エメラルドギロチン

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CHAPTER 1 - エメラルド・ギロチン

PART 1 - 少年の記憶

 アトルは村の子どもで、まだ世界の理不尽さというものを知らないから、そのとき樹上に怪しい人影を見つけても、むしろ容易たやすく声をかけることができた。


「なあ、あんちゃん、なにやってんの?」


 ロドの村を三方囲むなだらかな山地の、ふもとである。辺りの樹々が開けて、広場のようになっている場所がある。アトルは散歩がてらよく立ち寄る。今朝も木の実拾いのついでにぶらりと脚を向けると、先客がいた。

 みすぼらしい身形みなりの男が広場を囲む樹の一本の上で、枝にまたがるように腰掛けている。なにかきらきら光るものを片手に握り、眼前に掲げたそれを覗き込むようにしている。


「なあー、おーい、って」


 呼びかけにも応えず、男は一心にきらめくものをめつすがめつしていたが、ふいにアトルのほうに顔を向けた。そして、ぐらりと男の体がかしぐ。

 あっ、と思う間に、枝に跨っていた男の体がぐるりと回り、枝から離れ、その勢いのまま空中で一回転して、すとんと地面に降り立った。

 着地した、というより、単に足から地面に落ちた、という感じだった。

 アトルがぽかんとしていると、樹から落ちてきた男はとぼとぼと頼りなげな足取りでこちらに歩み寄って、すこし離れたところで立ち止まる。


「……あー、あんちゃん、なにやってたの?」


 気を取り直してアトルはく。

 あらためて向き合うと、男の目深まぶかに下ろした頭巾の奥の顔は、まだ年若い。しかし、顔にかかったぼさぼさの髪は半白はんぱくで、やつれた気色けしきもあってとても年老いているようにも見える。

 男はアトルの問いに口を開いて、あ、あ、あ、とかすれた声をらした。


「しゃべれねえの?」


 男がこくりと頷く。


「そっかぁ、たいへんだな」


 当然村では見たことのない面体めんていだし、恰好かっこうからして流民るみんだろう。

 ロドの村は街道から分かれた支道がさらに分かれた枝のさらに行き詰まりといった辺鄙へんぴなところだが、稀にそうした者が迷い込んでくることはある。

 それにしても、そのうえ口が利けないというのは、さぞかし難儀なんぎなことだろうなあ、とアトルは素朴な同情をする。


「それ、きれーだね」


 アトルが男の手にしていた光るものを指差すと、男はそれをおずおずとアトルに差し出してくる。


「みしてくれんの?」


 男がこくりと頷く。


「やった、あんがと」


 受け取ると、アトルが握り込むにはちょっと余るぐらいの、透明な石である。角がれてまるくなっているが、おおよそきれいな立方体をしている。

 男の真似をして覗き込むと、目の前の男の顔がぐにゃりと歪んで巨人ギガントみたいに大きく見えた。


「あはははは、すっげーこれ」


 父親に聞いたことがある。遠見石とおみいしというやつだろう。遠くのものを大きく見ることができる。アトルは初めて触った。


「そーだ」


 アトルははしゃいで樹上にじ登ると、また男の真似をして石を覗き込む。


「おー」


 男の向いていた方を見てみると、ちょうど樹々の合間に“お屋敷”の塔が見えた。

 “お屋敷”は、アトルは顔も見たこともないが、近在の領主さまの別宅だとかで、村のだいたい中心にあって、村長どのの屋敷よりでかくて、そびえている尖塔は村のどの建物よりも高い。ちょうどその天辺てっぺんの部屋が、ちょっと山を登ったこのあたりと同じぐらいの高さになるようだ。

 窓の鎧戸が手に取れそうに近くに見えるので、アトルは試しに手を伸ばしてみて、すかすかと空ぶったりしてみて、ひとしきりして満足したので、またするすると樹から降りて(降り方も男の真似をしてみたい気もあったが、さすがに危なっかしいと思ったのでふつうに幹を伝い降りて)、男に石を返す。


「あんがと、おもしろかった」


 男は頷いて石を受け取ると、大事そうに懐にしまう。

 腰からやはり擦り切れかけた革袋を取ると、中からなにか摘まみ出して、またアトルのほうに差し出す。


「なにこれ」


 男が指先に摘まんでいるのは、小指の先ほどの小さな緑色の石だ。

 男がさらについと手を突きだしてくる。


「え、くれんの」


 男がこくりと頷く。


「やった、あんがと」


 男がアトルの小さな手のひらの上に落とした小さな緑色の石を、アトルは摘まみ上げて日に透かしてみる。


「おー、これもきれーだな」


 遠見石ほどぴかぴかしていないが、それでも緑色に透きとおって、光を散らしてきらきらしている。


「ほんとにいいの」


 アトルが視線を戻すと、男はもう背を向けて、ふらふらと木立の間に踏み入ろうとしているところだった。


「おーい、あんちゃん、あぶないぞ、そっち」


 獣道すらないし、急な坂になっているところもある。

 危ないから無闇に入ってはいけない、とアトルは親に言われている。

 そもそも、流民の男がこれから村に下りて、施しを乞うのだろう、と思っていたから、そちらは村とは反対の方向なので、アトルはちょっと面食らう。


 しかし、男はそういうところを歩き慣れているのか、頼りなげな足取りのわりにすいすいと樹々の間をすり抜けてじきに緑に紛れてしまった。


「おーい……」


 アトルはぽつりと呟いて、所在無げにしていたが、追いかける筋合いもない。

 まあいいか、と思って、男からもらった緑の石をきゅっと握りしめながら、うちに戻った。

 家内では母親が煮炊きをしていた。


「かーちゃん、これ、すげーだろ」


 アトルが小さいけれどきらきら光る緑色の石を自慢すると、あら、緑玉りょくぎょくね、と母は言う。


「りょくぎょく」

「それ、どうしたの、あんた」

「……あー、やまでひろった」


 なんとなく、見知らぬ流民がくれたとは言いづらくて、アトルはどうでもいい嘘を吐いた。

 ふうん、と母もどうでもよさそうに喉を鳴らす。


魔石ませきでも、売りもんにならないクズ石だよ」


 火をおこすにも使えやしないからねえ、と、かまどの中を指差す。

 中ではアトルの握り拳ぐらいの大きさの橙石だいだいいしがいくつか、ぼうっと発赤ほっせきして、かけられた鍋がことこと鳴っている。


 橙石は名前のとおり鈍い橙色をした魔石で、簡単な術をかければ熱を放って、火をけたり、湯を沸かしたりできる。村でもよく使われているし、アトルも見慣れている。


 なあんだ、とアトルはつまらなくなった。橙石より駄目な石なのか。


 それでもなんだか勿体もったい無くて、アトルは部屋の箪笥の抽斗ひきだしの中にその小さな緑色の石をそっとしまった。


 その後もアトルは、ときどき取り出して、また日に透かしてみて、きらきら光るのを眺めたりしていたが、いつのまにかどこかにいってしまった。

 そのうち、アトルが初めての恋をするくらいのころには、そんな石を持っていたことも、それをくれた流民の男のことも、すっかり忘れてしまった。


 だから、その日、村で起こった異様な事件の記憶と、緑玉の記憶とは、まったく結びつかなかった。

 その日、村で人が死んだ。

 殺された。

 “お屋敷”の塔の天辺の、鍵のかかった部屋で、首を断ち切られて。

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