第5話

 「ルカ!」

「リーナさまの具合はどう?」

「今日はごはん食べてくれた?」

彼がリーナの守り役、ルカらしい。

線の細い大人しそうな少年は、雪まみれで駆け寄った雪鬼たちに首を振った。

「今日はりんごを少し食べてくれました。」

「そうかぁ・・・。」

「いちばん美味しそうなやつ、もいで来たのになぁ。」

「明日はもっと美味しそうなの見つけてくるよ!」

「ありがとう。」

ルカは雪鬼の頭を撫でると、申し訳なさそうに微笑んだ。

「いいってそんなこと!」

撫でてもらった雪鬼たちは笑顔を見せ、イライザたちを紹介すると新しいフリスビーを探して森の中へ駆けていく。

走り去る雪鬼に合わせてつむじ風のように舞い上がった粉雪が、空中に消えていった。


「私はもともと、この森に迷い込んだ人間なのです。」

イライザたちを洞窟に招き入れながら、ぽつりぽつりとルカは語った。

大きくはないものの、洞窟の中はきちんと掃除されている。

リーナを驚かさないよう、蒼蓮は小さな姿のまま、ジノは人型を取っていた。

「旅の途中で近道しようとして、何も知らずに迷い込んでしまったんです。

歩いているうちに雪もひどくなった。

少し休憩しながら様子をみれる場所はないかと見回したらこの洞窟が目に入ったもので。

何となく踏み込むことはためらわれたので、入り口辺りでじっとしていました。

そのうち吹雪が止んで静かになって。

さて行こうかと立ち上がったとき、鳴き声に気付いたのです。母親を求めて鳴いているように聞こえたものですから、気になって奥へ踏み込んだ。」

そこでルカは、ドラゴンを見つけたのだという。

「最初は鳥の雛かと思いました。震えていたので抱いてやり、ふところで温めてやったりして。」

しかし親が帰ってくる気配はなく、そのまま立ち去る訳にも行かず困っているところへ雪鬼たちが現れ、ここがフォレストで、雛がリーナという名のドラゴンの子供だと知った。悩んだ末、ルカはそのまま留まって、リーナの世話をするようになったのだという。

「最初は食欲も旺盛で、雪鬼たちから聞いたとおり、すぐに大きくなるものと思っていました。

けれど次第に食事を摂らなくなって。

あぁ、あそこにいるのがリーナです。」

ルカの視線の先に、厚く敷かれた寝わらの上に身を縮める小さなドラゴンがいた。


「やはり、随分弱ってますね。それに、この灰色の毛は産毛です。成長が上手く進んでないのかもしれませんね。」

小声で呟く蒼蓮にイライザは頷いた。

横たわるドラゴンは、ヒューヒューとあえいでいる。

ルカに気づいたリーナは、弱々しい声でクルクルと鳴いた。

「リーナ、お客さんだよ。お見舞いに来てくれたんだ。」

そっとリーナを撫でたルカは、

「適当に座っててください。何か飲み物を持ってきます。」

と言って立ち上がった。

その背をリーナが目で追っている。

その様子を見ていたジノは、何か引っ掛かった。

何だろう、ルカを追うリーナの視線。

僕はこの視線を知ってる気がする。

寂しさ・・・心細さ・・・せつなさ?

見合う言葉を探していると、ジノの脳裏に声が聞こえてきた。

行かないでルカ。ルカ、行かないで。

か細く、悲しげで小さな声。

声と裏腹に、懸命に手を伸ばそうとする強い想い。

ルカは振り返らない。

何故かその声は、ジノだけに届いているようだ。

ルカを見つめるリーナの瞳は濡れているように見える。

いつまで・・いつまで私は。

急に涙がこみ上げて、ジノは慌ててうつむいた。

あぁ、そうか。僕は知ってる。

リーナは僕と同じだ、あの頃の僕と同じなんだ。

どうしようもない感情を抱えていた、あの頃の僕と。

次の瞬間、ジノは叫んでいた。

「いつまでも、だよ!いつまで、じゃない。いつまでも。いつまでもだよ!」

「え?!ちょっとジノ、何急に。」

イライザの声が聞こえないのか、ジノは反応しない。

蒼蓮が首を振った。

「ここはジノに任せましょう。どうやら彼にはリーナの声が聞こえているようです。」

リーナは苦しそうに息をしながら、ジノを見上げている。

ジノはその視線をまっすぐ受け止めて頷いた。

「君はルカの事が好きなんだね?だから大きくなりたくなかったんだろう?」


誰も想像していなかった答えだった。

ドラゴンが人間に恋をした?

フォレストを統べる神が、あろうことか人間に?

幾ら何でもあり得ない。

イライザはもちろん、神に仕える蒼蓮でさえこの発言には面食らい、何かの間違いだろうとかぶりをふった。

しかしリーナの瞳には、みるみる涙が浮かび始める。

ルカ・・・ルカ。

ルカの肩に乗ると、柔らかい髪が顔に触れるのが好きだった。両手でくるんでくれるのが温かかった。

撫でてもらうと安心した。

だから・・・だから・・・。


 ある時、ふいに心臓がドクンと跳ねて、血が沸き立つような感覚を覚えた。

自分の身体が変わりたがっているのを感じた。

生まれてすぐに会ったドラゴンは、見上げるほど大きかった。私も同じなのだと言う。

あんなに大きくなってしまうのかと怖くなった。

ルカとは何もかもが違う。

私には白くて大きな羽と鋭い鉤爪があって、とても恐ろしく、そして醜く思えた。

もうルカの肩に乗れない。

あんな姿になってしまえばルカに嫌われてしまう。

どうにか鼓動を静め、目を閉じてひたすら祈った。

嫌だ、まだ・・まだあともう少し・・・。


あのドラゴンは、私を神だと言った。

お前が次の神なのだと。

神とは何なのだろう。何をするのだろう。

私でなければならないのだろうか。

神になれば、もうルカと一緒にいられないのではないか。

嫌だ・・・そんなのは絶対に嫌だ。


では、もしもこのままで、このままいられたのなら・・・。


本能に抗い押さえ込んだ衝動は、日に日に大きくなり、嵐のように身の内を暴れ回って、この頃では意識が飛んでしまいそうだった。

いつまで、いつまでこのままでいられるだろう。

いつまでルカの側に・・・。

リーナの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙があふれる。

すると、大きく揺れたリーナの感情が、イライザや蒼蓮にも流れ込んてきた。

それは、小さな神が小さな人間に恋をした記憶だった。

姿が違うことに戸惑い、認められぬのではないかと怯え、受け入れられぬのではないかと恐れながら、フォレストの神が抱いた、小さくて熱い恋心だった。

リーナに触発されたジノは、古い記憶の中にいた。

時に哀しく、もどかしく、手に抱え、背に背負い、ここまで共に過ごしてきた、大切な、大切な自分の心。

 もう随分と前、狼の僕は人間のイライザに恋をした。

少しでも気に入られようと、変化の技も必死で練習した。

それでも僕は人間になれる訳じゃない。

月に朝日に霧雨に、何度問いかけただろう。

決して越えられぬその壁は、自分が一番よく解っている。

解っているけど、解らないこともある。

なぜ異なる種族に恋をしてはいけないのか。

解らないから、僕は人型を取るのだろう。

少しでもあの子に近づくために。

あの時、金魚を見つめながらゲルクルは言っていた。

姿が違うものに恋をしたのならそれでいい、想いが届くなら一緒にいればいい、そのためなら同じところへ入れてやると。


 解っていることもある。

この気持ちを諦めるなんて絶対に出来ないってこと。

「変わらないよ!大きくなったって、君は君じゃないか!」

ジノの声が洞窟にこだまする。

「もし今日この気持ちを手離せたなら。

そう思った日が何度あったろう。

だけど明日もこの気持ちを背負ったまま、僕は僕の心を叫ぶ。君も、君の心を離さず抱いて神様になればいいんだ。

神様になって、ドラゴンでも人間の姿でも、両方でルカに大好きだって言えばいいんだ!」

「・・・リーナ?」

ドサドサと何かが落ちる音がして、振り返るとルカがいた。

ころころと転がるコップや盆に見向きもせず、呆然と膝をついたルカは、そっとリーナを抱き上げた。

あぁ、ルカの手だ。

リーナはルカの手に、弱々しく頬を寄せた。

大好きなルカの手は、いつもと同じように温かい。

「リーナ、本当なの?

君は僕のために大きくなりたくなかったのかい?」

涙をこぼしながら、リーナは何度も頷いた。

「バカだなぁ・・・。そんなこと考えてたのか。」

優しく諭すようにルカは言った。

「リーナ。君はこのホワイトフォレストのドラゴンなんだ。

大きくなってフォレストを護っていかなくちゃ。

みんなも待ってるんだよ。」

雨粒のようにこぼれ落ちた涙が、ルカの手を濡らした。

それすらリーナには悲しい。

それでは、それではもう・・・。

「リーナ。リーナ?」

ルカの顔を、まともに見ることができず、いやいやをするように泣きじゃくるリーナを何度も呼んで、ルカは目線の高さまでリーナを抱き上げた。

「僕はただのちっぽけな人間で、きっと一生なんの変化もできないけど。例えリーナが神様だって、大きなドラゴンだって、僕は君のことが大好きだ。

大好きだよ、リーナ。ずっと、ずっと一緒だよ。」

リーナはルカを見つめ、その手のひらの上で羽を広げた。


 洞窟から躍り出た真っ白なドラゴンが、大きく鳴いて天へと駆け上がる。

その羽ばたきに合わせて猛烈な吹雪が吹き荒れ、フォレストは一瞬のうちにホワイトアウトした。

もうもうと吹き上がる粉雪がやがて落ち着くと、そこには大きな氷柱が立ち並ぶ雪原と、枝の先まで霧氷に覆われた巨大樹の森が広がっていた。

晴れ渡った青空には、大きな翼をはためかせたホワイトドラゴンがキラキラと光を反射しながら旋回し、10メートルはあろうかという雪鯨が、気持ち良さそうに虹色の潮を吹きながらゆったりと泳いでいた。


書斎で本を読んでいたジャニックは顔を上げた。

「どうかなさいましたか?」 

エドワードが不思議そうに尋ねる。

「いいや。」

しばらく宙を見つめていたジャニックは、ふっと笑って何事もなかったかのようにまた本の続きを読み始めた。

ナナが甘えるように鳴いて、ジャニックの膝にそっと顔を乗せると目を閉じた。



 

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ホワイトフォレストと小さなドラゴン 野々宮くり @4792

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