第11章 激情のままに 2


「決して誰も部屋へ通すな!」


 身を翻したヒルベウスは、アトリウムで二人のやり取りをおろおろと見守っていたゼリクに視線も向けずに命じ、自室に入る。


 手荒に扉を閉めてもまだ怒りが治まらず、手近な青銅製の椅子を蹴りつけた。

 ブーツを履いた足にじんじんと衝撃が伝わり、僅かに冷静さを取り戻す。


「くそ‼」


 うめいて壁を殴りつけた拍子に、胸元で小さな物が揺れた。

 レティシアに贈られた香袋だ。タティウスともみ合った時に服から飛び出したのだろう。


「こんなものっ!」

 反射的に掴んで紐ごと引き千切ろうとし――握りしめたまま、動きを止める。

 握りしめた袋から匂い立つ香りが、嫌でもレティシアを連想させる。


「……っ!」


 呻いて床に座り込む。床の冷たさが、僅かに激情を冷ます。

 香袋を握りしめた手を額に押し当てると、更に香りが強くなる。


「よい香りの薬草で作った香袋です。少しでも安らかに眠る助けになればと……」

 香袋を渡された時を思い出す。


 ろくに眠らずに、ヒルベウスの為に香袋を作ってくれたレティシア。敬愛する父の形見というべき人形まで入れて。


 出逢ってからの日々が脳裏を巡る。

 と同時に、恐ろしい予感がひたひたと迫ってくる。


 レティシアが人を裏切るような性格ではないことは、ヒルベウスが誰より知っていたはずだ。


 では、自分が見たあの光景は何だったのだと、感情が叫ぶ。

 男女が寝台に倒れ込んでいるなんて、考えられるのは一つしかない。


「あんなつまらない男!」

 フルウィアの嘲弄ちょうろうが聞こえた気がして、思わずかぶりを振る。

 もし、レティシアの嘲笑を聞いていたら、白く細い首をへし折っていただろう。


 他の誰に裏切られようと、ここまで怒りはしなかった。

 レティシアのたおやかな首を絞める代わりとばかり、白く骨が浮き出るほど、香袋を握りしめる。


 レティシアを信じたいという願望と、裏切られたと嘆く絶望が、嵐のようにせめぎ合っている。

 感情がたかぶりすぎて、はけ口が見つからない。激情に体が爆発しそうだ。


 信じたい。だが、タティウスと寝台にいた姿が頭から離れない。


「ヒルベウス様! よろしいですか!」

 遠慮がちに、だが慌てた様子でオイノスが扉を叩く。


「誰も来るなと言ったはずだ!」

 苛立いらだちを隠さず怒鳴る。


 いつものオイノスなら、ヒルベウスの意思を尊重して引き下がるはずだが、今日は違った。


「申し訳ありません。ですが緊急事態なのです。レティシア様が――」


 レティシアの名を聞いた途端、はじかれたように立ち上がり、扉を開ける。

 顔を強張らせたオイノスの向こうに、蒼白な顔のモイアと、見知らぬ娘がいる。レティシアの姿はない。


「レティシアはどこだ⁉」

「ヒルベウス様!」

 モイアが今にも泣きそうな顔で駆けてくる。


「お願いです! レティシア様をお助けください! このままでは……っ」


「一体何があった⁉ レティシアはどこにいる⁉」

 問う内に、どんどん不安が膨らんでくる。


 フラウディアを亡くした時を思い出す。

 もしかして、自分はとんでもないあやまちを犯しているのではなかろうか。


 恐ろしい予感に背筋が震える。

 泣いて追いすがろうとしたレティシアの声が頭から離れない。


「ヒルベウス様⁉」

 突然、自分で自分の額を殴りつけたヒルベウスに、オイノス達が目をく。


「案ずるな。気が触れたわけではない。正気に戻ろうとしただけだ」

 騒ぎを聞きつけたタティウスもこちらへ駆けてくる。だが、まだ顔を合せる気にはなれない。


 何より、レティシアに何が起こったのか確かめるのが最優先だ。呆気あっけにとられているモイアの両肩を掴む。


「モイア、答えろ。レティシアの身に一体何があった⁉」


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