第2話 ベンチとコーヒーと力と夢と
「アニメとか見ます?」と悪魔はおそるおそる尋ねてきた。まるで拒絶されたらどうしよう、と不安がっているかのように。カノンは不思議な気持ちで、隣に座る悪魔の顔を見つめた。小柄なカノンより少し目線が高いが、男としてはもう少し上背が欲しいところだろう。悪魔もモテるかどうか気にしたりするのだろうか、と好奇心に駆られながら、おごってもらったコーヒーをズズと飲む。
「……見ません」
「え、でも、仕事……声優もやってますよね?」
悪魔はこの話題が潰えたら自分の命運も亡ぶ、とばかりに喰らいついてきた。それがなんとなくおかしくて、カノンはうっすら微笑む。
「仕事のは確認するけど……オンエア前ですよ。アフレコ終わった時に最終確認して、問題なければそれっきり。加工されてたってわかんないですね、本番知らないから」
「そうなんだ……プロの世界ってそういうものなんですね」悪魔は感心したように頷いていた。20代前半にしか見えない顔つきだが、髪は真っ白だった。そこだけ絹糸を盗んできて慌てて縫いつけたかのような現実離れした白さだった。
「私、あれ、あれ見たいんですよ。来期のロボットの……カノンさん出てるやつ……あの……」
「……『なにもかもきみのせい』?」
「そう、それです。ロボットのやつ。でも、最悪なんですよ。うちのチューナー、1録画しかできなくて……裏番組で『悪魔のミカタ』がやるんですよ。どうしてもあれだけは見逃すわけには……」
「……はあ、そうなんですか」ていうか、チューナー?
「あの、悪魔……さん、って、一人暮らし……なんですか?」
悪魔になんてバカな質問を、と思ったが、当の本人は照れくさそうに笑って白髪頭をかいた。
「いやあ、お恥ずかしながら……こないだやっと昇給して実家を出まして」
「あ、そうなんですか。……おめでとうございます?」
「ありがとうございます。でも、今のご時世、なかなか仕事が増えなくて……最近は誰も叶えたい夢なんて、ないっていうんですよ」悪魔はぽりぽりと頬をかく。
「べつに、フィクションの中の悪魔みたいに魂を奪ったりしないんですけどね……」
「ふうん……でも、あれはやるんでしょ?」
「あれって?」
「『どぉーん!』ってやつ」
カノンが声を作って、有名な漫画の真似をすると悪魔は興奮し、「スゲェ! もっかいやってください!」と子供っぽい本性を垣間見せて拳を握り締めた。カノンはそれから2回『どぉーん!』をやってから、じとっと疑り深い目で悪魔を見た。
「……あの小太りのおじさんみたいに、わたしをハメて、あとで高笑いするんでしょう」
「とんでもない!」心外だとばかりに悪魔は飛び上がった。
「あんな詐欺みたいなやりクチ、ウチはしませんよ。あんなのひどいじゃないですか。人の弱みにつけこんで……我々に言わせれば、せっかく強い願いを持ってくれた方々へ無礼極まる行為ですよ。太平洋をミサイルで汚染するくらいひどい」と悪魔は力説した。自分の話に没頭しているのか、まだ片手に缶コーヒーのあまりを持っているのに自販機でもうひとつモンスターエナジーをPASMOで買い、左手が塞がっているために右手の缶のプルトップを引き起こせず両手に缶のバカ丸出しの姿勢でカノンに真摯な表情を向けた。
「私はあなたの願いを必ず叶えてみせます。もし、ウチのやり方に問題があるとすれば、それは……『絶対に願いが叶ってしまう』、というところにあるかもしれません」
「わたしが『もうやめて!』って叫んでも、『ふっふっふ、だってあなたはこれを望んだんですよ?』とか言って止めてくれないん……なにその顔」
「スゲェ……声優っていつでも二次元をやれるんだ……」
「あ、話逸らした。やっぱりそうなんだ? わたしを騙すんだね」
「違いますよ!」両手に缶のまま悪魔は立ち上がった。そして自販機の青白い光を浴びながら、カノンに言う。
「願いを叶えるのはあなたです。嫌ならやめるのもあなたです。我々は、あなたの願いを叶えるお手伝いをするだけ……だって、そうじゃないと嘘じゃないですか。こんな嘘だらけの世界で、またもう一個、嘘作るなんてつまんない仕事、いくら食い詰めたって私はやりたくないですよ」
「あ、そう。……ひどいなあ、わたし、嘘作る仕事してるのに……」
しゅん、と落ち込むフリをすると悪魔は目論見どおりに慌てふためいた。違うんです、違うんですよぉ、カノンさんのことじゃなくて……と懇願するように弁解する悪魔でたっぷり遊んでから、カノンは目尻に浮かんだ涙を拭った。そして膝の上ですっかり冷たくなった缶コーヒーを両手で包みながら、その奥の暗がりを見つめて、言った。
「じゃあ、お願いしようかな……わたしの、夢」
喜んで。
悪魔はどん、と胸を叩いた。
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