第12章 炎の髪を持つ青年 4


「かもしれんな。そこまで考えているとしたら、大した女だ。まあ、今はやめておこう。薬は部族の者でも作れるが、ローマの貴重な情報を持っているのはお前だけだ。それに気性の荒い戦士達から、ローマ人で、しかも女のお前を守るのは手間だしな」


 ゲルキンはマルティクスを振り返ってあごをしゃくる。


「だが、せっかくの機会だ。マルティクス殿は薬を塗ってもらうといい。もし、その身に何かあれば、お父上であるマルボドゥス殿に申し訳が立たん」


「……ゲルキン殿がそうおっしゃるのでしたら……」

 不承不承、マルティクスがレティシアに歩み寄る。


「女。変な行動をしてみろ。手を斬り飛ばしてやるぞ。医者なんだ、自分で死なないように治療できるだろう?」

 警戒するグウェンが腰にいた剣の柄に手をかける。


「変な真似などしません。自分の無力はちゃんと承知しております。すみませんが暗くてよく見えないので、もう少しこちらへお願いします」


 マルティクスに腕を差し出させたレティシアは、容器を開け、ねばつく薬を指先に少しとる。人差し指で塗り広げてすぐ、青年の顔が強張こわばった。


「すみません、しみますか?」

「いや、大丈夫だ。かすり傷だと言っただろう」


 真っ直ぐ見つめるマルティクスの視線を受け、小さく頷く。

「はい、すぐに済みますから」


 刃がかすっただけなのだろう。傷は深くも大きくもなく、薬はすぐに塗り終わる。


「少し甘い匂いがするな」

 ゲルキン達の元へ戻ったマルティクスに、ゲルキンが鼻を動かす。


「薬の材料に蜂蜜を使っているんです。蜂蜜には、悪い物を追いやる作用がありますから」


「へえ。蜂蜜を薬になあ。食べた方がうまいのに」

 ゲルキンが興味もなさそうに呟く。


「ところで、私がさらわれてからどれくらい経つのですか?」


 狭い天幕の中を見回す。目の粗い布は、昼間なら太陽の光を透かすだろう。天幕の外からは、焚火たきびが燃え、火花がはぜるかすかな音や、人のざわめきが聞こえてくる。

 まさか、丸一日気を失っていたわけではないだろう。どれほど気を失っていたのか知りたい。


 ここがクォーデン族の領地だというのなら、ドナウダヌビウス河を越えているのは間違いない。

 気絶していた時間がわかれば、自分がどれほど町から離されてしまったか、推測できるかもしれない。それほど離れていないのなら、隙を見て逃げ出してカルヌントゥムに戻れるかもしれない。


 薬草を摘みたいと申し出て、周りの地理を調べれば、逃げられる機会もさらに高ま――、


「おやおや、間違っているぞ。俺達が質問をする側だ。お前じゃない」

 レティシアの思考は、ゲルキンの楽しげな声に遮られる。


「最初は、名前を聞いておこうか」


 何を聞かれるかと警戒していたレティシアは気ががれる。名乗るだけなら簡単だ。


「レティシア・テオフラテスです」

「ローマ風の名前じゃないな」


「父がギリシア人なんです。医術も父から学びました」

 レティシアは警戒しながら答える。


「ああ、医者にはギリシア人が多いらしいな」

 興味もなさそうに頷いたゲルキンが、次の質問を放つ。


「ネウィウスの息子達はどんな奴らだ?」

「っ⁉」


 何を問われてもローマの不利になることは言うまいと身構えていたはずだったのに、ヒルベウスに関する問いが出た瞬間、思わず息を飲んでしまう。


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