第14章 深夜の密会 1


 横になっている内に、うとうとしてしまったらしい。布が動くかすかな音に、レティシアは上半身を起こして身構えた。体の下でわらががさがさと鳴る音が、いやに大きく聞こえる。


 出入り口とは反対側の天幕の布をめくって入ってきた者は、藁の音でレティシアが起きていると悟ったらしい。


「マルティクスだ。静かに」

 と囁き声で名乗る。

「来てくださったのですね」


 喜びの吐息をつき、天幕の出入り口を確認する。外に見張りが立っているはずだが、入ってくる気配はなさそうだ。


 明かりのない天幕の中は、物の形もわからぬほど暗い。レティシアの目ではマルティクスの姿も捉えられないほどだ。


 レティシアより夜目が利くのだろう。足音をひそめてあやまたずレティシアへ近づいたマルティクスが屈んだ気配がした。不意に左手をとられ、反射的に身構えるが、お互いの位置を確認できるに越したことはない。


 マルティクスの手は荒れており、剣だこがある。ゲルマンの戦士らしい手だ。


「ゲルキン達には、ここに来たことを気づかれていませんか?」


「もちろんだ。ゲルキン殿達に秘密にしたいからこそ、先ほど、あんな手段をとったのだろう?」


 マルティクスの腕に薬を塗った時、レティシアは塗り広げながら指先で「エポナ」「秘密」「話」と書いたのだ。ラテン語で書いたので伝わるか不安だったが、マルティクスは見事に読み取り、こうして来てくれた。親ローマの部族のため、ラテン語を知っていたのだろう。


「おっしゃる通りです。どうしてもゲルキン達に知られずに、お話ししたいことがあるのです。知られれば、命に関わることですから」


 いったん言葉を切り、「どうか驚いて大きな声を出されませんように」と前置きしてから、口を開く。


「私は、カルヌントゥムでクォーデン族から逃げてきたエポナ様とお会いしました」


「っ⁉」

 マルティクスが息を飲む。レティシアとつないだ手に、ぐっと力がこもった。


「エポナと⁉ それに、クォーデン族から逃げてきたというのは一体……⁉」


「お会いできたのは、ほんの短い間でした。その中で、エポナ様が必死に伝えられたことは――」


 攫われる直前、どうかローマの有力者に伝えてほしいと、エポナが必死で訴えていた内容をマルティクスに説明する。


「エポナを攫った犯人はクォーデン族だと……⁉」

 握られた手に力が籠められ、痛みに思わず呻く。


「す、すまない」

 マルティクスが慌てて手を緩める。声は隠しきれぬ動揺で震えていた。


「しかし、にわかには信じられない話だ。逆に、今の話がマルコマンニ族とクォーデン族の同盟を防ごうとするローマの策略ではないと、どうやって証明できる?」


「お言葉はもっともです……」

 悔しさに唇を噛む。どうやったら、この生真面目な青年を納得させられるだろう。

 マルティクスと会えるとわかっていたら、エポナの身に着けていた物を何かもらっておけばよかった。と、エポナの傷を診た時を思い出す。


「マルティクス様。少なくとも、私がエポナ様と直接会ったという証拠ならお伝えできます。エポナ様は背中に赤いあざがおありでしょう? 動物のような形の。ずいぶん前の痣のように思われましたが……」


「その通りだ。生まれつきの痣でな。エポナの名の由来にもなった。エポナとは、ゲルマンの馬の女神の名前だ。だが、背中の痣のことをなぜ知っている? 他人が容易に見れる場所ではないはずだ」


 返答次第ではただではおかないと言いたげな妹想いの兄に、説明する。


「必死で逃げてこられたのでしょう。大きな怪我はありませんでしたが、エポナ様はあちこちにり傷を作ってらっしゃいました。それらに傷薬を塗っている時に、たまたま目にしたのです」


「……思惑おもわくがあったとはいえ、先ほどわたしにも塗ってくれたな……」

 マルティクスがぽつりと呟く。


 沈黙が落ちると、闇の気配がレティシアを潰そうと押し寄せる。今の状況でレティシアが頼りにできる相手はマルティクスだけだ。


 祈るような気持ちで、レティシアはマルティクスとつないだ指先に力を込めた。

 ややあって。


「わかった。裏が読めぬゲルキン殿やグウェンより、君は信用できる人柄だ。君の話を信じる」


「ありがとうございます……!」

 嬉しさのあまり、思わず両手でマルティクスの手を握りしめたレティシアに、


「ただし」

 とマルティクスが強い声で釘を刺す。

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