第10章 飛び込んできた窮鳥 3


 窓を閉めて振り返ったのと、診察室の幕が乱暴にめくられたのは、同時だった。


 入ってきたのは、ゲルマン人だと一目でわかる大柄な男が三人。


 長く伸ばしたひげといい、長髪といい、男達は一目で生粋きっすいのゲルマン人だとわかる。夕闇にまぎれてきたのだろうが、よく町の警備兵に見咎められなかったものだ。


「何者ですか⁉ ここは診療所ですよ。怪我人でないのなら帰りなさい!」


 男達が口火を切るより早く、強い声で言い放つ。できるだけ尊大に見えるよう、胸を張る。

 エポナの言う通り、男達がクォーデン族の者なら、高価な絹のストラを着、ローマの有力者の縁者に見える者と、正面切って事を構えるのは嫌がるかもしれない。


 機先を制され、男達は戸惑ったように顔を見合わせた。四十過ぎだろうか、三人の中で一番年かさの男が、ゲルマンなまりのラテン語で問う。


「ここに金の首輪トルクをつけた娘が来たはずだ。どこにやった?」

「そんな娘、来ていないわ」


「見え透いた嘘をつくな!」

 男達が苛立いらだった声を上げる。レティシアに掴みかかろうとした若い男を止めたのは、最初に口を開いた年かさの男だった。


「ここは診療所と言ったな? お前は医者の妻か娘か? 俺達は家出娘を探しているだけだ。娘さえ渡してくれれば、すぐに出て行く」


「娘なんて知らないと言っているでしょう? もしかして、奴隷が連れ込んだのかしら? だとしたら、奴隷達に聞いてみないと。少なくとも、私には関係ないことよ」


「ふざけたことを!」

「やめろ!」

 しつけの悪い犬を叱り飛ばすように、鋭い声で手下を制した男は、刃を連想させる視線を向けた。


「なぜ、見ず知らずの娘をかばう? ゲルマン人の娘一人、どうなろうとも、ローマ人であるお前には関わりのないことだろう?」


 「なぜ」と問われても、答える言葉はすぐには見つからない。医者として、助けを求める者を放ってはおけない気持ちは、もちろんある。

 レティシアの人生は、誰かの役に立つからこそ、存在を許されてきたようなものだった。ましてや、エポナを助けることで、反乱の拡大を防げるという大義があるなら、助けない理由がどこにあろう?


 反乱が小規模で治まるのなら、戦いにかり出される兵も少なくて済むだろう。それは、とりもなおさず――。


 脳裏に浮かびかけた面影を、必死の思いで振り払う。


 今はそれどころではない。男の冷ややかな眼差しに、足がすくみそうになる。この男はきっと、自分の欲しいものを得る為なら、躊躇ためらわずに人を殺すに違いない。


 ひるみそうになる心を叱咤しったして、レティシアはつんとあごを上げた。真っ直ぐに男達を見つめ、言い放つ。


「あなた達こそ、町に入り込んで何を企んでいるの? もうすぐ奴隷達が警備兵を連れてくるわ。立ち去るなら今の内よ」


「勇ましいお嬢さんだ。俺達をおどすとは」

 からかうような台詞とは裏腹に男の目は笑っていない。


「脅すなんて、とんでもない」

 す、と細くなった男の視線から逃げるように、一歩、退く。


 エポナ達は今どの辺りだろうか。二人が無事に官邸に着けるように、少しでも長く男達を足止めしなくては。


「私はただ、用のない者には早急に立ち去ってほしいだけ。面倒事は御免ですから。これでも私は、総督ネウィウス様の縁者なのです。め事を起こしては、総督に顔向けできません」


 予想通り、男達の動きが止まる。若い男二人は、意見を求めるように年かさの男を見やった。


「総督の縁者……。それは、本当か?」

 偽りは許さぬと射抜くような視線を向ける男に、レティシアはせいぜい自信ありげに頷いた。


「ええ。官邸に行って確かめてみなさいな。確かめられるのならば」

 痛いほど心臓が縮む。ヒルベウスには絶縁を申し渡されている。もし本当に確かめられたら一巻の終わりだ。


「そこまで言うのなら、本当なのだろう。エポナに逃げられたのは痛いが、まさか、こんな拾い物が手に入るとはな」

 男が酷薄に笑い、ひげに覆われた顎をしゃくる。


 レティシアは身を翻して逃げようとした。が、それよりも早く男達が掴みかかる。


「放して‼」

 必死に身をよじってあらがうう。が、ゲルマン人の男達に力でかなうはずもない。あっさり拘束される。


「こんなことをして、ただですむと……っ」

 抵抗は、男の冷ややかな嘲笑に遮られた。


「既にローマに対して反乱を起こしたんだ。ただで済まないのは十二分に承知している」


 男が腰帯から鞘ごと剣を抜き、振りかぶる。

 首の後ろに衝撃が走る。自分の無力を歯噛はがみしながら、レティシアは意識を失った。


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