第8章 秘密の交換条件 2


 緊張した声に、ネウィウスが視線を向ける。

「ご兄弟の不仲の理由を、ネウィウス様はご存知ですか?」


 かつんっ、とネウィウスの手が当たった朝食の盆が揺れ、載せられた食器が固い音を立てる。


「なぜ、知りたいのだ?」

 問い返す声は、岩のように固い。探るような眼差しは、長年、元老院議員として政治の荒波を渡ってきただけあって、並みならぬ威圧感だ。ネウィウスの圧力に負けぬよう、唇を噛み締める。


 以前の自分なら「何でもありません」と引いていただろう。だが、今は引く気はない。

 ネウィウスの目を真っ直ぐ見つめ、胸に宿る願いを、口にする。


「無謀な願いかもしれませんが、お二人の仲違いを、少しでも和らげられたらと思うのです。先日、町で偶然タティウス様にお会いしましたが、悪い方に見えませんでした。お二人がいがみ合ってらっしゃるのは、きっと何か深い理由があるからだと推測したのですが……」


 説明している内に、赤の他人である自分が家族の問題に立ち入っている厚かましさに恥ずかしくなってくる。だが、兄弟の関係を少しでも修復したいと願う気持ちは、嘘偽りない。


「お二人とも、不器用ですがお優しい方です。ご兄弟があのようにいがみあっているのは、とても哀しいと思います」

 黙したまま聞いていたネウィウスは、重い感情を吹き飛ばすように吐息した。じっとレティシアを見つめる。


「君なら……あの二人を変えられるのかもしれんな」

 レティシアを見つめる眼差しには、いつもと異なる感情が見え隠れしている。どこか懐かしむような、失くしたものを探すような、遠い眼差し。


「だが」

 疑問を口にするより早く、ネウィウスはきっぱりした口調で言い、視線を逸らした。


「事情を知りたいのなら、本人達に聞くのが筋だろう。わしが話せば、わしの主観が入ってしまうからな。ヒルベウスも軍団基地に詰め通しということもあるまい」

「わかりました。直接うかがってみます」


「そういえば、今日も診療所へ行くのかね?」

 この話はこれで終わりだと言いたげに、ネウィウスが話題を変える。レティシアは意を汲んで頷いた。


「はい、その予定です」

「そうか。薬に不足などはないか? 不足なら調達するよう、ヒルベウスからも頼まれている。間違っても薬草を摘みに町の外に出るのではないぞ。クォーデン族が近くに陣を張っているという話や、マルコマンニ族も反乱に加わるやもしれぬという噂も流れてきておる」


「クォーデン族にマルコマンニ族、ですか……」

 マルコマンニ族については、以前ヒルベウスから聞いたが、詳しくは知らない。


「クォーデン族は、ダヌビウス河の北岸に暮らしているゲルマン人の一部族だ。以前からローマに反抗的で、恭順しようとせず……しかし、これほど大規模な反乱を起こすとは奴らを甘く見過ぎておった。マルコマンニ族は、ボヘミアに居を構える大部族だ。族長のマルボドゥウスは昔、二十年近く首都に滞在していた人物でな。ローマについて知識が深い。ローマの国力を知っているゆえに、反乱に加わるとは思えんが……。知識がある分、反乱に加われば厄介な敵になる」


 ネウィウスの言葉は、不安を起こすに十分だった。

「では、もしマルコマンニ族も反乱に加われば……」

 不安におののくレティシアに、ネウィウスは重々しく頷く。


「戦線は一気に拡大するだろう。わたしも何度か会ったことはあるが、マルボドゥウスはしたたかな男だ。自らローマとを裏切るとは思いたくないが……。ローマが不利と見れば、自分の勢力を増大させるため、一気に牙をくやもしれぬ」


 レティシアは政治はよくわからない。ただ、これ以上ヒルベウスが危険な目に遭わぬようにと祈るばかりだ。


 いつもより長い朝食が終わり、レティシアが盆を下げたところで、官邸の役人達が書類を持ってやってくる。


 ネウィウスに断ってから、レティシアはモイアと共に診療所へと官邸を出た。

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