PART 2 - 央都から来た捜査官

 それはアトルという村の子どもが村の外れで怪しげな流民の男に遭った朝からいうと、前の日のひる下がりのことになる。

 村の駐在官であるエジモガル市付エリク三等巡視官は、屯所とんしょの前に馬車が乗りつけられる気配を察した。


「ちょっと、失礼します」


 同室の相手にことわって、おっつけ事務室から顔を出すと、普段開け放している入り口から、ずいと一団が押し入ってくるところだった。

 困惑げな下男をふたり引き連れた、仕立てのいい長衣をゆったりとまとった優男である。


「駐在官どのに用があります。あなたですか」


 男が和やかだが、どこか有無を言わさぬ調子で尋ねる。


「はい、自分ですが」

「そうですか。いえ、折り入ってご相談がありまして」

「はい、なんでございましょう、ええと、卿」

「これは失礼」


 男は優雅な仕草で礼を執る。


「ツィオル・ロジスカルです」


 男が口にしたのは、わかってはいたことだが、領主館りょうしゅかんの住人のものだった。

 品の良い身形みなりからしてそうであるし、乗りつけられた二頭立ての馬車にしても、村には村長が管理しているものと、領主館で私有しているものしかないのだから、なるほどわかっていたことである。

 しかし、エリクは面と向かって話すのは初めてだった。


 領主館とは言うが、実際に領主が住んでいるわけではない。領主は州都エザミアに暮らすロジスカル伯エディキである。その別邸であるから、村のものは領主館と呼び習わす。単に“お屋敷”と呼ぶものもいる。

 常は管理のために住み込みの使用人がいくたりかいるばかりだったが、ロジスカル伯が実弟、ツィオルが入居したのが、つい半月ほど前である。


 一度、挨拶に出向きはしたものの、所用のため、とすげなく追い返されてそれきりだった。


「以後お見知りおきを」


 実際に面するツィオルの物腰の柔らかさに、エリクはかえって恐縮する思いである。


「これは……えー、ロド村駐在官エリク三等巡視官であります」

「よろしくおねがいします、エリク三視どの」

「いえ、その、こちらこそ」

「それであなたに頼みたいことがあるのですが」

「はい、なんでございましょう」

「わたしに護衛官を十人ばかし付けていただきたいのです」


 大仰な注文にエリクは困惑する。


「……その、なんですって」

「もちろん、多ければ多いほどいいですが。最低でもわたし自身の護衛に五人、周辺の巡回に五人はほしい」

「ですから、そのう……なぜです」

「命を狙われていまして」

「は」


 物騒な文言もんごんにエリクは緊迫する。


「……その、それは、どういったわけで」


 頭の中から言葉を選び出しながら、ツィオルに問う。


「なにか脅迫文を送り付けられたりとか」

「いえ」

「は……では、屋敷に豚の首を投げ込まれたことは」

「いえ、そういうことはありません」

「は」

「ともかく命を狙われています」

「は、しかし、そのう、なんとも」


 なんとも、エリクが答えにきゅうしたときだった。


「なにかお心当たりがおありで」


 ふいに声が割って入った。

 振り返ると、事務室からゆっくりと男が歩み出てくる。

 痩身そうしんで、眼鏡をかけた神経質そうな面相をした男だが、身のこなしは鍛えられている。


「あなたは」


 ツィオルが尋ねる。


「申し遅れました」


 男は銀鎖で首から提げた徽章きしょうを、制服の胸元から持ち上げて示す。二つ星に鷲。


央都おうと警察局から参りました。ギブン・レプツカ二等捜査官です」


 直轄であるエジモガル市警察を飛び越えて央都からつかわされた捜査官は、今日の朝、予告もなしに村に来訪した。

 先程までエリクが事務室で打ち合わせを行っていた相手である。


「これはこれは」


 ツィオルが大袈裟おおげさな仕草で腕を開き、いっそう明るい声を上げる。


「話が早くて助かります」


 きょろきょろとわざとらしく周りを見渡す。


「それで、他の人員は。あなたひとりということはないでしょう」

「いえ、本官ひとりです」

「は」

何分なにぶん、予算も人員も限られておりますので」


 ギブンが勿体もったいぶった手つきで眼鏡のやまの部分を押し上げる。


「本日はツィオル卿にお話を伺いたいことがあり、まかり越しました」

「……お話、ですか」


 ツィオルの声音が、すうっと冷たくなった。


「お命に危険を感じていらっしゃるとのこと。卿にははっきりとお心当たりがあるのではないかと思うのですが」

「さあ」

「ギドレ伯ご子息、ベルトレー卿と、トラムゼ伯ご子息のラウス卿。お二人のことにつきましては、お悔み申し上げます」

「……」

「共同でご研究なさっていたそうですね。もっとも――」

「……」

「その“研究”の内容については問題が多かったようですが」

「その件についてはもう解決した話ではありませんか」


 ツィオルの顔にはにこやかな笑みが張りついている。


「わたしが疑われたのは、間違いだったと」


 冷々ひえびえとして朗らかな、ぞっとする声音である。


「あくまで嫌疑不十分です」


 対するギブンの声はどこまでも平坦で、温度がない。


「あなた方の“研究”のため、央都の住民を中心に四十余名の男女が惨死した疑いは依然として残っております」


 淡々と、事実を報告する調子である。


「ベルトレー卿とラウス卿が件は、その報復である可能性があります。そして、次に狙われるとしたら、あなたです。ツィオル卿」

「そうだとしたら、とんだ逆恨みですね」


 心の底から心外である、という風にツィオルはかぶりを振る。


「事実、わたしはこうして塀の外を歩いている」

「そうですな。いまのロジスカル伯は随分と――」


 ギブンは思わせぶりに言葉を切って、またついと眼鏡を直した。


「ご兄弟思いでいらっしゃる」


 捜査は物的証拠とも状況証拠とも固まっていた。そこへ、なにがしかの圧力が働いた。


「兄が本当に私のことを思いやっているのなら、こんな窮屈な場所に閉じ込めたりはしませんよ――駐在官どの」

「は、はいっ」

「身の危険ですが……どうやらわたしの考え過ぎだったようです」

「は」

「失礼いたします。今後ともよしなに」


 流麗な礼を残すと、ツィオルはきびすを返し、颯爽さっそうと屯所を出て行った。最初から最後まで困惑顔だった従者がそれに続く。

 エリクは長い溜め息をいた。


「巡視官」

「は」


 去っていった背中をまだ目前にしているような目つきで、臨時の上官がエリクに問う。


「どう思う」

「はあ」


 エリクは前段、打ち合わせで講じられた内容を思い出す。

 ベルトレー卿が央都の路上で殺害されたのが一週間前。人気のない路地で、目撃者はいない。ラウス卿はその翌日。おおむね同一の状況。ここまでは報知版ほうちばんにも載っていた内容である。

 異様なのは手口である。

 ふたりとも鋭利な刃物のようなもので頚部を切断され、完全に頭と胴とが別れていた。


「――それも出血の状態から鑑みて、生きたまま断首されている。どのような手段によるものか、捜査部でも意見が分かれている」

「はあ。まあ、自分は魔術にはあまり明るくありませんので……」

「ほう」


 ギブンが感心した声を洩らす。


「なぜ魔術によるものと思った。刀剣によるものとは?」

「刃物なら、急所を突けば人は死にます」


 なにを分かり切ったことを尋ねるのか、という調子でエリクは答える。


「完全に斬り落とす意味がありません」

「なるほど」


 しかも今回の場合、遺体を持ち運びやすくする意図もない。切り離された首と体は、ともに現場に残されていた。


「しかし、それは魔術を使っても同じことだ。射殺、焼殺、毒殺、圧殺……どれも首を斬り離す必要はないな。しかも、どんな術で斬った……?」

「そういえば、高圧の水流で物を切る魔術があるそうですね」


 エリクはなんとはなしに、数日前に見た報知版の内容を持ち出した。


「近頃実験が成功したとか」


 うろおぼえであるが、央都の研究所で開発が進められていたという。

 単なる念動術の応用であると言えば、そうである。しかし、流体に力を及ぼす術はこれまで実現が難しかった。それを今回、“止滝しろう”のイェナムという人が可能とした、との報だった。


 魔術は想像力である。

 浅学の輩はとかく魔術を神秘のわざと思いたがるが、むしろ人の精神のもっとも明晰な現れが魔術なのである。

 対象となる物体をいかに捉え、操作したいと欲するか。

 精緻な想像のみが魔術を正しく駆動させる。


 石ころを掴み上げ、放り投げることは誰でも容易にできるが、流れる水を握ることは誰にもできぬ道理である。

 水流が鋭利な切っ先と化して鋼板を寸断する光景は、大きな驚きを以って捉えられた。


「ほう、よく知っているな」


 ギブンがこうべを巡らす。


「犯人は“止滝しろう”のイェナムだと思うかね?」

「い、いえ、けしてそんな……!」


 魔術が人の意思の力に依存する以上、特異な術はいささか属人的な性質を帯びる。

 “轟炎”のレグサフ然り、“閃輝”のリュジミール然り、“断界”のネヴィラ然り――優れた術の遣手つかいてを、その特質を表す二つ名で称えるよしである。


「たしかに現場は夥しく濡れていたな」

「えっ」

「被害者の血だよ」


 ギブンの口許が歪んでいるのに、からかわれたらしい、とエリクは悟る。


「余計な水分はなかった」

「やはり、自分がお役に立てることはないかと」


 ほっと息を吐く。


「自分はあまり魔術がうまくありませんで……それでなければ、もうすこし出世できたのかもしれませんが」


 さして残念そうでもなく言う。


「大事な仕事だ」

「性にはあっております」


 エリクは村にひとりの駐在官である。普段は村長や自警団の面々を手伝って、村の些細な揉め事をさばいている。それなりのやり甲斐を感じている。

 そういうものにとって、央都の捜査官は雲上の人だが、思ったよりも話し易い人物であるようだった。


 ギブンは村長の家にしばらく逗留とうりゅうするという。領主館の住人への聴取は、日を改めることとなった。

 しかしながら、そのときたださねばならないことが、その日のうちにひとつ増えた。

 屯所の前から引き返した馬車が、じきにふたたび屯所の前の路地を鳴らして通り過ぎて、日が暮れる頃に三度通り過ぎた。

 馬と人の数が増えていた。

 ロジスカル伯弟ツィオルは、警察は当てにできぬと見るや、家人に言付ことづけて近在の宿場街から傭兵の一団を雇ってこさせた。

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