウス様?」

「わたし以外の男がつけた跡を、人目にさらすな」


 天幕が立ち並ぶ向こうから、タティウスと数人の騎兵が姿を現す。

「無事で何よりだ」


「戦闘はどうなった? ゲルキンというクォーデン族の有力者が、途中で戦列に加わったはずだが、そいつは?」


 ヒルベウスが大隊長の顔に戻って尋ねる。タティウスも報告をきびきびと返す。


「戦闘は我が軍に有利に進んだが、途中で現れた指揮官がクォーデン族を立て直し、撤退していった。おそらく、その指揮官がゲルキンだろう。追撃の部隊は動かしているが……」

 タティウスが小さく首を振る。


「くそっ、逃がしたか」

 苦々しく呟いたヒルベウスが、タティウスに指示を出す。


「ここはゲルマンの領域だ。どこから別の部族が奇襲をかけてくるか予想がつかん。少人数の部隊での深追いするな。負傷者を除き、軍を編成し直せ」


「分かった」

 騎兵の一人が、タティウスの指示で駆けていく。


 タティウスがレティシアに顔を向けた。が、すぐに、どう表情を作ればいいのか困ったような顔で視線を逸らし、ぶっきらぼうに尋ねる。


「怪我は?」

「大丈夫です。ヒルベウス様が助けてくださいましたから……」

 レティシアの言葉に、タティウスがあきれ顔で兄を見る。


「レティシアを助ける為とはいえ、無茶をし過ぎだ。一人で突出した上に、俺に指揮権を放り投げて戦線を離れるなど、指揮官のやることではない。いっそのこと、俺がこのまま指揮をした方が、ローマの益になるだろうさ!」


 文句を言いつつも、タティウスの言葉や眼差しからは、以前、ヒルベウスに向けていた憎しみがゆるんでいるように見える。レティシアが不思議に思っていると、ヒルベウスが苦笑した。


「レティシアを助ける為だ。多少の叱責しっせきは望むところだ」

「すみません、ヒルベウス様に無茶をさせるつもりは……」

 慌てて謝ると、振り返ったヒルベウスににらまれた。


「まったくだ。君は無茶をし過ぎる。君の為なら、わたしも無茶はいとわない。助ける為なら、一人ででも突撃していた」


「いけません! そんな無茶は!」


 思わず叱ると、こらえきれないとばかりにタティウスが鼻を鳴らし、口の端を歪める。


「二人とも、まずは後衛まで戻れ。エポナ殿達も心配している」


「お二人は無事に再会できたのですね!」

 嬉しさに声が弾む。


「ああ」

 タティウスが頷き、騎兵を振り向く。


「怪我人は邪魔だ。この馬を使ってさっさと後ろへ引っ込め」

 騎兵の一人が、鞍を乗せただけの馬を一頭、前に引き出す。


「助かる、タティウス」

 レティシアを抱き上げ、鞍の前に乗せたヒルベウスが、自分も鞍にまたがる。


 やはり変だ。いつの間に兄弟の関係が改善されたのだろう。

 当惑を顔に浮かべていたのに気づいたのか、タティウスが呟く。


「約束したからな、ヒルベウスの誤解を解くと。約束は約束だ。信義は守らねばならん」


 ヒルベウスの腕の中にいるレティシアを見て、タティウスは馬首を返した。


「……お前が言ったのだろう? 兄弟仲良くしろと」


「あ……、はい、はいっ!」

 思わず笑みがこぼれ出る。


 タティウスがレティシアを振り返り、ほんの少し微笑む。

「あ……」

 レティシアが何かを言う前に、手綱を操りタティウスは騎兵と共に去っていく。


 馬上から見送った後、ヒルベウスがゆっくりと馬を走らせ始める。


「……こうして一緒に馬に乗るのは、初めて会った日以来だな」


 宿営地の中をしばらく進んだ頃、ヒルベウスが呟いた。


「そう、ですね」

 初めて会ったヒルベウスは冷ややかで、傲慢ごうまんで、何て嫌な人だろうと思った。

 それなのに。


 後ろのヒルベウスを振りあおぐ。思いがけず視線がぶつかって、鼓動が跳ねる。


「今、同じことを考えていたと自惚うぬぼれてもいいか?」

 低い声で耳元で甘く囁かれ、心も体もけてしまいそうになる。耳が燃えるように熱い。


 恥ずかしさにうつむいて小さく頷くと、ヒルベウスが笑んだ気配がした。


「愛している、レティシア」


 囁かれた愛の言葉が、幸福と共に心に染み入るのを、レティシアは目を閉じて味わった。


                                 終

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