第11章 激情のままに 1


「待て!」


 官邸に入ったところで、息を切らして追いかけてきたタティウスに、後ろから肩を掴まれる。ヒルベウスは凶暴な気持ちを隠そうともせず、肩に置かれた手を振り払った。


「放せっ! 叩っ斬られたいの――」


 言い終わるより先に、タティウスの拳が飛んでくる。


 不意を突かれて、まともに受ける。体勢を崩してアトリウムの床に膝をつく。どこか切ったのか、口の中に血の味が広がった。


「どうだ? 目が覚めたか?」

 言葉と同時に、トゥニカの胸ぐらを掴まれる。


「まだ目が覚めないんなら、目玉の代わりに入ってる薄汚れたガラス玉を取り換えてきたらどうだ?」


 息がふれるほど顔を近づけたタティウスが、侮蔑もあらわに吐き捨てる。左の唇の端が切れ、青くあざになっている。ついさっきヒルベウスが殴った跡だ。


「放せ! ガラス玉だと⁉ ああ、いっそのこと盲目ならよかったよ! そうすれば不貞ふていの現場なんて醜悪しゅうあくなものを見ずにすんだものを!」


 凶暴な気持ちが湧き上がり、力任せにタティウスの手を振り払おうとする。が、タティウスの手はくさびのように離れない。


「不貞だと誤解した目がガラス玉って言うんだよ!」


「誤解? 寝台で抱き合っていたのが誤解だと⁉ ぬす猛々しいにもほどがある‼」


 寝台にいる二人を見た瞬間、脳裏に甦ったのは婚約者が友人と浮気をしていた光景だった。


 激情に駆られるままレティシアに決別を言い渡し、飛び出したが――男女が一緒に寝台にいる理由に、他に何があるというのか。


 レティシアがまとっていた薄紅色のストラが脳裏にちらつく。

 ヒルベウスに最初に見せてほしいと願ったストラ。


 ヒルベウスの真心を、レティシアは内心であざけっていたのか。

 怒りのあまり視界が紅蓮ぐれんで彩られる。


 タティウスを今、この場で叩っ斬ってやりたい。


 本気で思う。さかしげな顔にもう一発、拳を見舞ってやったら、どんなにすっきりするだろう。


 妹をうしなって以来、ずっとタティウスに負い目を抱いていた。ヒルベウスの注意が及ばなかったばかりに、二人の愛する妹は事故死したのだ。


 フラウディアの死は、決してつぐなえない罪だ。だからこそ、タティウスがどんなに突っかかってこようと、抵抗しなかった。ヒルベウスを責めることでタティウスの傷が癒えるのなら、それでいいと思っていた。


 だが、レティシアの件だけは、許せない。


 手加減せずにタティウスの右手を掴む。握り潰さんばかりに力を込めると、たまらずタティウスが服を放した。


 が、あざける声は止まらない。


「盗っ人か。あんたの心を盗んだというなら、彼女は盗っ人だな」

たわけたことを! 盗っ人はお前だろうが‼ レティシアを侮辱するのは許さん!」


「侮辱したのはあんただろうが! 何と言って彼女を傷つけたっ⁉」

 タティウスの糾弾きゅうだんが刃となって突き刺さる。


  震えていたレティシアの声が、唐突に思い出される。


「レティシアは……フラウディアと同じことを言ったんだ」


 不意にタティウスが、ぼそりと呟く。


「血を分けた兄弟が憎み合っているなんて哀しいと、フラウディアと同じことを……。それで、仲違なかたがいの理由を聞きに来た」


 タティウスの告白に思わず息を飲む。ひやりと背中を冷たい汗がう。

 だが、治まらぬ怒りが理性を塗り潰す。


「言い訳ならどうとでも言いつくろえる! お前の話など信じられるか!」

 立ち上がると、伸ばされたタティウスの腕を乱暴に振り払う。


「待てよ! レティシアが……」

「その名を呼ぶな‼」


 なおも手を伸ばし、ヒルベウスの肩を掴んだタティウスを、振り向きざまに殴り飛ばす。


 タティウスが床に尻餅をついて呻くが、激情は全く治まらない。これ以上、タティウスの顔を見ていると、本当に斬り伏せてしまいそうだ。



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