第12章 炎の髪を持つ青年 1


 どれほど気を失っていたのだろう。


「エポナを見つけられなかっただと⁉ おい、グウェン。この責任はどう取るつもりだ?」


 耳に飛び込んできた罵声ばせいで、レティシアは意識を取り戻した。気を失う直前のことを思い出し、恐怖に叫び出しそうになるのを、かろうじてこらえる。


 周囲を確認しようとして、荷物のように何かの袋に入れられ、ぐるぐると縄をかけられているのに気がついた。


「エポナがローマ側にいて、何の問題があるのです? 元々ローマにさらわれたというふれこみの娘です。嘘が真実に変わっただけだ。マルティクスは妹を取り返す為にローマと戦わざるを得ない。それより、有益な人質を得たことを喜ぶべきでしょう。……ちょうど目覚めたようです」


 罵声に答える冷静な声は、レティシアをさらった男のものだ。気づくと同時に、いましめが解かれ、袋がはぎ取られる。

 自由になった手で、顔にかかる髪や乱れたストラを手早く直す。今の自分はひどい有様に違いない。


 レティシアが運び込まれていたのは、小さな天幕だった。天幕の天井から下げられた蝋燭立ろうそくたてに灯る明かりが、唯一の光源だ。どれほど気を失っていたのかは知らないが、まだ夜らしい。蝋燭は獣脂じゅうしが混じっているのだろう。微かに獣臭い。


「総督の縁者えんじゃだそうです」


 グウェンが尊大そうな背の高い若者に、レティシアをうやうやしく紹介する。


 鍛えられた体躯たいくにゲルマンの衣装を堂々とまとった青年は、長く伸ばした金髪を束ねもせず、染め粉で赤く染めていた。金と赤のまだらになった髪は炎のようで、青年の気性の激しさを表しているようだ。

 首に二重に巻いた金の首輪トルクから察するに、クォーデン族の有力者なのだろう。


 青年は布袋から現れたレティシアを見て、「ほう」と感心したように息を吐いた。


「なるほど。これほど豪奢ごうしゃな絹のストラは、カルヌントゥムでは滅多に見られない。総督の縁者というのは嘘ではなさそうだな」

 

 青年が伸ばした手を、一歩退いて避ける。

「あなた達は何者なのです? ここはどこですか⁉」


 怯えを隠して青年を睨みつける。青年は少し驚いた顔を見せた後、楽しげに喉を鳴らすと、やにわに一歩大きく踏み出した。

 振り払う間もなく腕を掴まれ、広い胸板に抱き寄せられる。


「他に先に尋ねることがあるんじゃないか? これから自分がどんな目に遭うか、とか」

 武骨な手に顎を掴まれ、無理矢理、上を向かされる。


「放して!」

 戒めを解こうと暴れるが、青年の手は鋼のようにびくともしない。


 青年の濃い緑の瞳と視線が合う、楽しげにレティシアを見下ろす目は、獲物をいたぶる獣のようだ。


「ネウィウスの縁者というが、どういう関係だ? 奴には息子しかいないと聞いている。息子の嫁か婚約者か? まさか、ネウィウスの情婦ではあるまい?」

 からかい混じりに問いながら、青年の顔が近づいてくる。


「放しなさいと……っ」

 恐怖に駆られ、右手を振り上げる。しかし、青年の精悍せいかんな顔に届く前に、手首を後ろから掴まれた。


「なんだ、邪魔するなグウェン。見た目に反して、気の強い女は嫌いじゃない。楽しめるからな」


 つまらなさそうに青年がレティシアの手を掴んだグウェンを見やる。グウェンは呆れたように吐息した。


「クォーデン族の次期族長ともあろう方が、頬に女のひっかき傷をつけて歩くおつもりですか? せっかく捕らえた大事な人質です。お遊びはおやめください、ゲルキン様」


 堅苦しいグウェンの声に、ゲルキンは「はんっ」と地面につばを吐き捨てた。


「遊んだっていいじゃないか。嫁を寝取られたと知ったら、奴らがどんな間抜け面をさらすか! 考えただけで楽しいじゃないか!」


 ゲルキンの言葉に、ぞっと血の気が引く。おかまいなしにゲルキンがストラをでまわす。


「見ろよ。ローマ人はひらひらした服で女を飾り立てるのがお好きらしい。絹の下には、もっと肌触りのいいものが隠れているに違いないぜ」


「やめて‼」

 レティシアはゲルキンの腕から逃れようと必死にもがいた。


 ゲルキンに触れられるだけで、絹のストラが汚されていくような心地になる。ヒルベウスに贈られた薄紅色のストラ。もう二度と見せる機会などないだろうが、他の男に汚されるなんて御免だ。


「これ以上、不埒ふらちな真似をするのなら、舌を噛んで死にます! 人質が死んでも構わないと⁉」


 こんな男に汚されるくらいなら、死んだ方がましだ。人質として利用される懸念もなくなる。

 本気で告げても、ゲルキンは上機嫌に笑うばかりだ。


「子狐のように毛を逆立てているぞ。面白い。飼えんものかな」


「ゲルキン様! どうせ飽きたらすぐに捨てるんでしょうに」

 グウェンが呆れたように吐息する。


「なかなか飽きないかもしれないぞ? ゲルマンの女と違って華奢きゃしゃだ。あちらの具合も――」


 もがくレティシアを力づくで封じ込め、ゲルキンの顔が近づいてくる。おぞましさに思わず目を閉じた時。


「ゲルキン殿! エポナの手掛てがかりが掴めたというのは本当ですか⁉」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る