第3章 揺れる波間、揺れる心 2


 ヒルベウスはくるくると表情を変えるレティシアを楽しい気持ちで眺める。

 女性と話していてこれほど心躍るのは久し振りだ。レティシアの反応を見たくて、柄にもなく、ついからかいたくなる。


 たおやかな見た目とは裏腹に、かたくななほど一本芯の通った性根は、心地よく、好ましい。

 だが、普段のレティシアは本来の自分を押し隠しているように感じる。


 先ほど母親について尋ねた時もそうだ。親族を話題にすれば、少しは会話も弾むかと思ったのだが、失敗した。


 母親の話題を忌避した様子は、亡くした身内を思い出すのが辛いというよりも、何かを隠そうとしているようだった。

 気になるが、尋ねたとしても答えてくれまい。昨日出会ったばかりなのだ。信用してくれと言ったところで、誰が信用するだろう。


 そこまで考えて、昨日、出会ったその日に求婚した己の非常識に思い至り、苦笑する。

 あんな性急な求婚では、断るのも当然だ。あの時は、レティシアがセビリアからいわれのない侮蔑を受けているのを見ていられなくて、咄嗟とっさに口走ってしまった。


 自分の宣言に自分自身が一番驚いたが、一晩明けた今でも、求婚を撤回する気は全くない。

 たった一日で、レティシアはヒルベウスの心に棲みついてしまった。手放すなんて御免だ。


「ヒルベウス様?」

 レティシアの声に現実に引き戻される。

「何だ?」

 視線を向けると、深々と頭を下げたレティシアのつむじが目に入る。

「昨日、お礼を申し上げるのを忘れてしまいまして」

 顔を上げたレティシアがにっこりと微笑む。


「モイアを引き取ってくださって、ありがとうございました」

「あ、ああ」

 レティシアから礼を言われるとは思っていなかったので戸惑う。


「ちょうど君につける侍女を必要としていたから、渡りに船だった。君が礼を言う必要はない」

「ですが、ヒルベウス様のお気遣いが嬉しかったので。ありがとうございます」

 レティシアが花のように微笑む。この笑顔を見られただけでも、モイアを助けた甲斐があった。


「だが、昨日のストラは残念だったな。せっかく綺麗な刺繍だったのに」

 繊細な青い花の刺繍は、清楚なレティシアによく似合っていた。レティシアが照れたように笑う。


「自分で刺繍したので、褒めていただくと嬉しいです」

「自分でか?」

 まさか手ずからの刺繍だとは思っていなかった。レティシアがはにかむ。

「その、自分で刺繍すれば、染め糸の代金だけで済むので……。それに、細かい作業は好きなんです」


 ヒルベウスはレティシアの手を取った。ヒルベウスの手にすっぽり収まる細くて白い手。爪は清潔に切り揃えているが、削って形を整えたり、爪紅をつけているわけではない。乾いていて、少しかさかさしている。働き者の手だ。


「あ、あの、ヒルベウス様?」

 戸惑った様子でレティシアが声を上げる。頬がうっすらと赤い。


「形良い手だな。それに、働き者の手だ」

 手を放しながら褒めると、「ありがとうございます」と返ってくる。が、両手は身を守るように引っ込められ胸の前で握りしめられた。


 これはまだまだ手強そうだと、ヒルベウスは心の中で苦笑した。

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