第12章 炎の髪を持つ青年 3


「ゲルキン殿の言葉はもっともだ。しかし……」

 マルティクスは生真面目な顔に苦悩を浮かべる。


「妹がローマ人どもにひどい目に遭わされていないか、兄として案ずる気持ちもわかっていただきたい。何としても妹を取り戻さなくては、わたしをつかわした族長にも顔向けができぬ」


「エポナ嬢の身は俺も心配している。ローマ人どもの手から取り戻すのに、クォーデン族も助力は惜しまない。現に、こうして人質となる娘もさらってきた」


 獲物を見定める視線をゲルキンに送られて、思わず半歩退く。体に走った怯えを隠さず、ことさら哀れっぽく訴える。


「私をどうしようというのですか? 私は政治や軍務については何も知りません。先ほどからおっしゃっているエポナ様という方についても何も……。その方と私が交換できるというのなら、早く私を帰らせてください!」


 レティシアの言葉に、グウェンが眉を寄せていぶかしげな顔をする。


 グウェンにしてみれば、逃げたエポナを追った先でレティシアを見つけたのだから、エポナとの間に何らかの接触があったはずだと考えているのだろう。

 だが、マルティクスがいるこの場で指摘するわけにはいかないグウェンの表情は苦々しい。


「つれないことを言うなよ。せっかく来たんだから、ぜひ長居していってくれ。……エポナ嬢が見つかるまで」


 ゲルキンはどこまで事情を知っているのかわからないが、簡単にレティシアを手放す気はないらしい。


「私があなた方が欲しがる情報を持っているとは思えません。帰してください!」


「それを決めるのは俺達だ」

 レティシアの抗弁をゲルキンは鼻で笑い飛ばした。


「侍医と言ったな? 緒戦しょせんでネウィウスに怪我を負わせてやったのは俺だ。残念ながら、とどめを刺してやる前に尻尾を巻いて逃げられてしまってな。具合はどうなんだ? 今にも棺桶かんおけに入りそうか?」


「いいえ。お命に別状はありません。軍を指揮することはかないませんが、官邸でとどこおりなく政務をり行われています」


 ゲルキンの名をヒルベウスから聞いた覚えはあったが、まさか本人を目の前にする事態が来るとは想像もしていなかった。


「ちっ、老いぼれがしぶとい」

「私に答えられることはネウィウス様の体調だけです。政務の内容などは、全く知りません」


 すげない言葉にもゲルキンはめげない。

「なあに、あれこれ聞いている内に、面白い話が飛び出すかもしれんさ」


「マルティクス様。あなたは今日、遠路はるばるボヘミアから来られたばかりでお疲れでしょう。わかったことはすぐにお知らせしますから、尋問は我らに任せて休まれては?」


 親切めかしてグウェンが提案する。グウェンの真意に気づいたわけではないだろうが、マルティクスはきっぱりとかぶりを振った。


「お気遣い感謝する。しかし、妹の行方がわからぬというのに、ゆっくり休めそうもない。エポナの手掛かりが出てくる可能性があるなら、ぜひとも同席させていただこう」


「あ……」

「どうした? 何かいい情報でも思い出したか?」


 思わず声を出すと、ゲルキンがおどけたように問う。かぶりを振って、レティシアはマルティクスの左腕を指し示した。


「怪我をしてます」

 弱い蝋燭ろうそくの明かりだけのため、今まで気づかなかったが、マルティクスの左腕に、赤い筋が走っている。血は止まっているものの、まだ新しい傷だ。


「ローマ軍の斥侯せっこうと戦闘になった時についた傷だ。大したことはない」

 自分の腕にちらりと視線をやって、マルティクスは何でもない口調で言う。


「薬ならありますが……」

 帯の間から合わせ貝の容器に入れた傷薬を取り出すと、ゲルキンが吹き出した。


「ローマ人がゲルマン人の傷の手当てをするだと⁉ 本気か?」


 薬を取り出したのは、半ば無意識の行動だ。嘲笑され、レティシアはゲルキンを睨みつけた。


「私は医者です。怪我人に、ローマ人もゲルマン人もありません!」

「へえ。ご立派なことだ。マルティクス殿に恩を売りたいだけじゃないのか?」

「違います!」


「だったら、他のゲルマン人も診てくれるってわけか?」

 挑むような眼差しでレティシアを見たゲルキンが唇を歪める。


「ここにいる怪我人のほとんどは、ローマ軍との戦いでやられた奴らだぜ?」


 敵を治療して、ヒルベウスの不利益になるような真似はしたくない。だが。


 黙ったレティシアをゲルキンが嘲笑あざわらう。ゲルキンの目を、レティシアは真っ直ぐ見つめ返した。


「ローマ軍との戦闘なら、負傷者も多いのでしょう? 手持ちの薬はこれしかありません。薬草と少しの道具さえあれば、薬は作れますから、摘みに行かせてもらえますか?」


「は……はははっ!」

 落ちた沈黙をゲルキンの爆笑が吹き飛ばす。


「はははっ、自分をさらったゲルマン人の為にわざわざ薬を作ってくれるってか! こりゃあいい、よほどのお人好しか大馬鹿だぜ!」


 腹を抱えてひとしきり爆笑したゲルキンは、目尻に浮かんだ涙をぬぐって、ようやく笑いをおさめた。


「つくづく面白い女だな。本当にやるかどうか試してみたいが――」


「逃げる為の方便に決まっています!」

 不愉快そうに訴えるグウェンを、ゲルキンは片手を上げて制した。


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