第6章 前線の町にて 3


 翌日、官邸の召使から薬草をアトリウムで受け取ったレティシアは、扉の開閉する音に振り返った。


「二、三日中に顔を出します。どうぞお大事に」

 ネウィウスの部屋から出てきたのはタティウスだった。

 レティシアと目が合ったタティウスは「ふんっ」と苛立たしげに軽蔑の息を吐き出すと顔を背ける。


「ごめんなさい、モイア。この薬草を私の部屋に運んでおいてもらえる? 後で仕分けるから」

 昨日からヒルベウスやレティシアは臨時官邸の空き部屋に部屋を与えられている。同じ邸内にいた方が看病に便利だからだ。


「はい。あの……」

 モイアの返事を最後まで聞かず、足早に去るタティウスを追いかける。官邸の扉をくぐったところで、ようやく追いつく。


「タティウス様!」

 呼びかけると、タティウスは足を止めて振り向いた。

「何だ?」

 声をかけたのがレティシアだと知ると、タティウスは侮蔑を隠さず唇を皮肉げに歪める。


「今回はうまくやったようじゃないか。父上の熱を下げられたのを自慢でもしにきたか?」

 レティシアの返事を待たず、タティウスは冷ややかに続ける。


「だが、一度の成功では信用できん。何せ、あいつが連れてきた医者だからな」

 レティシアを頭から爪先まで見やったタティウスはそっぽを向いて、さっさと歩き出す。


 不信と侮蔑を隠そうともしない言葉を、レティシアは唇を噛み締めてやり過ごした。タティウスの足取りは早い。置いて行かれないよう小走りになる。

 怖気づきそうになる心を叱咤して、タティウスを横目で見上げる。


「あの、タティウス様が滞在されているご友人のお宅はどちらなのですか?」

 意を決して尋ねると、予想外の質問だったのか、タティウスは眉根を寄せた。


 官邸の奴隷に確かめたところ、昨日、ヒルベウス達が到着するまでは、タティウスも官邸の一室に泊まっていたそうだが、入れ違いに官邸を出て、友人宅へ供と一緒に移動したらしい。


 タティウスはいぶかしげにレティシアをねめつけた。

「俺の居場所を知ってどうする気だ?」


 タティウスは普通に歩いているのだろうが、兄と同じくらい背が高いので、追いかけるレティシアはどうしても小走りになる。冷ややかにレティシアを見下ろし、タティウスは口元を歪める。


「あいつにご注進して刺客でもさしむける気か? 俺さえいなくなれば、ヒルベウスが家を継げるからな。お前も愛妾として甘い汁を吸えるってわけか」


「そんなこと! ヒルベウス様は卑怯な行いは決してなさいません!」

 自分への侮蔑は構わないが、ヒルベウスに対するものは見逃せない。


 タティウスの淡い茶色の瞳に危険な光が宿る。

「あいつの何を知っているというんだ! あいつは――っ」

 タティウスが力任せに肩を掴む。


 道行く人々が二人を興味深げにちらちら見て通り過ぎていく。高価な服を着たタティウスが物珍しいのだろう。

 乱暴に揺さぶられ、視界が揺れる。その端に。


「すみませんっ」

 身をよじってタティウスから逃れ、レティシアは視界に入った人物に駆け寄った。

 道の端で、質素なストラを着た四十代くらいの女性がうずくまっている。周囲の人間は、目線をやるが厄介事を避けるように無関心に通り過ぎていく。


「どうしましたか? どこか痛むのですか?」

「足が……」

 女性が青い顔で服の裾を押さえて呻く。


「安心してください。私は医者です。すみません、ちょっと失礼しますね」


 断って、裾を少しめくる。ひねったのか、右の足首が不自然にれている。

 同時に、ふくらはぎに巻かれた包帯に気がついた。巻いたのは素人だろう。緩い上に、ちゃんと手当てしていないのか、包帯に血がにじんでいる。足首よりも、包帯の下の傷の方が重傷かもしれない。


「薬を塗って、新しい包帯を巻き直してあげたいのですが、さすがにこの往来では……。肩を貸しますので、歩けますか?」


 習慣で傷薬は持ち歩いているが、大通りで女性の服をめくり上げるのはためらわれる。加えて、埃っぽい往来では、汚れがついて傷を更に悪化させかねない。

 官邸まで戻れば薬も豊富にあるし、十分な治療ができる。


 レティシアは女性に手を差し出した。ゲルマン人との混血か、女性は体格がいい。だが、頑張れば支えられるだろう。

 手を取ろうとしたところで、背後で呆れ混じりの溜息が聞こえた。


「邪魔だ。どけ」

 肩を掴んで引きはがされる。


「タ、タティウス様⁉」

 女性を軽々と背負ったタティウスが、レティシアを放って官邸とは反対方向に歩き出す。慌てて追いかけると、横に並んだところで、ぶっきらぼうな声が降ってきた。


「世話になっている友人は医者だ。これから向かうのに、荷物が一つ増えても構わん」

 レティシアを見もせず告げられた言葉。だが、レティシアはタティウスの不器用な優しさを確かに感じ取った。


 嬉しさに自然と頬が緩む。

 母違いとはいえ、やはりヒルベウスの弟だ。


 もしかしたら、ヒルベウスに対する憎しみにも、何か誤解があるのかもしれない。ちゃんと話し合えば、兄弟が笑顔で向き合える日が来る可能性だってある。


 レティシアには兄弟がいるというだけで羨ましい。一人娘のレティシアは、両親を亡くした今、天涯孤独の身だ。


 もし兄弟が生まれていたら、何か違っていたかもしれない。

 詮無い想像だが、だからこそ、ヒルベウスとタティウスがいがみ合っているのが哀しい。せっかく苦難を分かち合える兄弟がいるというのに、喧嘩ばかりだなんて、あまりに寂し過ぎる。


 ヒルベウス達が聞いたら余計なお世話だと言うだろうが、二人の間の垣根を取り除けるなら、罵られようと構わない。

 小走りで隣を進みながら、横顔を見上げる。苛立たしげな表情したタティウスが、何を考えているのかは読み取れない。


 タティウスの行き先は大通りに面した家だった。ノッカーに手を伸ばすと、とがった声が飛んでくる。


「ノックなんていい。さっさと扉を開けろ」

「は、はい」

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