表と裏を知っても、そっとしておくべき。
――ガチャリ。
俺が前後にドア音を聞いたのは、人気のない食堂に響いたからではなく、ほぼ同じタイミングで俺たちの部屋に続く廊下の方で開いたドアがあったからだ。
俺達だけが夜を過ごした部屋だけでないのだから、タイミングが合えば誰かしらが部屋を出てくればそうなるのは当然のことだろう。
「おあようございます」
まだ覚醒しきっていない、それはそれは眠そうな声がした。
振り返ると、豊かなブロンドの髪を寝癖に踊らせた美少女が目をこすりながら、佇んでいた。
薄いピンクがかったふわふわのネグリジェがなんとも可愛らしい。
「ミルクはご飯を食べます」
憑かれたように宣言すると、夢遊病患者のような足取りで食堂奥にたどり着くのを俺は見送った。
「ミルクはスープをお皿に入れます」
たどたどしい動きで木皿にスープを盛ると、スプーンを取って回れ右。
スープはそこにあったのか、と俺は危なっかしい一連の動作を見守る。
「ミルクはパンをもらいます。ミルクは干し肉ももらいます」
彼女の言うミルク、は主語として使われていることから推測するに牛乳のことじゃなくて、この子の名前なのだろう。
一挙手一投足を口に出しながら朝食を整えるハイティーンにはなっているのだろうかという少女。
開ききらない目が三本線のままで、ふっくらした頬がまた愛らしい。
その少女、ミルクがずるっぺたと近づいてくると、俺の隣に着席した。
「朝ごはんです。いただきます」
食材に対し一礼、それとも軽く舟を漕いでるのか、を済ますと、パンをちぎってスープに浸し、小さな欠片の干し肉を数片をスープに浸しはじめた。
「パンさんお肉さん、やわらかくなってください。待ってます」
ミルクは、行儀正しい姿勢でゆっくり瞼を閉じると鼻提灯を作って、大小させ始めた。
ぴるるるる……という寝息がまた無邪気だ。
ところでスープの湯気をまとった、天使の横顔を俺はいつまで眺めていれば良いのだろう。
困ったことにレナはまだ帰ってこないし、テーブルの端で目の前にはサーカスがいて、隣にはミルクがいて、そっと追い詰められている。
鼻提灯が破裂して、ミルクはパッと目を見開いた。
そして、おもむろスプーンを右手に取ると、スープの具を突っついた。
「まだパンもお肉もまだ固いです。ではミルクも、もう少し待ちます」
再び、鼻提灯を膨らませ始めた。
ミルクさん、ありがとうございます。本当はそうやって、これらの固い食材をスープで戻しながら食べるんですね。
サーカスまた1ページめくる音が聞こえ、マイペースな同席者たちに追い詰められたまま俺は天井を見上げながらため息をついた。
先程ヴァレリーに話のきっかけをへし折られからはサーカスに話かけることも忘れていたが、今更感もあって切り出す気にはなれなかった。
無限にこの沈黙が続くかと思われた頃、ようやく救いの神、レナが戻って来た。
「良かった。ご飯は食べられたかい? みんなもおはよう」
固くて苦くて塩っぱい朝食の事などどうでもいい、不本意な満腹感なんて忘れて拝みたい気分だ。
レナは近づくと、ミルクをその体から信じられないくらいの安定感で、お姫様だっこすると向かいの席はサーカスの隣に配置しなおした。
まさに配置し直すという言い回しが似合う、迷いのない荷さばきっぷりである。
「今日からボクの定位置はココって決まってるんだよ?」
そして、俺の左隣にミルクと入れ替わりに座ると目を細めて笑った。
「どれ一口味見」
左手にしたスプーンでミルクのスープを口に運ぶレナ。
「あ、レナちゃん、ミルクのご飯取っちゃダメだよう。お肉はダメぇ」
ミルクは両手をバタバタさせて抗議すると、「スープだけスープだけ」と言われて自分の前に皿が今や遅しと戻ってくるのを待ち続けていた。
「このコはミルク。可愛いよね。腕利きのヒーラーなんだよ?」
レナに軽く紹介されているのもまるで構わず、ミルクは戻ってきた皿に顔を突っ込むようにしてへばりついている。
開ききらない目でふやけたパンやら、少し柔らかくなった肉をせわしなく口に運ぶ姿は生まれたての子犬のように見えた。
「目の前の読書家はB.B.。こちらはソーサラー。あ、意味解るかな?」
「大丈夫、魔術師ね」
「彼女、何か話したかい?」
「ここの主人は言葉が苦手と教えてくれたね。それ以来はさっぱりだ」
「それなら良かった。B.B.はキミに興味あるってことだね。見ての通り、本の虫だからね。ずっと魔術を蓄えてる」
レナは指で輪っかを作って眼鏡のジェスチャーをした。
サーカスの中身、B.B.と呼ばれた俺達の情事の目撃者と思われる女の子は、どうやら眼鏡っ娘なようだ。多分、覗き魔の類ではない。
あと、この世界は眼鏡がある文化レベルだということが解った。
「あと一人、仲間がいるんだけどまだ寝てるっぽいね」
仕方のないことだと、肩をすくめながら手のひらを天に向けるレナ。
「レナ、君はさしずめファイターって、ところかな? 兵装は軽そうだけど」
RPG世代の俺がそこそこ理解できるのに嬉しそうにすると、レナは言葉を継いだ。
「お、話が早いね。ボクはそんな大したタチじゃないよ。何でもできるけど尖ったところのない、ただの器用貧乏さ」
そう言って一人頷くと、拙いスプーン使いでスープを口に運ぶミルクをしばし眺めていた。
「レナちゃん大丈夫だった? 昨日、地震あったじゃない? 私怖くて寝られなかったの」
咥えたスプーンをかじるようにして、ミルクはレナの斜め上へ顔を向けている。
「地震? 気づかなかったけれども」
「お部屋ギシギシしてたし、ああ……レナちゃんの寝言が聞こえてたから、レナちゃんぐっすり寝てたかも」
「隣の部屋まで聞こえる寝言って、あ」
言い淀んだレナを見ると、徐々に笑顔を凍りつかせたまま、耳だけ真っ赤に染めていく。
俺も事態に気づいて、聖なる沈黙を保つことにした。
脇を流れる冷や汗が雄弁に語っていた。
「でも地震が起きるくらいの大型モンスターだったらB.B.がわかるもんね。今日はレディ、静かだね? レディ?」
地震とやらには興味がなくなったのか、フワフワしたまま、開かない目をしたままミルクは俺に向かってレディと声をかけ続ける。
鏡は無いけど俺は知っている。
俺はレディじゃあない。どう見てもミスターで、爵位があればサーだ。
ほら、レナも言っているだろう?
「ミルク? スミスはレディじゃないよ? まだ寝ぼけてる?」
「ええ~? 目の前にレディいるよ?」
ミルクは目と鼻の先まで顔に寄せて、開いていない目をさらに細くして満足気に微笑む。
俺は助けを求めるようにレナを見る。
レナも戸惑いがちに止めに入ろうとするところに「コホン」と咳払いが聞こえた。
その咳払いがB.B.のものだと気づくには、少しばかりかかった。
その衣装は本当にわかりにくいぞ。
弾かれるように目を開いたミルクの表情が凍りついた。
ようやく焦点のあった目をパチクリとさせながらも、疑問符を頭に踊らせている様子を俺はじっくりと観察した。
そして見つめ合うこと数秒して、知性の光が瞳に戻ったように見えた。何か悟ったようだ。
「あ、あ……」
ミルクのわななく口元が意味のならない音を発する緊張感に耐えきれず、俺は外国人のような平坦さで自己紹介した。
「どーも、ミルクさん。スミスです」
右手を軽く上げて、軽く開いたり閉じたりして親愛アピールも忘れずした。
「男の人。レディじゃない」
はい、男の人です。誕生日は七月七日、血液型はB。座右の銘は愚痴こそ発想のタネ。
「うわぁ……うっわぁああああ!!!!」
ミルクが泣き始めんばかりの表情になって、立ち上がるや否や椅子を蹴って廊下へ駆け込み、けたたましい音を立てて部屋に逃げこんでいった。
もしかして、嫌われたのだろうか。
何もしてないのに狙ってるとか女子に陰口を叩かれるのはよくあったことだから、慣れっこではあるがココでもそのパターンだと結構傷つくぞ。
などと、心を痛めながら見送った方向に煙が立ち、再び悲鳴が轟いた。
「いやぁあああああ!!!!」
「うるせーバカ! 寝させろクッソ頭痛ぇえ!!!」
爆発音のような怒号と悲鳴がミルクの部屋、俺達の部屋の隣だろう方向から響きまくる。
「だってだって! 寝起きの顔、男の人に見られちゃった! いやぁあああ!」
「知るかボケ! こっちゃさっきまで飲んでたんだ寝させろ! おい、アタシの水で顔洗うな! 出てけっつってんだ!」
そりゃもう、向こうはどったんばったん大騒ぎ。
同室につまみ出されたのか投げ出されたのか、壁に誰かが、ミルクだろう、叩きつけられる大きな音がしてドアが閉じられた。
「レディ! ねぇ着替えだけお願いだから着替えだけさせてください!」
ドアの開く音と布の投げつけられる音。そしてドアの閉じる音と鍵の音。
「廊下で着替えるんですか!? ここで!? 誰か来たらどうすんですか!? お願いだから中で着替えさせて!」
限界まで迫っているトイレに叩きつけるような乱れ打ちのノックがこだまする。
「ピンク乳首でもなんでも見せてやりゃいいだろスカタン!」
「ふぇ!? ふぇええええ!!」
ミルクの悲痛な叫びに閉じられたドアの向こうから答えが帰ってくることはなかった。
「スミス、そっち見ちゃダメだよ」
「はい」
B.B.に向き直る俺の後方から、シュルシュルという衣擦れの音に、しゃくり声が混ざっているのが聞こえてきた。
着替えには長すぎる時間がゆっくり経過して、後ろに分かりきった誰かが立つ気配を感じた。
「し、失礼します」
今にも消え入りそうなミルクの登場に、レナにも許可を目配せで取って、俺は半身をねじって振り返る。
そこには白を基調としたタイトなシスタースーツに身を包んだ、清楚な少女が胸に杖を抱いて立っていた。
長い髪をポニーテールにまとめ、それは凛々しい天使のような出で立ちで、泣き腫らして目が赤くなっているのが難点。
「私はシスター、ミルク・ベッケンバウアー! 生きとし生けるものに憩いと癒やしを、死者には永遠の安息を。今後ともよろしく、ね!」
美少女戦士のようなポージング。はい、よく出来ました。先に舞台裏を見せてもらっているのだから、贔屓目に見てあげるべきだと思う。
なぜ、その決めポーズをやろうとしたのかは謎だが。
決して、異世界戦士ビーチクピンクとか言ってはいけない。
ウィンクとポージングを解いて、いそいそとレナの前に座ると、チラッと俺を見て意気消沈し直したようにうつむいて小さくなっていった。
ミルク本人は小柄ながらも締め付けられて行き場に困っている豊かなバストは確かに癒し系という言葉がぴったり合って、一方先程の寝ぼけっぷりを思い出しては頼れるお姉さん言葉とのギャップ萌えを知っているのはお得なのかもしれない。
「運命の人ってこんなに突然現れるものなのですね。でも嫁ぎ先が決まってホッとしたかも」
ミルクがボソっとこぼすのを俺はワインを飲むフリをして、聞き流した。
俺は女子寮か尼僧院に潜入したのだろうか。
教えてくれ、そこの親父。
「ああ、紹介しよう。彼はスミス、昨日知り合ったんだ。ボク達が知らないことを知っていて、仲良くなったんだ」
「レナちゃんが気に入る男性なんて、あ、魔法使いさんですの?」
「いや全くそんなことは。俺が唱えられる呪文と言ったら寿限無寿限無くらいなもので」
「寿限無?」
ミルクがポカンとしているところに軽く寿限無を諳んじると、ひらめいたように手をうった。
「わぁ、初めて聞くスペル! それでどんな効果がありますの?」
「ひたすら縁起のいい単語を並べて、それを人名にしているだけだから効果と言われても」
「祝福の呪文ですわね。素晴らしいわ」
「祝福の呪文、そう言えばそうだけれども、付属するお話ではその名前をもらった主人公は溺死してしまうんだよね。業界では死ぬイコールめでたくなると言い換えているけど」
「めでたくなる?」
レナは本当に珍しいものが好きなんだろうなという顔をする。
「ああ、成仏。いや、昇天するってことだね。通じるかな」
「それは、死後の幸福が約束されていると言うことね。私の宗旨より自由と言っていいかもしれないわ」
おいおい、寿限無すげーな。あとミルク、実はこの人真面目か。
「ね、スミスって面白いよね? 死んだら自動的に天国に行ける呪文って、ボク達は死んでも後世を祈ってもらえないとたどり着けないのにね」
レナが腰の小袋から、何やら取り出して来たのはビスケットのようなお菓子だった。
「あ、コレさっきもらってきたから皆で食べよう。デザートデザート」
俺に手渡されたヒヨコ形のそれは、鳩サブレを彷彿とさせた。
やっぱり固かった。
ココで口にする物なんでも固い。
ニコニコ顔で噛み砕くレナと、お祈りしてから口に運ぶミルクと、手を伸ばす様子もなく地蔵へのお供えみたいになっているB.B.を見比べながら、もうひと噛みする。
――ガキッ。
輪をかけて固い、歯が割れるくらいに固い何かを噛んだ俺の表情に気付いたのかレナが「おお」っと口を丸くした。
「もしかして、スミス当たりかも?」
その通りだった。
口から出てきたのは銀色に輝くコイン。
「スミスさん、祈ってあげてくださいね?」
「俺にはなんのことやら」
「これは葬式ビスケット。故人の財産から銀貨を入れておいてくれるんだ。お葬式に参加してても通りすがりでも誰でももらえるんだけど、当たりの人は冥福を祈って上げるルールなんだ」
なるほど、これは振る舞いなのだな。葬式饅頭のビスケット版だと理解すれば良さそうだ。
「今日のお葬式はあんまりお金持ちそうじゃなかったから、当たりは引けないと思ったんだけどね。キミは持ってるなぁ」
レナが嬉しそうに続けるが、俺は祈り方など知らないのだが。
「亡くなった人も喜んでくれると思いますわ。利害関係の無い人のほうが、祈りに雑念が混ざらないもの。それにどんなお祈りをなさるか興味あります」
ミルクもちょっと楽しそうにしているので、俺はさしあたり片手で拝むことにした。
「南無阿弥陀仏」
雑念が混ざるどころじゃない、男女すらわからない仏さんに六字を口にした。いいのかこんなので、「おお」じゃないぞレナもミルクも、あとB.B.は何か反応してくれ
とりあえず、この銀貨は大切に使わせていただきます。
「さぁ、町に出ようかスミス。案内してあげるよ」
レナが俺の手を取って立ち上がった。
聖なる勇者の残党狩り 阿南ミシェル @anan_michel
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