第16章 最期にあなたを一目だけでも 1


「貴様! レティシアを放せっ!」


 ゲルキン目がけ、ヒルベウスが剣を振り上げる。

 馬をぎょしながら抜剣したゲルキンがグラディウスを受ける。鋼の打ち合う音が響き渡る。


「おいおい、せっかちだな。名乗りくらい上げさせろよ」


「これから死ぬ奴の名を聞く必要などない!」

 ヒルベウスが吐き捨てる。

 鍔迫つばぜり合いにうっすらと汗を浮かべながら、ゲルキンが歪んだ笑みを浮かべる。


随分ずいぶんとこの女にご執心じゃないか。最初の男の名を聞かずにいて後悔しないのか?」


「貴様ッ‼」


 ヒルベウスの顔が憤怒ふんぬに彩られる。急に増した剣圧にゲルキンがうめく。


「嘘です! 私は何もされていません!」

 叫んだレティシアは、同時にヒルベウスの背後に迫るグウェンに気づく。


「後ろです!」


 叫んだのと、天幕の影から騎馬のグウェンが飛び出したのが同時だった。


 グウェンが振るう凶刃をヒルベウスが避けようとする。鎧をかすめた刃が、馬の首に落ちる。


 血飛沫が上がり、馬が悲痛ないななきを放つ。

 後ろ足で立ち、暴れる馬からヒルベウスが飛び降りる。急に力を失った馬がどうっ、と倒れ、土埃つちぼこりが舞う。


 間髪入れず振るわれたグウェンの剣を、ヒルベウスがかろうじて受ける。騎馬と徒歩かちでは不利は明白だ。上からの圧力にヒルベウスの表情が歪む。


「よくやったぞ、グウェン」


 ゲルキンが、グウェンとの鍔迫つばぜり合いで動けないヒルベウスにとどめを刺そうと馬首を返す。そこへ。


「――何のつもりだ? マルティクス殿」


 マルティクスが操る騎馬が、ゲルキンとヒルベウスの間に割って入った。


「邪魔をするな。それとも、そこのローマの犬と一緒に叩っ斬られたいのか?」


 剣をさやに納めたままのマルティクスに、ゲルキンが剣を下ろす。

 しかし、マルティクスを睨みつける表情は、返答次第では、すぐさま剣を振るう気だ。目の前で獲物を横取りされた苛立ちが、鋭い眼光となってマルティクスを貫く。


「邪魔をする気はありません。ただ、彼女はエポナの情報を得る大切な人質。戦いに巻き込んでは困ります。わたしが身柄を預かりましょう」


「そんな下らぬことを言う為に、俺の邪魔をしたのか?」


 ゲルキンが恫喝どうかつする。

 生真面目な顔に緊張を漂わせたまま、マルティクスは頷いた。


「勇猛で知られるゲルキン殿が、足手纏あしでまといがいるせいで本来の力を振るえないのは、クォーデン族の損失と思いまして」


 ゲルキンの不興を買うのを承知で、間に立ちはだかってくれたマルティクスの義勇に、レティシアは心から感謝した。

 ヒルベウスが一人でゲルキン達の相手をしなくてよいように、邪魔をしてくれたのは明らかだ。


 グウェンの剣をかろうじて押し返したヒルベウスは、馬上のグウェンを攻めあぐねて苦戦している。ゲルキンまで参戦したら、勝ち目がない。


 逃げるなら、馬を止めている今しかない。


 思い切り足を振り上げ、反動をつける。馬の腹を蹴り、上半身を思い切り反らして、馬から落ちる。


「おい⁉」


 伸ばされたゲルキンの手を身を反らして避ける。

 腕を後ろ手に縛られているため、体勢を崩し、尻餅しりもちをつく。


「レティシア⁉」

 グウェンと対峙たいじしていたヒルベウスが異変に気づく。


 だが、グウェンの方が早かった。


 なんとか立ち上がった背後を、グウェンに回り込まれる。乱暴に髪を掴まれ、引き寄せられた。


「放し――」


「黙れ」

 馬上のグウェンが、喉元に剣を突きつける。


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