第16章 最期にあなたを一目だけでも 2


「貴様! レティシアを放せっ!」


「貴様の命さえ断てば、この女に用はない」

 冷ややかに告げたグウェンが、ゲルキンを促す。


「ゲルキン様。武勲はあなた様が」


「ゲルキン? 父に傷を負わせたのはお前か。ゲルマンの戦士が聞いて呆れる! 父と戦った時も卑怯ひきょうな手を使ったのか!」


 ヒルベウスが侮蔑ぶべつあらわに吐き捨てる。黒い瞳には憎悪が燃え盛っている。


「ネウィウスの老いぼれは罠にかけるまでもなかったさ。俺も戦士だ。歯応えのある奴と戦うのは嫌いじゃない。誤解を解いてやりたいが……」


「ゲルキン様! おたわむれはおやめください! 何の為にこの女を人質にしたのですか!」


 グウェンが青筋を立てて怒る。ゲルキンはつまらなさそうに肩をすくめた。


「口うるさいお目付け役がいて、好きに振る舞うことも許されん」

 「それに」とゲルキンはわらって続ける。


「俺は実利を重視するたちでな? この女に随分ずいぶん、ご執心じゃないか? 助ける為なら、大人しく死んでくれるだろ?」

 ゲルキンは悪びれなくヒルベウスに笑いかける。


「私などに価値があるわけがないでしょう⁉ 人質にしても無駄よ!」


「ゲルキン殿! エポナの情報をみすみす手放す気か⁉」

 レティシアとマルティクスが叫ぶが、ゲルキンは取り合わない。


「レティシア。お前の命の価値を決めるのはこいつだ。なあ、そうだろう? ヒルベウス」

 ゲルキンはいっそ親しげに笑いかける。


「ヒルベウス様! 早まった真似はおやめください! あなたのかせになるくらいなら、今すぐ死んだ方がましです!」


 自らグウェンの刃に身を任せようとする。が、髪を掴んで動きを封じたグウェンは、巧みに剣の位置を調節してしまう。


 このままではヒルベウスの命がない。

 レティシアは縛られた布を解こうと必死で暴れた。これまでさんざん暴れたせいか、結び目が少し緩んできた気がする。


「ヒルベウス様、愚かな真似はおやめください! 私とあなた、どちらの命が大切か、重々ご承知でしょう⁉」


 最期にヒルベウスに会えた。レティシアを助けようと奮戦してくれた。

 冥府に旅立つ理由は、それだけで十分だ。


 これ以上、愛する人をうしないたくない。父に続きヒルベウスまで喪ったら、今度こそ心が砕け散ってしまう。


「私はヒルベウス様に絶縁された身。私など捨て置き、ご自身をお守りください!」


 レティシアの言葉に、ヒルベウスはぱたかれたように表情をくした。一瞬で血の気が引き、剣を握った右手が戦慄わななく。


「……ゲルキン。わたしが死ねば、レティシアを解放すると誓えるか?」


 ヒルベウスが静かな声でゲルキンに問う。ゲルキンは鷹揚おうように頷いた。


「それがお前の最期の望みなら、叶えてやろう」


「ゲルキン様! 勝手に――」

「黙れグウェン」

 怒気をはらんだ声にグウェンが押し黙る。


「ここまでお前の策に乗ってやったんだ。女の処置くらい、俺の好きにさせろ」


 ヒルベウスに向き直ったゲルキンは馬を下りると、レティシアの側にゆっくりと歩み寄りながらにこやかに言う。


「ここまで来てひざまずけ。俺は優しいからな? れた女の前で死なせてやるよ」


 ゲルキンは、にこやかな表情のまま、ゆっくりと歩いてきたヒルベウスに問いかける。


「自分で己を貫くのと俺に首をはねられるのと、どちらが好みだ? それくらい、選ばせてやるぞ?」


「お前の手にかかるくらいなら、自死の方がましだ」

 ヒルベウスが苦々しく吐き捨て、ゲルキンの足元に膝をつく。


 次いでレティシアを見上げた眼差しには、驚くほど優しい労りに満ちていた。


「もう一度会えたら、ずっと謝りたいと思っていたんだ」

 ヒルベウスが頭を下げる。


「わたしのせいで君に辛い思いをさせて、すまなかった」


 目をつむり、両手でグラディウスを自らの喉に向けて構える。


「いけません、ヒルベウス様!」


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